第36回 :昭和期戦中の大学等の在学年限の短縮措置(1999年9月17日)

先日、『音楽公論』記事ノートの1942年2月の一部を更新したときに、東京音楽学校の卒業演奏会が繰りあがった記事にぶつかりました。今回はその補足です。

件の記事は1941年12月25日と26日に行なわれた東京音楽学校卒業演奏会を扱ったもので、東京音楽学校の卒業期日が年末に繰り上げられたので卒業演奏会も季節外れの暮に行なわれた、と書かれています。

手許にある年表を見ると、1941年10月16日、大学等の在学年限短縮が決定されたとあります。もう少し詳しく調べると、このときの内容は卒業を3ヵ月短縮するというものです。だから、東京音楽学校の場合、卒業演奏会がこの時期に行なわれたわけです。
1942(昭和17)年度以降どうなったかについて、『官報』から拾ってみます。

◇文部省令第81号 大学学部等ノ在学年限又ハ修業年限ノ昭和17年度臨時短縮ニ関スル件『官報』第4446号 昭和16年11月1日 p.2
◇勅令第111号 大学学部等ノ在学年限又ハ修業年限ノ臨時短縮ニ関スル件 (『官報』第4843号 昭和18年3月8日 p.231)[この勅令の附則には昭和18年度の実施と書いてある。]
◇文部省令第80号 大学学部等ノ在学年限又ハ修業年限ノ昭和19年度臨時短縮ニ関スル件(『官報』第5061号 昭和18年11月25日 p.1)
◇文部省令第3号 大学学部等ノ在学年限又ハ修業年限ノ昭和20年度臨時短縮ニ関スル件(『官報』第5449号 昭和20年3月16日 p.1)

政府は1941年11月1日には、矢継ぎ早に翌年度の短縮を公にします。1942年度の在学年限は6ヵ月短縮と、さらに拍車がかかります。東京音楽学校はもとより、私立の音楽学校も当時は専門学校の位置付けでしたが、当然この措置が当てはめられます。当時、本科の修業年限は3年だったようで、3ヵ月とか、ましてや6ヵ月の卒業繰り上げは痛かったでしょう。先取りして言ってしまえば、『音楽公論』誌上で取り扱われる1942年度の卒業演奏会は、10月下旬に行なわれたものの批評となります。

余談を少々。
以前「情報局という呼称」(上はこちら、下はこちら)の中で、疑問を整理するために『官報』に当たったと書きました。その折、情報局の記事だけ探すのでは芸が無いなと思い、それとなく目に付いた記事もコピーしました。実は、今回の記事は全部『官報』のコピーをもとに書こうと思っていましたが、探してみたら1941年10月16日の分が手許にありませんでした。ノートを見ると、たしかにコピーしていない。見落としたみたいです。それで、年表でお茶を濁したというわけです。
あしからず・・・m(__)m


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