スリランカ料理トモカ掲載記事一覧 トモカの評判index
![]() |
スリランカ料理でも古典的なものばかりを探り出して、研究しているのがJR四谷駅前の飲食店街・しんみち通りにある「トモカ」である。周辺にかっぽうや居酒屋が密集する中で、異色の存在だ。しかも、目立たないビルの三階で、エレベーターもない不利な立地。十年前の開店当初はもちろん苦戦を強いられたようだが、いまや店の知名度も上がり、確実に常連客をつかんでいる。
にもかかわらず、不可解なのは開店当時四十席近くあった客席が、わずか三分の一になってしまったことだ。しかも、常に3,4人はいたスリランカ人のアルバイトの姿もなく、店主の丹野冨雄さん夫妻だけで運営しているのである。
「一日十人までに客を限定しているんですよ。それでも多いと思っているくらいです」。営業時間は午後六時から九時までのわずか三時間だけ。当然、客席は一回転だけである。平均客単価は5千円程度。本当にそれで経営が成り立つのか心配になるところだが、家賃は相場よりも安く、人件費もかからないのでなんとかなってしまうのだと言う。
丹野さんのもっぱらの関心は店の運営ではなく、スリランカ料理の研究だ。料理の話になると目の輝きまで違う。最近ようやく日本のカレーのルーツが分かってきたらしく、日本に入ってきた当初のカレーの原型に近い料理もでき上がった。その研究のために、営業時間まで削っているというのである。午前中は図書館に通い、文献を探る。目下の目標はカレーのルーツを一冊の本にまとめること。
もちろん、肝心の料理作りに手を抜いているわけではない。わずか十人分の料理といっても午後三時ごろから準備にかかる。「トモカ」のメニューは四千二百円のコース料理一本だけ。しかし、料理七,八品にアーッパ(米の粉とココナツミルクを練り合わせ、発酵させてから焼いたもの)、パパダム(豆の粉にスパイスを混ぜて油で揚げたもの)、ご飯、紅茶がつく多彩な内容だ。
調理はジックリ
「スリランカの古典的な料理を追及していくと、近代的なちゅう房設備は必要なくなってくるんです。反対に手間ばかりかかってしまうんですけどね」(笑い)。電気がまで炊いてしまえば簡単に済む炊飯も「湯取り法」で炊きあげる。たっぷりのお湯で米を炊き、浮き上がってくる粘りを取り除くと、インディカ米に近い触感のボソボソしたご飯になるのだ。製氷機も使わない。水道の水には不純物も多いので飲み水もいったんボイルし、レモングラス(香草)を入れて、冷やしたものを使っている。また、野菜の煮物には土器を使用。鉄器では味が微妙に変わってしまうためだ。
「人を使う難しさを経験し、同じ苦労するなら自分たちだけで頑張ってみようと思ったんです」
回転当初は人を雇い、昼間も営業していた。しかも、昼間は一般受けする日本的なカレーを六百八十円で提供。確かに客は入ったが、本格的な料理を出す夜の客にはつながらなかった。また、毎年夫妻でスリランカに足を運び、新しい料理を見つけるごとに、中途半端な料理作りでは満足できなくなっていった。そこで、経営がなんとか軌道に乗ってきた五年後、夜だけの営業に切り替えた。
情報発信基地に
「料理を理解してくれる人に利用してもらいたいという気持ちで取り組んできました。この店をスリランカの情報発信基地にするためには、毎日が戦いですよ」。丹野さんがスリランカ料理と出合ったのはそう遠い昔のことではない。大学卒業後の八年間、区役所の広報課に勤務していたが、料理の面白さにひかれて転職。二年間レストランに勤め、特にカレーについて研究していた。たまたま、友人情報でスリランカ料理がおいしいというのを聞きつけ、いきなり現地に飛び込んで三ヶ月の修行をするという大胆さ。帰国後すぐに同店を開店した。
「経営している以上、赤字になってはいけませんが、十年かかってようやく経営というものが見えてくるようになりました。趣味の店といわれるかもしれませんが、原点にもどって料理を作る店が一件くらいあってもいいんじゃないですかね」
(フード・コーディネーター 川崎妙子)
日経流通新聞 1992年11月17日掲載
【解題】
フード・コーディネーターの川崎妙子さんはトモカ開店当時から当店に注目してくれた方。食品業界専門月刊誌「フード・ライフ」でも何度かトモカを扱っていて、スリランカ料理のこと、あれこれお話ししていたから、滅法詳しくトモカのことを記している。だから、トモカがフード業界、そして、その先、何をするのか、その方向をよくご存知だった。 |