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柏倉陣屋絵図を読む・2
与七郎 無限の琴

2022年1月11日から16日まで無料ダウンロード、無料で読める

KhasyaReport かしゃぐら通信  …与七郎の行動は強烈だ。そこに見えてくるのは百姓を守れという与七郎の信念、檄と言ってはばかることのない主張と強い信念。与七郎が繰りなす信念の行動がこの本を生みました。
 郷土史の体裁をかぶっていますが、この「与七郎 無弦の琴」が主張するのは強く生きるのだ、ということ。誰にはばかることなく信念を貫けということ。邪を戒めよ、百姓を守れ。
 迷いの中、邪が正を欺き、世間を蹂躙し、闊歩し、人は不安に揺れている。羽州田舎の柏倉。幕末の佐倉藩陣屋。強く生きる信念を現した与七郎。彼の姿を「無弦の琴」に見出していただけたらこんなうれしいことはありません。
与七郎 無限の琴(上)
 
与七郎 無限の琴(上) キンドル本 3月29日発売 480円
与七郎 無絃の琴 著者;丹在 環 出版社 : かしゃぐら通信KhasyaReport (2021/3/29) 発売日 2021/3/29 ASIN : B091C4DX23
言語 : 日本語 ファイルサイズ : 1561 KB Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) 有効
与七郎 無弦の琴。 お求めはキンドルで。

「与七郎 無弦の琴」キンドル版 1月11日から16日まで無料でダウンロード、無料で読めます。幕末期の東北で陣屋代官として清らかに力強く職を貫いた武士の姿をたどる。「強く生きる」ということがどんな行動を導くのか… この機会に是非、お手元に。


与七郎 無限の琴 前書きから

 東北の、戸数二百六十ほどの小さな村の出来事でした。
 江戸中期の延享三年1746、山形藩から佐倉藩へ転封された譜代の名家堀田は山形藩四万一千石の領地を佐倉藩の飛び地として得ました。そこは村山盆地をドーナツ状に取り囲む地域で、東は蔵王の山、西は白鷹山系の山裾、北は天童に接する平野部、南は松平家が封じる上山に接しています。
 堀田家佐倉藩の飛び地には四十六の村々があり、西の白鷹山系の裾野に位置する柏倉村に支配地を統括する陣屋がおかれました。四十六の村々からは以降、明治四年に廃藩置県が敷かれ佐倉藩が解体されるまで柏倉陣屋によって米が集められ堀田家の財政基盤を固めました。
 
 柏倉陣屋に田内成伸という武士がいました。
 成伸は柏倉陣屋に代官として赴任する父に連れられて佐倉からやってきました。安政十二年1800、成伸が十四歳のときでした。父を亡くして後は継嗣けいしとして代官を継ぎ六十年近くを柏倉に過ごしました。佐倉城跡で「柏倉には足を向けて寝られない」と言われたことがあります。それは成伸が陣屋代官として残した業績が佐倉の財政基盤を支えたからです。
 その成伸の生き方を記した文書があります。江戸末期に続簡という漢学の徒が残した記録です。
 行状記は成伸が佐倉で生を受けたところに始まり、柏倉陣屋代官として佐倉藩飛地の山形分領で残した業績がつぶさに記録され、いくつもの成果を踏まえての昇進、俸禄加増も記されています。
 でも、行状記のテーマはそうした賞罰の職歴ではなく与七郎の生き方に重きが置かれています。そこには与七郎成伸の人となりを伝えたい続簡の強い思いが認られているのです。

 江戸から明治へと時代が変わるその直前、社会の仕組みも人の心も揺れていた幕末期、堀田佐倉藩山形分領の柏倉陣屋には陶潜の詩に出てくる無弦の琴を奏でる日々を夢見る与七郎がいました。
 さて、ここまでが無絃の琴のお膳立てです。次の一章から物語に入ります。「与七郎 無弦の琴」を読み終えるときには、きっと、与七郎という人物の姿がくっきりと浮かんでくると思います。与七郎はどう生きたか。与七郎は何をしたか。
 時代に流されず、おのれを貫くには。
 何のために。何を信じて。
 そして、力強く生きるには。
 これらの問いかけに与七郎は、そのかたくなな信を持って応えてくれるでしょう。


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 与七郎 無限の琴 目次

一章
 与七郎の行状 --- 佐倉の朝 ---  柏倉の与七郎 --- 郷土史が突く --- 与七郎とは何者か --- 少年時代 --- 毘沙門堂の誓い --- 奈良絵本の毘沙門天 --- 成伸の行状 
二章
 田圃を取り戻せ --- 金貸しのたくらみ --- 助かる道はある --- 百姓に罪はない --- 敵地に乗り込む --- 舟町の孫市
三章
 飢饉が起こった --- 馬見ヶ先堤防破壊す --- 天保四年の大飢饉 --- 鉄砲で撃ち払え
四章
 富者の茶、貧者の茶 --- 囲炉裏で茶を炒る --- 富者に楽しみを、貧者に財を --- 絹と緑茶
終章
 白い道を行く --- 与七郎、その後に

 参考文献
 奥付

「与七郎 無弦の琴」 成り立ちのこと

 この本はkindle本とは別に「明源寺本 与七郎 無弦の琴」(自家本・非売品)があり、明源寺故玄神住職の本葬の日に焼香の御礼として明源寺が焼香に来られた方々に配付されました。
 この寺の新住職と共に一年半ほど前から、「与七郎 無弦の琴」執筆のための資料収集や、主に親鸞を中心とした仏教理解の道筋を討議をし、また、住職から仏教教義を習わせていただきました。
 羽州山形の明源寺に堀田下総佐倉藩士の墓碑、供養塔が数多あり、それも奇異なことながら、その不思議が時の流れの中に忘れ去られている。私たちは歴史に中に暮らしながら歴史に空白がある。それは物悲しいことです。
 下総佐倉藩の柏倉陣屋、その代官田内与七郎成伸に正面切って取り掛かろうと思い立ったのは明源寺の新しい住職との出会いがきっかけでした。
 ところが、書き出そうとしても与七郎のことがさっぱり分からない。佐倉市行政管理班に問い合わせても与七郎研究資料は佐倉市にないとのこと。翻って山形市にも与七郎の姿を追える資料は無い。そんな中で頼りにできたのは柏倉門傳村誌という大正時代の終わりに愚翁と名乗る先生の書かれた本の中の成伸之行状という一文だけでした。
 それは佐倉の続簡という漢学者が記した与七郎伝ですが、ちょっと簡易過ぎてそのままでは資料として扱えず、事実を検証する必要が多々あります。不明な部分を、推理して埋めてゆく必要に駆られて調べてゆくと…。
 調べて、ほかの資料と付けあわせをすると事実のようなものが浮かび上がってきました。そこに見えてきたのは百姓を守れという与七郎の信念、檄と言ってはばかることのない主張と強い行動力でした。与七郎がここに現れて、そのアバターの与七郎が繰りなす出来事からこの本は生まれました。  郷土史の体裁をかぶっていますが、この「与七郎 無弦の琴」が主張するのは強く生きよということです。誰にはばかることなく信念を貫けということです。邪を戒めよ、百姓を守れ。その信念を与七郎という人物に強く感じます。  昨今の迷いの中、邪が世間を蹂躙し闊歩し、人は不安に揺れています。羽州の田舎の柏倉。幕末の陣屋代官の行動を知り、強く生きるという信念を実行に移す与七郎の姿をこの本から見出していただけたらこんなうれしいことはない。