パルス・アベル

 ソール11遊星主の一人にして、その統率者と見なされる少女。フョージョンする専属マシンは有していない。
 素体状態の素顔が知られている遊星種はむしろ少数派であるが、彼女の場合は旧三重連太陽系宙域における恒星系再生復元プログラムの進行を実質上管理統括すると言う、その重責にそぐわない容姿がとにかく印象的であった。黄色いマントで全身を覆った赤紫色の髪に真紅の瞳の、口調こそ大人びているものの、あどけなさが残るような少女であり、声やメンタリティはマモル少年や戒道少年と同年代の少女のそれに近いものがある。かつて赤の星の指導者であったアベルの生体情報を元に組み上げられたプログラムであり、その意味ではアルマとはきょうだいか、いとこのような間柄と言えよう。アルマと同様に強力なサイコキネシス能力と、その応用である、あらゆる物理的現象に対する障壁となる絶対防御壁を有し、更には、本来的なものか後天的な外科手術によって付加されたものかは不明だが、全身にサイコキネシス能力を攻性化して射出するパルスビーム砲を多数内蔵している。これは力場の性質を同じくするアルマの絶対防御壁を無効化する特性を有している(もちろん単純な攻撃兵装としても絶大な威力を誇る)。更にはアベルの生体情報をも有する事から、ソルダートJトモロ、そしてJアークなどのJジュエルによって稼動する全ての機動兵器群の緊急停止コードを有しており(アルマもまた非常の措置として緊急停止コードをJアークなどに対して行使できるが、その対象は自身を守護するJアークやソルダートに限られており、決して全ての機動兵器群に対して絶対優位の立場にあるわけではない)、彼らに対しては絶対的権限を行使しうる。パルス・アベルは絶対防御壁という最強の楯に加え、パルスビーム砲、そして緊急停止コードと言う最強の矛をも併せ持った究極のアルマという表現さえ可能な、正に不可侵の支配者的存在なのである。
 三重連太陽系再生復元プログラム、即ちソール11遊星主そのものを包括的に管理統括する機能と権限を有し、プログラムの進行と進行に伴って生じる数々の障害を修正、排除するために他の10体の遊星種を指揮する。遊星種中、最強の戦闘能力を有するパルパレーパですら彼女の決定には絶対的に従属する。パルパレーパも三重連太陽系再生復元プログラムにおいては「戦闘能力」という極めて限られた一機能にしか過ぎないのである。
 冷徹なまでの判断力と嗜虐的なまでの狡猾さを兼ね備え、マモル少年やガイをはじめとしたGGG、否、地球人類、ひいては別宇宙という存在そのものを犠牲とすることさえ辞さず、時としてそれを楽しむかのような彼女の姿勢は、機界文明と同等かそれ以上に危険なものであることは間違いない。しかし、切り捨て、踏み台にすると認識したが故か、遊星種以外の存在を一段低く見る傾向があり、計画を阻害するそれらの要因に対しては苛烈な敵愾心を燃やす。
 パスキューマシンとソール11遊星主、そして宇宙収縮現象の謎を追い、三重連太陽系へと到達したGGGに対して自らの「生きる権利」を主張し、宣戦を布告。パレッス粒子による精神攻撃でGGGを無力化し、パルパレーパ・プラスによる直接対決でガオファイガーを破り、早期段階においてプログラムの最大の阻害要因を排除に成功。この段階において、パルス・アベルの作戦は完璧に奏効し、三重連太陽系再生復元計画は完遂されるかと思われた。しかし、そこで彼女の足元を掬ったのはソール11遊星主が構造的に抱える最大の問題点だった。即ち、運用可能な実働力の不足、つまり人手不足である。
