●言語と民族:文字をもった古代文明は、さまざまな民族の動向を記録しています。また、19世紀の言語学者は、インドの言語とヨーロッパの言語につながりがあることを発見し、民族の分類や移動についての研究がすすみました。民族についてはおおよそ、つぎのような分類がなされています。
- 【インド=ヨーロッパ語族】
- ヨーロッパ人、イラン人、インド人の一部の諸民族
- 【セム・ハム語族】
- アラブ人、ユダヤ人など西アジアから北アフリカの諸民族
- 【ウラル=アルタイ語族】
- シベリアからモンゴル高原、中国東北部の諸民族
- 【シナ=チベット語族】
- 中国からチベット高原、インドシナ北西部の諸民族
- 【オーストロネシア語族】
- インド洋、東南アジア海域、南太平洋にひろがる諸民族
- 【アメリカ大陸諸語】
- アメリカ大陸の諸民族
- 【アフリカ諸語】
- サハラ砂漠以南の諸民族
- 【その他の諸語】
- ダラヴィダ、オーストロアジア、コイサン、アボリジニー
●民族移動:人口の少なかった過去の時代においては、ある民族がひとかたまりになって移動することは十分に現実的なことでした。とくに、今から5000年以後は寒暖をくりかえしながら、地球は寒冷化の傾向にありましたから。
●寒冷化の時代の民族移動:氷河期が終わって気候が温暖化した時代に拡散していった人類が、寒冷化の時代には、南や低地へと移動しました。特に、前2000を前後して、この動きは顕著になりました。
●大規模な民族移動については、おもに2つが知られています。
●侵略や拉致といったかたちをとり、世界史の流れにおおきな影響を与えた移動として次のような例があげられます。
●インド・ヨーロッパ語族の移動:ユーラシア大陸の西側では、前2000年を前後して、ロシアからヨーロッパ、西アジア、インドへと民族の移動が1000年間ほど続きました。移動してきた人々はそれぞれの地域で先住民と接触し、世界史は新しい段階にはいりました。
●セム語族の民族移動:セム系の民族の一部もこの時代に移動し、世界史に独自の影響をあたえました。
●ギリシア人:ギリシア人がバルカン半島やエーゲ海やアナトリア半島へ移動し、それまで栄えてきたクレタ文明は滅びました。
●ヒッタイト人:アナトリア半島では、移動してきたヒッタイト人が製鉄技術を独占し、大国をきづきました。一時はエジプトやメソポタミアと争い、地中海東岸を支配下におさめて栄えましたが、前1200年ころ西から入ってきた「海の民」により滅びました。このとき、ヒッタイトが秘密にしてきた製鉄技術が周辺に普及していきました。
●メソポタミア:バビロニア王国が栄えたメソポタミア南部には、カッシートが進入し、メソポタミアの覇権を争いました。また、アッシリアが台頭してきた北メソポタミアにはミタンニが進入し、ヒッタイト王国と対立しました。
●シリア・パレスチナ:シリア・パレスチナではセム系の民族が定着し、それぞれ商業活動で栄え、世界史の文化に大きな影響を与えました。
●フェニキア人:シリア北部にはフェニキア人がシドン、テイルスを拠点に地中海貿易で栄えました。彼らはエジプトの表意文字を音を表音文字に改良し、アルファベットの基礎をつくりました。このフェニキア文字がギリシア文字として取りいれられ、ヨーロッパの諸言語の文字の元となりました。
●アラム人:シリアの南部では、アラム人がダマスクスを拠点に西アジアの陸上貿易で栄えました。フェニキア人からアルファベットを学んだ彼らは、アラム文字にそれを改良して、西アジアやアジア各地の文字に影響を与えました。
●ヘブライ人:パレスチナではモーゼに率いられたヘブライ人が定住し、ヘブライ王国をきづきました。
●イラン人:イラン高原に進入してきたイラン人は牧畜と農耕をいとなみ、この地に定着していきました。
●インダス文明の滅亡:前2000期に入り、インダス文明は滅びます。イラン人と別れたアーリア人(インド人)は前1500年頃インダス川流域に入り、牧畜中心の社会をきづいていきました。
●アーリア人:先住民のドラヴィダ人を支配したアーリア人は、賛歌を歌って神々をたたえたバラモン(祭司)とよばれる人々を中心に、独特の文化をつくっていきました。
●先住民:ドラヴィダ人の一部はデカン高原など南部に逃れ、彼らの文化をまもっていきました。
●初期の農耕文化:東アジアでは前1500年ころ、黄河中・下流域の農耕地帯に古代文明が生まれました。この地域は内陸の乾燥地帯(モンゴル高原や東トルキスタン)と東北の森林地帯、西南の山岳地域(チベット高原や華南)と東の海洋世界が接する場であり、さまざまな文化のやりとりがおこなわれました。
●初期都市文明:現在のところ、中国のもっとも古い古代文明の遺跡は「殷墟」が知られています。高度に発達した青銅器の容器、獣骨などに刻まれた文字、豪華な副葬品と殉死者などから、殷という王朝では占いによる神権政治が行われ、周辺の大小の邑(城壁に囲まれた集落)を支配する王権が成立にしていました。
●縄文後期に入り、土器にも変化が見られる。小型化し、器の形も用途に応じて多種多様になりました。縄文文化が最盛期をこえたことを物語っているようです。
●日本列島でも、この時代は宗教性・芸術性より実用性が重視され、交易がさかんに行われるようになっています。
●近親結婚を禁じる婚姻制度は人類にひろく共通する文化現象です。同族、同質なものの間で進められた純粋培養はその集団のエネルギーを弱める方向に進むようです。異質なものを取り込んでいた文明ほど栄える傾向にあります。
●この時代、異文化接触を体験した地域からしか、古典思想も古代帝国も文化圏も生まれなかったことは象徴的です。
9.チェックポイント
また、地中海や中国の黄土大地にはかつて森林地帯が広がっていましたが、金属の溶解や建築資材のために消費され、現在のような乾燥地帯になってしましました。
このように現在の風景と歴史の中の過去の風景には大きな違いがあると意識することは、歴史認識に欠かせない視点です。