大陸の個性が世界史を決めた
●大陸はその位置と地形により、それぞれ個性があります。それによって、世界史の流れが決まっていきました。
- 南北に細長いアメリカ大陸
- 砂漠がおおいアフリカ大陸
- 東西にひろがるユーラシア大陸
- 海洋世界と民族の移動
1.南北に細長いアメリカ大陸
1)アメリカ大陸は他の大陸から孤立しているため、家畜の種類が限られ、製鉄技術も伝わらないなど、巨大な文明が形成される要素に欠けていました。そのため、歴史はゆっくりと変化しました。
2)南北に細長い地形であるため、栽培植物などの文化が伝わりにくく、大きな文明がうまれませんでした。また、東西の幅が狭いため、同一種の動植物の数が少なく、絶滅しやすい条件にありました。
3)山脈、砂漠、熱帯雨林などの厳しい自然環境が多いため、地域間の交流も限られました。
4)アメリカ大陸は次の三つに区分できます。
- 【1】北アメリカ
- 多様な自然環境のなかで、狩猟・採集文化がながく続いた。
- 【2】中央アメリカ
- カリブ海周辺とメキシコの地域。山地とジャングルが広がる。マヤ文明やアステカ文明が誕生した。
- 【3】南アメリカ
- 西部をアンデス山脈が走り、アマゾン低地と高原が広がる。アンデス山脈ではインカ帝国が栄えた。
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2.砂漠がおおいアフリカ大陸
1)赤道は南アメリカ大陸とアフリカ大陸を横切り、その一帯は熱帯雨林がひろがります。その周囲は砂漠やサバンナがひろがっています。そのため、アフリカ大陸やアメリカ大陸は熱帯雨林と砂漠で占められます。
2)ナイル川とそこからさらに南へと走る大地溝帯はアフリカ大陸を東西に分離し、アフリカではシルクロードのような交易ルートが成立することはありませんでした。
3)地中海沿岸と南アフリカの気候はヨーロッパとよく似ており、近代以降のヨーロッパ人の植民活動はおもにそれらの地域が拠点となりました。
4)アフリカ大陸は次の5つに区分できます。
- 【4】エジプト
- ナイル川のもたらす沃土によって古代より文明が栄える。オリエント・地中海地域の穀物倉庫としての役割をはたした。
- 【5】北アフリカ
- 地中海に面し、古代より地中海世界の一部として発展。古代ではフェニキア人の地中海貿易の拠点として栄えた。中世ではベルベル人の王朝が興亡し、西アフリカとの貿易の拠点となった。
- 【6】西アフリカ
- 大半はサハラ砂漠で占められ、その南に金の交易で諸王国が興亡した。
- 【7】東アフリカ
- インド洋に面し、インド商人、イスラム商人の交易の拠点となる。
- 【8】中南アフリカ
- 砂漠、熱帯雨林で占められ、南端は地中海性気候で温暖なため、オランダ人やイギリス人が入植した。
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3.東西にひろがるユーラシア大陸
●ユーラシア大陸の個性はふたつあります。
(1)東西に幅が広く、東西に対照的な多様な自然環境が形成されたことです。
(2)大陸の中央を東西に走るヒマラヤ山脈により南北にも対照的な世界が形成されたことです。
●大陸の西は大西洋の影響を受け、海洋性の気候が見られます。冬に雨が多く、夏は雨が少ないため農作物の生産は限られ、牧畜によってその不足を補う必要がありました。
●交易の要衝東西貿易の要衝に位置するため、早くから交易が盛んで、その覇権をめぐる争いが続いた。
●西アジアは次の6つに区分できます。
- 【9】アフガニスタン
- 乾燥した山岳地帯。インドへの中継点で古来より民族の興亡がつづく。
- 【10】イラン高原
- 砂漠と山地が連なる。東西交易の重要な中継点。カナートによる灌漑でペルシア文化が栄えた。
- 【11】メソポタミア
- 砂漠を流れるチグリス川・ユーフラテス川により灌漑農業が始まり、交易の中心となった。
- 【12】アラビア半島
- 砂漠地帯。インド洋と地中海との貿易の中継点。商業により栄えたメッカからイスラム教が生まれた。
- 【13】シリア・パレスチナ
- 地中海と西アジアを結ぶ交易の要衝。古代より戦争が続く。
- 【14】アナトリア半島
- 砂漠、地中海性気候、入り組んだ山地の自然環境。アジアとヨーロッパが接する地点。セルジュークトルコ、オスマン帝国などトルコ系の王朝、帝国が栄えた。
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●大陸の東側は冬は寒冷で乾燥し、夏は太平洋の湿った空気により雨が多い。夏の雨により米という生産性の高い作物の栽培が可能となり、多くの人口を支えることができた。
●農耕民と遊牧民の交流と対立の歴史が長く続いた。
