第31回 : 情報局という呼称<その2>(1999年8月18日)

承前。
私が始めた作業とは、ときおり国立国会図書館に足を運んで「官報」に目を通し、必要な箇所をコピーしてくることでした。
仕事がありますから、しょっちゅう行くことはできません。「官報」は同図書館の法令議会資料室にまとまっているのですが、原本は紙の痛み(劣化)が実に激しく、丁寧に繰りながらメモをとり、コピーが必要なときは改めてマイクロフィルムを出してもらって諸手続きをとるという段取りが必要でした。

この段階の結論を述べましょう。
「内閣情報局」という名称はありません。やはり「情報局」が正しかったのです。

・「官報」第4176号(1940年12月6日)
この号には勅令第846号があり情報局官制が発布されます。同時にこの勅令の附則を見ると「内閣情報部官制ハ之ヲ廃止ス」と書いてあります。新しい機関の名は「情報局」です。
また同じ号には、情報局情報官ノ特別任用、情報局分課規定が掲載されています。

その後、
「官報」第4544号(1942年3月5日) 情報局官制中改正(勅令第124号)
「官報」第4828号(1943年2月18日)情報局官制中改正(勅令第70号)
「官報」第4863号(1943年3月31日)情報局官制中改正(勅令第243号)
「官報」第4864号(1943年4月1日) 情報局分課規定改正
「官報」第5093号(1944年1月18日)情報局官制中改正(勅令第14号)
「官報」第5346号(1944年11月8日)情報局官制中改正(勅令第625号)
「官報」第5554号(1945年7月19日) 情報局分課規定中改正
などに情報局関係の記事が見られますが、一度も内閣情報局という名称に変更されたことはありませんでした。

これで「正解」がわかったと思いました。
たぶんこれでいいんだと今でも思います。

しかし、次の資料を見ると私は再び混乱させられます。
『現代史史料』第41巻 マス・メディア統制 2 (みすず書房 1975)
この巻に、私が先に「官報」第4864号で示した情報局分課規定改正が、ご丁寧にも"内閣"の文字を付けて収められています。出展を見ると「官報」ではなく、情報局第二部放送課の『大東亜戦争放送指針彙報告』第30輯(1943年11月)だと書いてあります。ちなみに、『現代史史料』第41巻に出てくる情報局関係の記事は、いま挙げた例を含めて二例が内閣情報局、他の多くは情報局とされています。学術的な図書で、こうした取り扱いがそのままというのは混乱のもととなり、いかがなものかと思います。

情報局という呼称について書いてきた今回の記事で、私は『大東亜戦争放送指針彙報告』第30輯を見ていません。未見です。これが唯一の弱点。でも『大東亜戦争放送指針彙報告』が「官報」と同等か、それ以上の権威性をもつといえるのでしょうか?

それにしても、50〜60年前のことがらでさえ、こういうことが起きます。知らなかったとしても、まあどうということはないかもしれません。とはいえ、正確に知って判断できるに越したことはありませんね。

今回の最後の迷いについては、専門家にご教示いただけたらありがたいところです。
そんなわけで、眉間にしわを寄せて迷うことは止めにしました。


トップページへ
コーヒーブレイクへ
前のページへ
次のページへ