第59回 : チェコ少年合唱団『ボニ・プエリ』の《ブルンジバール》(第一生命ホール)

8月4日(日)、東京の晴海の第一生命ホールでチェコ少年合唱団『ボニ・プエリ』の公演がありました。この日のコンサートでは、休憩後にハンス・クラーサが作曲した子どものためのオペラ《ブルンジバール》が上演されたのです。私は、このオペラを以前見損ねていたので、ちょうどいいチャンスだと思い、出かけたしだいです。《ブルンジバール》については、あとで触れることとして、まずは当日のプログラムからご紹介しましょう。

カンパヌス=ヴォドニャンスキー みなの衆お静かに
ヤン・ディスマス・ゼレンカ 《聖ヴァーツラフのメロドラマ》よりフィナーレの賛歌
ドヴォルザーク(ヤナーチェク編) モラヴィア二重唱
ドヴォルザーク 家路(ラールゴ)
スメタナ オペラ《売られた花嫁》より〈大いに楽しもうではないか〉
ショパン <ピアノ・ソロ>
前奏曲作品28 より 第7番、第10番、第11番 
コペレント たわいない歌
チェコ民謡集 地主さんが行く − オーラスコ(ああ愛よ) − プルシー(雨が降る)
イェレーミアシ編曲 チェコ民謡メドレー(踊りつき)
ハンス・クラーサ 子どもたちのオペラ《ブルンジバール》
チェコ少年合唱団『ボニ・プエリ』 パヴェル・ホラーク(指揮) マルチン・フィラ(ピアノ)

<第1部>はルネサンス(カンパヌス)、バロック(ゼレンカ)の曲を織り交ぜながら、ドヴォルザーク、スメタナと進み、20世紀のコペレントのユーモアあふれる曲も加え、さらに、お国ものの民謡をたっぷりとサービスしてくれました。1曲目のカンパヌスの作品は4声の二重合唱で、ステージ上の団員と会場奥にいた団員とが交互に歌って意表をつかれました。その後、何回か年少と年長の団員二人が日本語でステージ進行について手短かに語り、プログラムが先へ先へとテンポよく進行していきました。《家路》などは《新世界》第2楽章の冒頭箇所がきれいにハモって心地よく(どこで息を継いでいたんだろう?)、言葉をよく聞くと何と英語。印象に残る演奏でした。コペレントの作品は児童合唱のためのオリジナルで1967年の作(歌詞も)。ちなみにこの人は作曲するかたわら、1956年から71年までスプラフォン社などで出版編集に携わっているうち、好ましくない人物として当局から活動を停止されていたといいます。ということは、比較的さいきん《たわいない歌》も再び演奏されるようになったのかな、などと想像しながら聴いていましたが、コインが空中から地面に落ちる様子あり、手拍子あり、といくつもの仕掛けがあって、しかも楽しめる作品でした。民謡については略しますが、大いに楽しんだ<第1部>でした。

休憩を挟んで、いよいよ<第2部>の《ブルンジバール》です。

指揮者のパヴェル・ホラークとピアニストのマルチン・フィラが登場すると、ホラークはステージ下の最前列に陣取りました。そのあと直ぐ、一人の少年が登場し《ブルンジバール》がはじまりました。このオペラ、全曲通してもざっと30分ほどの長さです。要所要所で日本語のナレーション(吉川愛)が入り、その間、ステージに登場している人物はストップ・モーションで待機しているのですが、このやり方はわかりやすかったです。

物語をかいつまんで書いておきましょう。二人の兄妹、ペピーチェクとアニンカの父親はすでに戦死して、母親と3人暮らし。その母親が病気にかかり、医者から栄養のあるミルクを買って飲ませるようにいわれます。二人はカップを持って街へ出ますが、なにせお金がありません。手回しオルガン弾きのブルンジバールがやってきて演奏をすると、人々は彼の前にお金を置いていきます。お巡りさんが二人にブルンジバールは音楽を奏でて人をいい気持ちにさせる代わりにお金をもらうんだ、と教えます。二人は歌を歌うことでお金をもらおうとしますが、ブルンジバールに「ここは俺様の場所だ、出て行け!」とつまみ出されてしまいます。ベンチで夜明かしをする二人のところへ、動物たちがやってきて、近くの家に住む子どもたちが手伝ってくれるよ、と励まします。翌朝、動物たちは子どもたちに呼びかけ、ペピーチェクが指揮者となり、合唱が始まります。ブルンジバールは邪魔しようとしますが動物たちがそうはさせません。周囲の大人たちも心を動かされ、お金が集まってきます。こともあろうにブルンジバールは、それを盗もうとして御用になります。ひとりひとりの力は弱くとも、みんなが一緒に力を合わせれば恐れるものはない、とフィナーレの〈勝利の歌〉をうたって幕。

今回の上演は全曲ピアノ伴奏で行なわれました。妹アニンカ(ルカーシュ・サードフスキー)はもちろん“女装”して登場。ブルンジバール(ペトル・ミスリヴェッツ)は黒の上下、ちょび髭に黒い帽子といういでたちで、どこかチャプリンの独裁者を思い起こさせました。ということは、もっとたどっていくとヒトラーを揶揄しているということに繋がりますね。ステージは、みなそれぞれの役を生き生きとこなしていて、堪能しました。演出のカレル・ブロシェクの指導も行き届いていたのでしょう。

この作品は、アドルフ・ホフマイスター原作、ハンス・クラーサ(1899−1944)作曲です。クラーサは、ギデオン・クラインとかウルマンなどと同様、テレジーンの収容所で過し、アウシュヴィッツに送られた作曲家でした。この《ブルンジバール》は1941年に一度プラハで初演されますが、クラーサはこの時、本番に立ち会えなかったといいます。テレジーンに移動し、そこに送られてきていた子どもたちが1943年9月23日、テレジーンにおける初演を果たします。クラーサは元の楽譜をテレジーンに持ち込めなかったので、新たに書き直し上演にこぎつけたのです。そして1年ほどのあいだに何と55回も上演されたというのですから驚きです。

テレジーンといえば、昨年12月の読売日本交響楽団定期演奏会で特集がありました(こちら に関連記事)し、《ブルンジバール》については林幸子『テレジンのこどもたちから』に、練習から本番までの当事者ならではの記述もあります(こちら に関連記事)。楽しんでホールを後にするとき、ふとこんなことが頭をよぎりました。
【2002年8月6日】


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