●ビスマルク外交:イギリスやフランスに比べて遅れて国家統一したドイツは国作りを急がなければなりませんでした。ビスマルクはフランスとロシアが手を結んで、ドイツを挟み撃ちにすることをもっともおそれました。そのため、巧みな外交によって、ヨーロッパで戦争が起きないように努力し、一方でドイツの富国強兵に励みました。
●南北戦争後のアメリカ:米国の工業化を推進する北部が南北戦争に勝ったことで、米国では新しい国作りがはじまりました。鉄道が敷かれ、新しい企業に次々と投資がされました。こうしてアメリカンドリームの時代が始まりました。
●第二次産業革命:ビスマルクの外交が成果をあげていた1870年から1890年までの20年間に、電気、化学の分野で技術革新が進み、ドイツとアメリカが経済力をつけて台頭してきました。すでに工業化が進んでいたイギリスでは、新しい技術に投資する必要性がなく、ドイツやアメリカのような新興国が経済成長したのでした。
●金融資本の台頭:繊維などの軽工業の分野でおきた第一次産業革命とことなり、電気や化学工業の分野では多くの資金がなければ企業を興すことはできません。そのため、株式を発行して資本を集めたり、銀行に融資してもらうしかありません。その結果、銀行が大きな経済力を持つようになりました。
●国外への依存:優れた技術と巨大な工場からは大量の製品が生産されました。国内だけでは商品がさばけなくなり、国外に市場が求められるようになりました。また、新しい技術はこれまでとは異なった資源を必要とし、新しい資源供給地が求められるようになりました。
●競争と独占:企業間の競争の結果、勝った企業は巨大化し、市場を独占しました。また、銀行は融資によって企業に対する影響力をもち、多数の企業を組織化し、ますます経済力をもつようになりました。
●帝国主義:独占企業や銀行は政府や軍隊と協力し、海外進出を図り、植民地経営を推進しました。これまでと違って、植民地は市場となりましたから、植民地の人々の生活にも大きな影響が出るようになりました。植民地での反発があれば、軍隊を送りました。先進国は他民族を支配する帝国のようになっていきました。
●労働運動とインターナショナリズム:独占化により企業間の競争が緩和されると物価が引き上げられるようになります。一方、機械化が進み労働者は過剰気味になりますから、賃金はさがります。そのため国内では労働運動も盛んになります。労働者や市民は国外の人々と協力し合い、国を超えて連帯する動きも出てきました。
●社会主義とナショナリズム:労働運動が広がり過激になることをおそれた政府は、選挙権を拡大したり、社会保障制度を整備したりしました。その一方で、社会主義運動を弾圧し、国家としての一体化を図る政策を進めました。
●イギリスの議会主義:第二次産業革命に乗り遅れたイギリスは、豊かな資本を海外に投資しました。また、選挙権を拡大したイギリスでは、議会を通して自分たちの要求を実現しようとする労働者の動きが見られました。
●ドイツとイギリス:1890年代になると、ドイツは軍艦を建造し、積極的に海外に出るようになりました。この動きを警戒してイギリスはそれまでの「名誉ある孤立」政策をすてて、日本やフランスと協力するようになりました。
●米国の棍棒外交:南北戦争以後、米国の経済は成長し続け、19世紀末には軍事力を背景にして強引なやり方でカリブ海、ハワイ、フィリピンへと進出するようになりました。
●アフリカ:イギリスはボーア戦争で得た南アフリカとエジプトを結ぶ南北の線に沿うような地域で影響力を強めていました。一方、フランスは西アフリカからインド洋に向かう東西の線に沿って、影響力を強めようとしていました。出遅れたドイツもアフリカへ進出し始めました。
●東南アジア・インド:1877年インド帝国が成立し、インドは完全にイギリスの植民地となりました。また、東南アジアはタイを残してすべて植民地化されました。ビルマ(ミャンマー)からマレー半島にかけてはイギリス、ベトナム・ラオス・カンボジアはフランス、インドネシアはオランダが支配した。また、フィリピンはアメリカがスペインから奪いました。
●南太平洋:この時代、南太平洋の島々もイギリス、フランス、アメリカ、ドイツによって分割されていきました。
●西アジア:スエズ運河会社の株を得たイギリスにとって、西アジアはロシアやドイツからインドを守る重要な地域となりました。そのドイツが、オスマン帝国と結び、西アジアへと進出してきました。また、自動車の発明により、石油がとれる西アジアは重要な地域になっていきました。
●東アジア:19世紀より始まった改革が失敗し、清朝の中国支配も行き詰まっていきました。日清戦争の敗北により清朝の弱体ぶりが世界に知れると、列強は中国への進出をつよめ、さまざまな利権を中国から奪い取りました。そのような中、孫文らの海外留学生が中心となって、清朝を倒す運動が始まりました。
