●ヒッタイトの製鉄技術:製鉄には1200度以上の温度が必要です。鉄に炭素を加えて硬い鉄をつくる技術と高温をだす技術をヒッタイトはもっていました。
●鉄は社会を変えた:鉄は強力な武器をもたらし、大工道具など社会生活の広い分野に新しい技術や職業をうみました。さらに、鉄製農具により森林が開拓され、深く耕された畑からは多くの生産物が収穫されるようになりました。また、それまでは木製だった荷車の車軸に鉄が用いられるようになり、重い荷物がより遠く、より速く運ばれ、交易が盛んになりました。
●伝統社会の崩壊:軍事、農業、工業、商業の分野ではじまった経済成長により、血縁関係を基盤としたそれまでの伝統社会が急速に崩壊しはじめ、西アジアの先進地域では新しい社会の仕組みが求められるようになりました。
●ズボンをはいた?:馬に戦車をひかせることはすでに西アジアで行われていましたが、馬にまたがり走る技術は前600年頃には、黒海北岸で活躍したスキタイ人によって開発されました。彼らは轡(くつわ)といわれる金具を馬の口にかませて、手綱で馬をあやつりました。スキタイ人の騎馬技術はその後、西アジアや中央アジアの遊牧民につたわり、ユーラシア大陸の歴史に大きな影響をあたえることになりました。(馬にまたがるためにズボンを発明したのもスキタイ人でした。)
●前の時代に移動してきた人びとは、それぞれの地域で先住民との間に新しい関係をきづいていきました。
- 地中海
- ・バルカン半島や地中海に移動してきたギリシア人は集まって住み、ポリス(都市国家)をつくり、先住民を征服して奴隷にしました。このポリスと奴隷制は古代の地中海世界において、社会の仕組みの基本となりました。
- 西アジア
- ・交易の支配権をめぐり争いの続いた西アジアでは、北部メソポタミアからおきたアッシリアが馬と鉄を巧みに生かして強力な軍隊を組織し、エジプト、シリア・パレスチナ、メソポタミア、イラン高原の一部を征服して、世界初の帝国をつくりました。しかし、その過酷な支配に諸民族の反発を引きおこし、滅びました。
- インド
- ・鉄器を手にしたアーリア人はインダス川流域からガンジス川流域に移動しました。それまでの牧畜中心の生活をあらため、農耕を中心とする社会を形成しました。
- ・この頃までには、バラモン(祭司)、クシャトリア(王侯)、ヴァイシャ(平民)、シュードラ(奴隷)に分かれたインド社会独特の身分制度(ヴァルナ)が完成します。各地には都市ができ、小国が分立する時代になりました。
●西方系の周王朝:中国初の殷王朝が「貝」に象徴される海洋性の文化とすると、殷に替わって建国した周は「羊」に象徴される内陸の文化といえます。周王室は建国に功績のあった一族功臣を地方に配し、それぞれの地域をおさめさせる体制をとりました。
●宗法:中国には祖先をともにする一族には身内意識がつよく、独特の社会の仕組みを発展させてきました。宗族と呼ばれる同族の人びとは、ともに祖先をまつる宗法という伝統をいまでも守りつづけています。周の時代にはこの伝統が形成され、血縁中心社会の秩序として後に儒教にとりいえられました。
●士大夫:士大夫(したいふ)とよばれる知識人階級が形成され、社会的な指導者としての役割をする中国社会独特の伝統も、この頃には形成されていました。
●縄文文化は晩期をむかえ、日本列島でも明らかに異文化接触が始まっていました。
●大きく社会が変化する時代には、必ず生産技術が改良され、生産量が飛躍的に増加する減少をともなっています。そして、新しく力をもって台頭する人びとが必ずいます。
●交易のルートが新たにできたときも、社会が大きく変化します。
●この時代には生産でも交通でも大きな技術革新がなされ、世界史でももっとも大きな変化がもたらされた時代のひとつでした。
7.チェックポイント