●東アジアは次の5つに区分できます。
- 【15】極東アジア
- 台湾、琉球、日本列島、朝鮮半島の海洋世界。中国文明が浸透した地域。
- 【16】東北アジア
- 満州、カムカッチャ半島、サハリンなどの寒冷な森林や平原。狩猟、漁労、農耕が行われる。満州人が台頭し、中国を征服して清王朝をきづいた。
- 【17】華北
- 黄土大地が広がり、畑作中心。農耕文化と遊牧文化が接し合い、東アジア史の中心舞台となる。
- 【18】華南
- 長江流域の米作地帯は中国の一大農業生産地。南ほど山地が多く、少数民族も多い。
- 【19】チベット高原
- 高地の寒冷な高原で、遊牧が伝統的に行われている。東トルキスタンやインドとの繋がりもある。
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●ヒマラヤ山脈の南に位置する南アジアは夏は大量の雨に恵まれ、冬は乾期という南アジア独特の気候が形成された。亜熱帯・熱帯の気候により、香木や香辛料など他の地域にはない物産にめぐまれ、古くから交易がさかんに行われた。
●気候が寒冷化したり、戦乱が続くと北からの民族移動がたびたびあった。南・東南アジアはその受け皿となって、多くの人びとを吸収してきた。
●南・東南アジアは6つに区分できます。
- 【20】インドシナ半島
- 南北に走る山脈と河川にそって北からの民族移動が続き、モザイク状に民族が分布する。
- 【21】東南アジア海域
- 香料などの貿易により、海岸に港市が栄える。
- 【22】沿岸インド
- 香料など貿易により、諸王国が古代より栄える。
- 【23】デカン高原
- 「綿のインド」。インドへ移動してきた民族に追われ、インド原住民(ドラヴィダ人)はこの地へ追いやられた。古いインドの文化が残る地域。
- 【24】ガンジス川流域
- 「米のインド」。インドの諸王権がここを中心に興亡する。
- 【25】インダス川流域
- 「麦のインド」。古代よりインド侵入者の入り口となる。
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●ヒマラヤ山脈の北には、東西に長くのびた層状の地域が形成された。南へいくにしたがい、気温は上がり、降水量は減少する。
●厳しい自然環境に耐えらたオアシス民や遊牧民にとっては、中央アジアの自然は外敵から身を守り、交易のチャンスに恵まれる恩恵となった。
●北・中央アジアは次の5つに区分できます。
- 【26】シベリア
- 氷雪平原、針葉樹林の寒冷地。トナカイの遊牧、狩猟民の世界。
- 【27】モンゴル高原
- 古代より、モンゴル系、トルコ系の遊牧民がこの地より台頭し、ユーラシアの歴史をおおきな影響を与えた。
- 【28】カザフスタン
- ヨーロッパと中央アジアを結ぶ草原地帯。多くの民族がここをとおって東西、南北に移動した。
- 【29】東トルキスタン
- タクラマカン砂漠に点在するオアシスの世界。東西交易の重要なルート。
- 【30】西トルキスタン
- カスピ海の東に広がる砂漠地帯。東西交易の重要なルート。
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●東に位置する大西洋の影響を受けやすい西岸海洋性の気候のヨーロッパは、暖流のメキシコ湾流の影響で温暖な気候に恵まれた。
●冬に雨がふり、天水に頼るヨーロッパの農業は生産性が低く、それを補うため牧畜が盛んに行われ、アジアの他の地域とは異なる独特な文化が育った。
●ヨーロッパは次の6つに区分できます。
- 【31】イベリア半島
- ここから、イスラムやアフリカの文化がヨーロッパに伝えられた。
- 【32】西ヨーロッパ
- ローマ=カトリックが普及した地域。近代文明の発祥の地。
- 【33】バルカン半島
- 古代ギリシア文明の発祥の地。アジアへの窓口。
- 【34】中央ヨーロッパ
- 西ヨーロッパにとっての防波堤。諸民族の興亡が続いた。
- 【35】ロシア
- アジアとヨーロッパの文明がぶつかり合い、独特な文化が栄えた。
- 【36】北ヨーロッパ
- ノルマン人のふるさと。北海とバルト海での交易で発展。
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4)海洋世界と民族の移動( OC )
●南太平洋をのぞいて他の海洋世界には、多くの人は住まず、大陸と大陸を結ぶ交易のルートとなった。
●太平洋では東南アジアや東アジアから幾度にも渡り、人びとが大航海の末、渡り住んだ。
●北・中央アジアは次の4つに区分できます。
- 【37】オセアニア
- 広大な砂漠は他からの侵入を拒み、孤立した狩猟採集文化が続く。
- 【38】太平洋
- オーストロネシア系の民族が、古くからカヌーで移り住む。