●19世紀的世界と日露戦争:19世紀、ユーラシア大陸の陸側から海へ出ようとするロシアと植民地支配の主導権を得ようと海から攻めるイギリスが、地中海でも、イラン高原でも、中国でも対立していました。さすがのイギリスも中国までは手が回りかね、日本と日英同盟を結び、ロシアに対抗させました。そのおかげで日露戦争に日本は勝利できたのでした。その結果、この英露の対立は英独の対立へと変動していきました。
●三国同盟と三国協商:すでに、ドイツとイタリアとオーストリアの三国同盟とフランスとロシアの二国間の協力関係は成立していましたが、イギリスはフランス、ロシアとは世界の各地で緊張関係にありました。イギリスにとって唯一の同盟国日本が日露戦争後、ロシアと手を結んだのをきっかけに、英、露、仏の三国協商が成立し、時代はいよいよ、イギリスを中心とする三国協商とドイツを中心とする三国同盟の全面的な対立へとむかいつつありました。
●第一次世界大戦:バルカン半島でのオーストリアとセルビアの対立はロシアとドイツの対立へと発展し、さらにフランス、イギリス、日本を巻き込んでいきました。そして、当初のもくろみに反して、長い悲惨な戦争へと発展していきました。
●総力戦:第一次世界大戦ではトラック、飛行機、潜水艦、毒ガス、戦車が登場し、工業生産力の戦いになりました。さらに、長引く戦争で一般国民も動員され、戦地にむかいました。そのため、多くの犠牲を出すことになりました。
●ロシア革命:長引く戦争により、ロシアの民衆は戦争の終結を求めて起ちあがり、1917年3月、実力で政府を倒してしまいます。革命政府はドイツと休戦条約を結び、社会主義政策をとることを発表しました。
●アメリカの参戦:ヨーロッパの戦争への参戦を躊躇していた米国も、1917年4月、参戦します。これにロシア革命が他国にも広がることをおそれた米国の焦りもありました。1918年、ドイツでも兵士たちの反乱がおき、ドイツは敗戦したのでした。
●第一次世界大戦の影響:戦争に動員された大衆の発言権は戦後強まっていきました。労働運動も盛んになりました。労働力不足で職場に進出した女性たちの社会進出もこのころより広がって生きました。
●植民地と第一次世界大戦:戦争中、追い込まれたイギリスは戦後の独立などを交換条件に、戦争への協力をインドや西アジアの人々に求めました。この約束はその後、各地でいろいろな形で裏切られましたが、この地域の独立運動は以後激しさを増していきました。
●「西洋の没落」:第一次世界大戦により、ヨーロッパの先進諸国はその影響力を弱めました。これまでのヨーロッパ中心の世界が大きく揺らぎ始めたのでした。
●第一次世界大戦をはさんで、10年ほどの間に、長く栄えてきたユーラシア大陸の帝国がすべて、滅亡しました。諸帝国は多くの民族を支配してきましたから、これらの地域では、新しい国際秩序をめぐり争いや混乱が始まりました。
●清朝:1911年、幹線鉄道国有化問題から暴動が始まり、清朝は滅亡しました。その混乱に乗じて、日本は「対華21カ条の要求」を突きつけ、中国の支配を強めようとしました。以後、中国ではこれに反対する孫文らの流れをくむ国民党と労働者・農民の国作りをめざす共産党の主導権争いが続きました。
●ロマノフ朝:ロシアのロマノフ朝は、革命の中で、皇帝一族が処刑され、滅亡しました。
●オスマン帝国:第一次世界大戦に敗れたオスマン帝国は1922年、ムスタファ=ケマルらが革命をおこし、滅びました。以後、政教分離政策を掲げて、トルコ共和国の近代化を図りました。
●オーストリア=ハンガリー帝国:敗戦国となったオーストリア=ハンガリー帝国は解体され、オーストリア共和国になりました。帝国の解体で独立することになったバルカン半島諸国では新しい国作りの課題が残りました。
●ドイツ帝国:ドイツの革命は失敗し、ヴァイマル共和国が成立します。もっとも先進的な憲法を持つこの国は、戦後の復興をめぐり、「いばらの道」が待ち受けていました。
●インド帝国:イギリスは独立とは逆に、インドの支配を厳しくします。これに反発したガンジーらは国民会議に結集し、独立運動が盛り上がっていきました。
●アメリカの時代:第一次世界大戦の間、米国はヨーロッパの戦争の軍需工場でした。その結果、米国は最大の債務国となり、世界の経済の中心は米国に移動しました。このころフォード社は工場をオートメーション化し、労働者でも買える自動車を売り出しました。
●ソ連の時代:革命後の混乱を乗り切ったソビエト連邦は、共産党独裁体制下でスターリンが権力をとり、経済活動の国家管理が進められていきました。
●帝国の消滅とベルサイユ体制:パリ講和会議の結果、イギリスとフランスはドイツに対して徹底的に報復しました。ベルサイユ講和条約により、ドイツは海外の領地をはじめ多くの領地を失い、莫大な賠償金を払うことになりました。
