伝説「泉小太郎(いずみこたろう)」の像
安曇野には、松谷みよ子さんが
1960年(昭和35)に出版した童話『龍の子太郎』の
モデルになった伝説が伝わっています。
 「泉小太郎」伝説とは、
むかしむかし、松本、安曇の平は、
山々の沢から落ちる水をたたえた湖でした。
そして、ここに犀龍(さいりゅう)という者が住んでいました。

また、ここから東の高梨(今の須坂市高梨あたり)
というところの池には、
白竜王という者が住んでおり、
やがて鉢伏山というところで、
二人の間に男の子が生まれました。

日光泉小太郎と名づけられた男の子は、
放光寺山(今の松本市城山)あたりで立派に成長しました。
泉小太郎が大きくなるにつれて、
母の犀龍は自分の姿をはずかしく思い、
湖の底に隠れてしまいました。

小太郎は、恋しい母のゆくえを訪ね回り、
熊倉下田の奥の尾入沢(今の松本市島内平瀬と田沢のさかいのあたり)で、
やっと巡り合うことが出来たのです。

母の犀龍は、小太郎に静かに語って聞かせました。
「私は、本当は諏訪大明神の化身なのです。
氏子を栄えさせようと姿を変えているのです。
あなたは、この湖を突き破って水を落とし、
人の住める平地を作るのです。
さあ、私の背中に乗りなさい」

言われて小太郎は、母犀龍の背中に乗りました。
この地は今も犀乗沢とよばれています。
二人は、山清路(今の東筑摩郡生坂村山清路)の巨岩を突き破り、
さらに下流の水内の橋の下(今の上水内郡信州新町久米路橋あたり)の岩山を突き破り、
千曲川の川すじから越後(新潟県)の海まで乗りこんで行きました。

こうして、安曇平の広大な土地が出来たのです。
そして、小太郎と母犀龍が通った犀乗沢から
千曲川と落ち合うところまでを、犀川とよぶようになりました。
その後、小太郎は有明の里(今の北安曇郡池田町十日市場)で暮らし、
子孫は大いに栄えたといいます。

「信府統記旧俗伝」(1724年刊行)より
湖であった安曇野を
母龍の背に乗って泉小太郎が
岩を突き破り、川を作って
人の住める平野にした。
という話です。

泉(いずみ)=安曇(あづみ)
音だけ並べると似てますね。
この伝説を
安曇族の開拓や開墾と読み取る事が出来る。
そう考える方もいるそうです。

確かに山に囲まれた盆地。
湖であったとしても
何の不思議もありません。
それを切り開いた。

九州からやってきた安曇族の
開拓、開墾の歴史を象徴しているのでしょう。
この地にはそんな血と汗が
浸みこんでいるのかもしれません。
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