第54回 : 読売日響第400回記念定期演奏会(サントリーホール)

ほぼ1年前に《テレージエンシュタットの作曲家たち》という特集を読売日本交響楽団が定期演奏会で取り上げるのを知って、ぜひ聴いてみたいと思っていました。そんなわけで12月4日、サントリーホールに行ってきました。ところで約1年前には、今回の演奏会が読売日響の第400回定期演奏会に当たるとは気付いていませんでした。記念の定期を大曲や派手なプログラムで飾るのではなく、まさしくその正反対。厳密に言うと、《テレージエンシュタットの作曲家たち》というネーミングも若干問題ありかと思いますが、そのわけは後で。ともあれ、ナチの犠牲になって死んでいき、長いことその作品が忘れ去られていた二人の作曲家、3つの作品を日本初演で紹介するというコンサートでした。

プログラムは、
  エルヴィン・シュールホフ:交響曲第2番(1932)
  エルヴィン・シュールホフ:交響曲 ≪人間≫(1919)
     ランディ・スティーン(メゾ・ソプラノ)
  ヴィクトル・ウルマン:交響曲第2番(1944)
     (いずれも)読売日本交響楽団  ゲルト・アルブレヒト指揮

前半2曲はシュールホフの作品でした。実は、シュールホフは第2次大戦中テレジン(=テレージエンシュタット)に収容されたのではなく、ドイツ、バイエルン地方のヴェルツブルクの収容所にいたのだそうです。それと演奏された作品が、まだユダヤ人隔離政策が取られる以前のもので、《交響曲第2番》は全4楽章。ジャズが取り入れられていて、オーケストラの中でサクソフォンが活躍する曲でした。次の《人間》は全5楽章で、第1楽章<バグパイプ>−第2楽章<失敗>−第3楽章<幾度も>−第4楽章<黄昏>−第5楽章<悟り>という内容になっています。今回、私の最大の失敗は、チケットを購入するときに声楽つきの作品が演奏することを忘れてしまい、オーケストラを斜め後方から見る座席を入手したことでした。独唱者の背中を見ながら聴くのって、やはりちょっとつらいものがありました。でも、しっとりとした趣きで、よく歌っていたみたいです。シュールホフの2作品のうち≪人間≫は、また機会があれば聴いてみたい作品でした。

休憩後、ウルマンの作品を演奏するに先立って、指揮者のアルブレヒトがオーケストラと自身のピアノ演奏をまじえたトークを行ないました。20分ほどだったでしょうか。ウルマンの交響曲のどこにどんな仕掛けが隠されているか、そしてそれがどんな意味をもつか、といった内容でした。具体的に書いてしまえば、第3楽章にヴァーグナーの≪トリスタンとイゾルデ≫の一節をもじった箇所があり、しかもその直後でコントラバスが「B−A−C−H」の音型を奏します。ヴァーグナーは皮肉かもしれませんが、バッハの「「B−A−C−H」は、あの精神的な高みを誰しもが認めるあのバッハを生んだドイツが、なぜ愚かな行動をとるのか? といった抗議の気持ちをにじませています。第5楽章では、ルターのコラールに、チェコのフス教徒のコラール(スメタナの≪わが祖国≫、あるいはカレル・フーサの≪プラハのための音楽≫に引用されている「タッタッターター、タッタッター」という、アレです)を対峙させ、闘争の意志を示しているというわけです。シュールホフも含めて、日本では演奏される機会がないまま今日を迎えた作品ですし、とりわけウルマンのこの曲は、指揮者の思い入れも強い曲のようでした。ですから話の内容も充実したわけですが、私の席の周りでは、「話が長いよな」という声も聞こえてきました。オーケストラの定期演奏会でトークを交えることは、案外むずかしいことなのかもしれませんね。でも、思い切ってトークを盛り込んだアルブレヒトには拍手を送りたい気持ちです(やはり、仕掛けを知って聴くのとそうでない場合とでは、大きな違いがありますから)。

私の座席はバランスよく聴ける席ではなかったのですが、それでもオーケストラがよく鳴っていて、とても充実した演奏をしていたと思います。なじみの薄い作曲家たちの作品が、こうした良い演奏で紹介されたのは嬉しいことです。それにしても、400回という区切りの定期演奏会に、地味ではあるけれど意義のある思い切った企画をしたものだと感服しました。

なお、コンサートの冒頭で、予定にないグリーグの≪ペールギュント≫から<朝>が演奏されました。皇室に新しい命が誕生したことを祝うためです。この日のプログラムとのバランスを考えれば、まさかヴァーグナーの≪マイスタージンガー≫前奏曲というわけにはいかないでしょう。優しく、美しくあれという気持ちを込めた選曲らしく、この辺りにもアルブレヒトという指揮者の趣味のよさを感じて帰ってきました。
【2001年12月5日】


トップページへ
通いコン・・・サートへ
前のページへ
次のページへ