●ヨーロッパの戦後復興:ドイツの経済は壊滅的な打撃を受けますが、米国はドイツやフランスなどヨーロッパ諸国の戦後復興を支援し、戦時債権の回収に努めました。
●社会主義の台頭:戦後、先進国では労働運動が活発になり、ロシア革命の影響もあって社会主義が台頭しました。各国の政府は、選挙権の拡大、社会保障制度の導入などの政策も執るようになりました。
●ファシズムの台頭:台頭する社会主義に対抗して、ファシズムなど全体主義的な政治団体も成立し、イタリアやドイツなど厳しい経済状態にある国々ではその勢いが増していきました。
●高揚する独立運動:アジアの各地で民族独立の声が高まり、目前の現実的な課題として独立が問題とされるようになりました。
●明治前期(1870〜1890):明治維新、文明開化、西南戦争、自由民権運動、憲法発布、たった20年の出来事でした。ビスマルクの巧みな外交でヨーロッパは比較的に静かな時代でした。この時代に第二次産業革命が進みました。
●明治後期(1890〜1910):日清戦争、日露戦争、朝鮮併合とつづく侵略の20年。世界は列強によりズタズタに細分されました。
●大正時代(1910〜1930):第一次世界大戦、対華21カ条の要求、関東大震災、治安維持法、山東出兵。第一次世界大戦に乗じて日本は滑るように大陸に出ていきました。
●市民と大衆:19世紀は市民の時代、新聞・雑誌の時代、制限選挙の時代。20世紀は大衆の時代、ラジオ・テレビの時代、普通選挙の時代。この二つの時代の間に第一次世界大戦がありました。
●大量の消費者1・2世紀の古代ローマ市民、17・8世紀のイギリス市民、19世紀の西ヨーロッパ人、そして20世紀のアメリカ人。王侯貴族以外で贅沢な暮らしを楽しんだ一群の人びとが時々世界史に登場します。そして、20世紀前半、米国の文明はそのような人々の規模を爆発的に拡大しました。第二次世界大戦後、米国をモデルにしながらそれは世界中にひろがって生きました。
●国民という意識:19世紀の国民(または公民)とは選挙権を持った一部の人びとを指していました。他の人びとはまだ、残り続ける封建時代の慣習や意識と戦っていました。一般の大衆が国民という意識を持つようになるのは普通選挙が実施されるようになってからです。その意味で国民国家が成立するのは第一次世界大戦以後だと言えます。
7.チェックポイント
point1:第二次産業革命と20世紀
繊維工業などを中心とした第一次産業革命と比べて、19世紀後半に展開された第二次産業革命は社会や政治の姿を大きく変えました。特に大規模な生産設備を必要とする新しい産業を発展させるためには多くの資本を必要としました。大資本と高度な生産力は社会の富を一部の人に集中させ、そのことで社会の緊張が高まりました。この緊張は国内では資本家と労働者の階級対立へ、国外では先進国相互の植民地争奪競争、そして植民地では民衆の独立運動として高まっていきました。
point2:恐慌と帝国主義
19世紀の半ばより、ヨーロッパの経済はたびたび恐慌を経験するようになります。各国で産業革命が進んだ結果、過剰な投資により競争が激化し、利潤がさがっていきました。そのたびに新技術が導入され、企業間の競争は激化していきます。やがて、先進国の企業はより大きな市場を求めて海外へと向かいました。この時代の先進国による世界再分割の背景にはこうした事情がありました。
point3:ヨーロッパのDNA
第一次世界大戦も第二次世界大戦もドイツとフランスの宿命の対決という側面と同時に、先進工業国イギリスと後発工業国ドイツとの覇権争いという側面もあります。さらに、このふたつの戦争がドイツの東方進出から始まり、世界大戦に発展していった点も共通しています。ヨーロッパから南東への南下はインド・ヨーロッパ語族の大移動、ペルシア戦争、アレクサンドロスの遠征、ローマ帝国の東征、十字軍、ナポレオンと並べると、ヨーロッパのDNAに由来しているようにすら思えます。暖かい南東、豊かな南東への憧れのようなエネルギーが脈々と受け継がれてきたのでしょうか。
point4:ラストエンペラーたち
第一次世界大戦の前後に世界の帝国がすべて崩壊したことは世界史的な事件でした。そのことにより、これらの地域では大帝国に支配されてきた諸民族が国際社会にむき出しにされ、新たな支配をもくろむ勢力に狙われることになりました。この動きは次の時代にかけてさらに顕著になり、先進国の世界進出の形も様変わりしていくことになります。このことと国際連盟や国際連合がそうした時代に設立されたことは大きなつながりがあります。
point5:独裁と革命の時代へ
大帝国の崩壊と並行して顕著になってきた20世紀の歴史の特徴は大衆が政治的にも経済的にも台頭してきたことです。これも第一次世界大戦前後におきた出来事です。しかし、この動きはやがてファシズムという暗黒の革命の時代をもたらします。独裁政治は大衆民主主義を土壌に生まれました。