- 【39】インド洋
- インドと西アジアと東アフリカを結ぶ海域。
- 【40】大西洋
- 大航海時代以後、ヨーロッパとアフリカとアメリカを結ぶ重要な海域になる。
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チェックポイント
理解度チェック:アメリカ大陸
Q:ユーラシア大陸と比較してアメリカ大陸では文明の発展が小規模で限定的であった理由は何か。
hint1:アメリカ大陸で文明が発展するにはどのような条件が不利になったか。家畜、金属、農業について答えよ。
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理解度チェック:アフリカ大陸
Q:アフリカ大陸で地域間の交流が発展しなかった理由としてどのような地理的条件が考えられるか。
hint2:赤道はアフリカ大陸のどの位置を通っているか。
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理解度チェック:ユーラシア大陸
Q:ユーラシア大陸の地形の特徴を二つあげよ。
hint3:ユーラシア大陸の形と山脈を確認せよ。
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理解度チェック:西アジア
Q:西アジアの地理的、歴史的な特徴を二つあげなよ。
hint3-1:農業の生産性、ユーラシア大陸における位置について確認せよ。
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理解度チェック:東アジア
Q:東アジアで多くの人口を支えられる文化が育ったのはなぜか。
hint3-2:東アジアの気候はなぜ生産性の高い稲作に適していたか。
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理解度チェック:南・東南アジア
Q:南・東南アジアは歴史のなかで他の地域に対してどのような役割をしてきたか。
hint3-3北の地域と比較して南の地域にはどのような点で優位な立場にあったか。
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理解度チェック:中央アジア
Q:中央アジアの人びとは中央アジアの厳しい自然からどのような恩恵を得ていたか。
hint3-4:中央アジアの自然環境の特徴は何か。そこにどのような人びとが暮らしたか。
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理解度チェック:ヨーロッパ
Q:ヨーロッパの風土のうち、アジアの他の地域には見られない特徴は何か。
hint3-5:ヨーロッパの農業はなぜ生産性が低かったか。
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理解度チェック度:海洋世界
Q:海洋世界は歴史的にはどのような役割をはたしたか。
hint4:海洋世界には砂漠と同じ特徴がありが、それは何か。
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理解を深めるために
point1:多様なユーラシアの自然
アメリカやアフリカに比べてユーラシア大陸が多様な自然に恵まれたため、変化の規模が大きく、そのスピードが速い歴史が展開されました。
point2:冬雨の西ユーラシア
冬に雨が降るユーラシアは農業生産性が低く、家畜や交易によりその不足を補う必要に迫られた。特にヨーロッパがアジアとの交易を強く求め続けたことにより、時代がダイナミックに動く傾向にありました。
point3:天水農法と灌漑農法
アジアの各地はその方法は異なりますが、いずれも灌漑により農業を行いました。しかし、ヨーロッパは天水による農業に終始しました。このような自然条件が背景となって、アジアでは治水の責任を負う巨大権力が生まれましたが、ヨーロッパでは個人の決定権が重んじられる文化が育ちました。
point4:ヒマラヤと遊牧民
アジアの中央にヒマラヤ山脈が東西に走っているため、その北には大乾燥地帯が形成され、草原に住む遊牧民の文化が生まれました。このことが、ユーラシア大陸の歴史をよりダイナミックなものにしました。
point5:陸と海の交易
前近代では交易の中心は陸ルートにより王侯貴族のための貴重品が取引されました。しかし、1000年をこえる頃から、海のルートが徐々に活発になり、それに応じて、重い商品や庶民の日常用品が運ばれるようになりました。これと並行して、遊牧民からヨーロッパの船乗りへと交易の担い手たちも代わっていきました。