●肥沃な三日月地帯からはじまった:作物に適した植物が多く自生する西アジアの山岳地帯(肥沃な三日月地帯)に、もっとも早く農耕がはじまり、周辺に広かっていきました。これがメソポタミア、エジプト、インダス、ギリシアの古代文明の成立の引きがねとなりました。しかし、農耕が始まることと文明が生まれることの間には大きな飛躍が必要でした。
●潅漑農法と文明:メソポタミア、エジプト、インダス流域など古代文明がおきたところには、砂漠のなかをゆるやかに流れる大河という地理的な共通点があります。大河の氾濫がもたらす水と沃土により、飛躍的な農業生産がもたらされました。豊かな実りにより、人口も増えていきました。
●国家のはじまり:地域の自然をまるごとシステムとして利用するには、人間側にも大がかりなシステムが必要です。季節の移り変わりを的確に把握し、土木工事により水を管理し、人びとの労働を組織する。専門家集団とそれにより指揮される大衆。社会の様子ははっきりと変わりはじめました。
●文明の共通要素:メソポタミア、エジプト、インダス、ギリシアの古代文明の遺跡からは、文字と青銅器と神殿が確認されています。また、この4つの地域はメソポタミアを中心に互いに交易を行っていたことも確認されています。しかし、ギリシアには大河がありません。大河による灌漑農業と古代文明の関係をどう考えたらよいのでしょう。
●都市成立の必要条件:灌漑農業による余剰作物が多くの人口と専門家集団をやしないましたが、それだけでは古代都市文明の成立の事情を説明するには十分ではありません。万単位の人口を支えるには、他の地域との交易により、食糧や鉱物資源などをおぎなわなければ、都市文明は成立しえなかったはずです。
●「地産地消」の道を捨てて:文明により生きるということは、住んでいる土地から生産される物資だけでは生活できないシステムに身をゆだねることを意味しています。交易が止まれば生きていけない生き方を、人類はこの時代から選びはじめたのでした。
●欠かせない余剰生産物:この交易は恵まれた自然によりもたらされる圧倒的な生産物によりささえられていることは間違いありません。都市文明の多くが農業に支えられています。
●欠乏と過剰の都市:紀元前3000年紀の都市文明の遺跡が発見されているのは、地中海からインダス川流域にいたる地域です。いち早く農耕文化がひろがりましたが、ユーラシア大陸の西に位置するこの地域は降水量が少なく、交易に頼らなければ生きていけ地域でした。この地域には慢性的な欠乏があったのです。一方、大河の周辺だけは生産力にめぐまれ、突出した過剰もありました。この欠乏と過剰こそ都市文明をいち早く成立させた背景でした。
●世界史の心臓部:近代以前の西ユーラシアは世界史の心臓の働きをしてきました。東西、南北の交易の要衝として、古代よりさまざまな権力がその支配をめぐり争ってきました。地中海、アフリカ、インド、中央アジアへの道の交差点に位置する西ユーラシアから、交易のネットワークが世界へとひろがっていったのです。
●西アジア以外の古代文明:西ユーラシア以外にも、農耕文化からうまれた都市文化が発見されています。紀元前2000年紀の中国では、井戸による灌漑から発展していった黄河文明の遺跡が発見されています。また、それより1000年以上をへて、中央アメリカやアンデス山脈でも農耕文化にもとづく都市文明が成立しています。
●縄文文化は最盛期をむかえます。
●海岸線の位置が戻り、現在とほぼ同じ位置になっていることから、世界的に気温が低下したことが想像できます。また、呪術・宗教的な要素も現れていることと関係が考えられます。
●「文明は都市を前提としている。」「文明は国家を前提としている。」「文明とは交易がないと成り立たない」「文明は社会的な分業を前提としている。」「文明は自分で食料を生産しない人たちを前提としている。」、文明に関するこれらの定義はみんな同じことを別の角度から言っているにすぎないようです。
●組織的に自然環境をシステムとして改造し、その結果得られた余剰生産物により、組織を運営するこのシステムを「文明」と呼んでいるということです。現在、私たちはこのシステムの外でくらすことなど考えもできないことだと信じています。