V:「生きづらさ」について
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(6) 校則はなぜ守らなければならないのですか

高校に入学すると保護者は学校の指導にしたがうことを誓約する文書を提出させられます。この文書が何か特別の意味を持つことは希ですが、学校はこの文書を根拠に生徒は学校の指導にしたがう義務があると考えています。

校則をめぐって学校と生徒の関係について考えてみます。

合理的な説明が難しい学校の規則

強制力を持つルールには四つあると前に説明しました。「平等」「共同体の危機管理」「期待された物語」「弱さへの配慮」の四つです。学校の校則のうち、あるものは「平等」、あるものは「危機管理」などとそれぞれ異なった根拠を持っています。

例えば、上履きで中庭に出た生徒がいたとします。「自分だって時々そんなことはやるし、ささいなことだ。」とは感じます。しかし、これを見過ごすと同じことをする生徒が続出し、校舎内が泥だらけになることが危惧されます。

つまり、「危機管理」のためにはささいなことも「平等」に注意しなければならないのです。学校ではこのような局面が非常に多くあります。

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制服はなぜ必要か

学校のルールの中で難しいのが制服です。制服にはさまざまな要素が複雑に絡み合っているます。

まず家庭の経済的な格差への配慮です。競い合って着飾るような風潮が増長されれば、年ごろの子どもたちには心理的な負担になります。また多くの制服のデザインは身体的な特徴を隠すはたらきがありますから、成長期の生徒の個人差がわかりにくくなる利点もあります。制服はいろいろな意味で個人のどろどろした内面を外から押しとどめているはたらきをしています。

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「高校生らしい」をめぐって

生徒には人気がないのが「高校生らしく」「本校の生徒らしく」という台詞です。この「らしく」には客観性がないためなかなか強制力がはたらきにくいのですが、いろいろなところで活躍する言葉でもあります。

この言葉は求められ側には「ウザイ」のですが、私たちはいろいろなところでこの「らしさ」を期待してしまっています。警察官らしくない警察官、裁判官らしくない裁判官にお世話にはあまりなりたくありません(お医者さんとかいろいろな職業で試してみてください)。

つまり、「らしく」は「期待された物語」なのです。社会が円滑に機能していくための合理主義みたいなものです。婚儀にも葬儀にも学生服ひとつで済むのもこの「らしさ」のおかげです。

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学園ドラマは参考にならない

テレビドラマで人気が高いのが学園ものです。個性豊かな主人公の教師と生徒が障害を乗りこえ共感する人間ドラマが描かれます。このようなドラマがヒットするときはだいたい教育問題が社会問題化して政治家が教育改革を叫んでいたりします。主人公の教師は理想の教師として、現実の教師の模範とされたりもします。

しかし、ドラマが感動的で主人公の教師の生き方がすばらしく感じられるのは、そこに教師と生徒がひとつの物語を共有しあう姿があるからです。人は物語を共有することが心の底から好きなのです。強制された物語は「ウザイ」ですが、共有された物語は人を感動させます。現実の学校にはこの強制される物語が満ちています。

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校則は心の底のドロドロから生まれる

それ自体には意味のない通過儀礼にさまざまな意味を持たせてできた学校教育は合理的に説明できない部分が多くあります。

校則の問題はその典型です。学校は「人間関係しか詰まっていない袋」のようなものです。変化の激しい子ども、さまざまな背景を抱えた家庭、そして多くの期待に応えなければならない教師。そうした人びとの心の底のドロドロが流れ出てくるのをとどめるはたらきをしているのが校則ではないでしょうか。

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学校を自由にすることは難しい

学校の校則は一見すると、馬鹿らしいものが多くあります。時代によっても変わっていくものもあるでしょう。しかし、よく考えると、人の弱さを見越した優れた判断もあります。また、一旦廃止された校則が再び復活することもあります。廃止してみて意味があることがわかったのです。そこには生活者としての合理主義みたいな判断が隠されています。

学校というところは実にやっかいな場所です。うまく利用すれば、格好の隠れ場にもなりますが、使い方を誤ると、深く心に傷を残すこともあります。最後にこうした学校との上手なつきあい方を考えてみましょう。


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