シンハラ語質問箱 Sinhala QA63 2006-2-07 2015-May-19 |
シィギリヤの岩山に刻まれたシンハラ古代文字。そのルーツを探って行くとフェニキア商人の足跡が見える。古代ランカー島の歴史ととシンハラ文字は航海民族と関係していた… |
![]() シーギリの落書き ![]() シーギリのクッティヤに彫られたブラーフミー文字 |
なぜ、そんなに詳細に知っているかって? 単純なことだ。<シーギリ・グラフィティ>注という本の中に「蓮華を手に取り」の歌が紹介されているからなのだ。
注 Senarath Paranavithana / Sigiri Graffiti/ Oxford University Press 1956
シーギリの落書きは「シーギリ・グラフィティ」というノスタルジックな題名の本が登場したことで世界中に知れ渡るようになった。シーギリの岩山王宮に描かれた美女群は英国人が近世に再発見したことで世界に知られ、シンハラの古代歌謡がつぶさに採集されたことで4,5世紀にさかのぼるシンハラ語の様子までうかがい知れるようになった。
現代シンハラ語では「手にte-ni」を「アティンatha-in→ athin」と言う。「手」を表す「アタ」に助詞の「-イン」が付いて「アティン」となる。この「名詞+助詞」という単語の塊りを「名詞の屈折変化」と捉えるのが形式的なシンハラ語文語文法で、この語形は名詞の与格形とされるのだが、これを「名詞+形態素(助詞)」と捉えて見るのだ。そう、日本語のように、だ。
「手に」と日本語で言えば、それは「手+に」という単語と辞に分かれる。「アティンatha-in→ athin」の古形が「アタ二atha-ni→ atha-ni」だったのなら、そのニは日本語の助詞「に」と同じ文法関係を「手」と結んでいたとも読み取れる。いや、そう読み取るほうが自然にシンハラ語が理解できる。
シンハラ語は日本語の学校文法で読み取れるとすれば、シンハラ語の古代の助詞「ni」は大変な役割を担うことになる。
![]() 古代セイロン Ancient Ceylon / Parker,H 1909 ![]() 『紀元前のアメリカ』(バリー・フェル、草思社1981 |
アメリカ大陸の文字はフェニキア人が残したと言われている。フェニキアは海洋を駆け巡った古代の商業国家。彼らはフェニキア文字をアメリカ大陸に書き残している。
フェニキアの商船は中国へも行った。それならフェニキア文字が中国航路の途中にあるスリランカに刻まれていても不思議はない。
ロバート・ノックスの『セイロン史』にはカンディの町の近くに訳の分からない文字を刻んだ岩があるという記述がある。これはブラーフミーの文字か。それともフェニキアの文字か。もしや、フェニキア商人のことだ、タルシシ船に積んだ葡萄酒をスリランカの海岸から山中に運んで、カンディの山の中にまで売りに出かけたのかも?