 本来ソール11遊星主が建造段階で想定していたのは三重連太陽系全域を再生復元する間に必要とされる、最小最低限度の防衛力としての戦闘能力だった。そのため、純粋に戦闘用のプログラムはプラヌスピア・デケムのみであり(パルパレーパでさえ、本来は医療分野を専門としているために純粋な戦闘型プログラムとは言い難い)、各遊星種は各々の専門分野において再生復元活動に専念するはずだったのである。しかし、GGGとの接触と決別は、再生復元活動を一時的に中止しなければならない事態を呼び寄せた。これは、本来「天敵」であるジェネシックマシンへの抑止策として招聘したラティオ=マモル少年が翻意してGGGとの接触を図ったためであるが、それは同時に来訪したGGGをケミカルボルトによって洗脳し、遊星種の下位プログラムとして取り込む、という恐るべき計画をアベルが抱いた結果であった。その計画も実働力の不足を、如何にしてか解消したいというアベルの切実な悩みが根底にあったことは疑いない。将来的にはGGGを新生三重連太陽系の最初の住民として入植させることも、当然視野に入れていたであろう。その経過においてJアークやソルダートJ、トモロ、そしてアルマこと戒道少年を鹵獲できたのは、アベルにとって僥倖であった。
 しかし、アベルの最大の弱みはここにあった。彼女は捕らえた者たちを、殺すことも破壊することも出来なくなったのだ。それがソルダートJの脱出とJアークの復活を許し、GGGの最決起をも促す結果となったことは周知の事実である。更には自身以外を蔑視する彼女の認識そのものが足枷となって彼女から冷静な判断力を奪い、ずるずると消耗戦に引きずり込まれたまま、ジェネシックガオガイガーピサ・ソールへの突入を許してしまった。
 ジェネシックガオガイガーのゴルディオンクラッシャーによってピサ・ソールが消滅したことにより、彼女もまた構造維持エネルギィが絶たれ、消滅した。彼女もまたピサ・ソールによって再生復元されたレプリジンにしか過ぎなかったのである。その事を彼女はどこまで認識していたのであろうか。印象論から言えば、彼女は自分がレプリジンであることはおろか、「アベルを基に構築されたプログラム」であることすら認識していなかったように思える。自身を「赤の星の指導者・アベル」であると信じ、自身こそが三重連太陽系の最後の生き残りであるという寂寥と矜持だけが彼女を支え続けていたように思えてならない。いつか三重連太陽系が再生すると信じて機界文明との戦いに散っていった仲間たちのためにも、彼女は何においても目的を達しなければならなかった。だからこそ、共存の手を伸ばしてくれたマモル少年やガイを拒絶して、彼女は「ただ一人」戦ったのだろう。その意味において、かつて自らが唯一の生き残りと信じて原種の尖兵となっても生き延び、アルマを殺害してしまったソルダート・J−019と通じるものがあるのかもしれない。
 パルス・アベルの頑なさは、周囲にも彼女自身にもなんら幸福をもたらす事はなかった。彼女の使命感は自身が「アベル」である事に端を発し、そこにおいてのみ有効であった。それゆえ彼女は生命を蔑視した。無限に再生させ、限りなく復元した。そこに尊さはない。生命を尊ぶ余りにこれを再生しようとする行為そのものが、生命蔑視を体現してしまうという矛盾に彼女は気付いていたのだろうか。それは創造者の、彼女に対する優しさだったのかもしれない。生命を想うならば、安易に再生し復元する生命に尊厳がない事を知ってしまう。だから、それに気付かないように。三重連太陽系のために、別宇宙に存在する無限の生命とその可能性を奪う事の独善に耐えるために、彼女を狭い認識の檻に閉じ込めた。視野狭窄の中で、任務に邁進できるようにと言う、残酷な優しさの形だったのかもしれない。たとえそれが新たな悲劇を呼ぶとしても、それでも故郷を護りたいという願いは、我々に重い問いを投げかける。
 既に滅びた生命たちの「もっと生きたかった」という執念と願いに我々はどう向き合うべきなのか?過激な例えかもしれないが、死者たちが「もっと生きる」ために生者を犠牲にして復活してきたとき、「生きる」ために常に犠牲を他者へと要求している我々が、それを拒み、墓場へ押し返すだけの論理的、倫理的理由を持ち合わせているのだろうか?答えは否、である。我々が生きる事で生じるあらゆる犠牲を正当化することは出来ない。だからこそ、マモル少年もガイも「共存は出来ないのか」と問い掛けたのだし、それが拒絶された以上、我々に出来るのは更なる業を背負い込む事だけである。我々もまた、生きなければならないのだから。
 声優は、戒道君と同じく、紗ゆりさん。