陶芸エッセイ 8  なぜか男はツボにハマってしまうのだ!

「単身赴任・やきもの扮戦記」 連載第8回

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        連載第8回  「ツボにハマる」  ('99年/9月掲載)       
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  「ツボにハマる」                           

この数ヶ月、壺作りにハマっている。
ロクロで壺を作るには、まず、背の高い円筒形に挽き上げることが必要で、技が未熟な僕はこれまでなんとなく敬遠してきた。作ってみると面白い。ロクロも少しはウデが上がったのだろう、何とかブレないで円筒形が挽ける。そうしておいてから、内側にコテを当て、外側に指を添えて少しづつふくらませてゆく。


壺には不思議な魅力がある。宇宙から降り注ぐ力が、口から入って内側から圧力をかけているようなふくらみ。空っぽなはずの壺の中心に、パワーの源泉があるような形が好きだ。真中に空洞を感じさせる壺は、好きになれない。
まろやかな曲線や、豊穣なふくらみにときめくものを覚えるのは、僕が男であることと無関係ではなさそうだ。

僕は、腰の張った女性が、どちらかといえば好きだ。いや、どちらかといわなくても好きである。本業の広告の方で、モデルのオーディションに立ち会うとき、ダイエットの成果だか何だか知らないが、オシリのない女性に会うことが近頃多くなった。くるりとターンした美女が少年のオシリだったりすると、詐欺にあったような気がする。パンツ姿のヒップがブカブカしているのは、何ともさびしいのである。

いま、「パンツ」と書きながら、やはりドキドキしてしまう世代で、ズボンとかスラックスと呼ばないと落ち着かない。先日のことである。職場の若い女性たちの会話の中で、「友達とパンツかえっこしてはいてる」というのが聞こえてきて、僕はまたドキッとしてしまった。「あの・・・、やっぱりオレ、オッサンなのかな。パンツと聞くと緊張するよ」と、よせばいいのに余計な口を挟んでしまった。大笑いされたが、彼女たちが話題にしていたのは、あろうことか本当の「パンツ」のことだった。

 それは、ともかくとして。

高さ三十センチくらいの大壺を作るとなると、五十センチを超える円筒を挽かなくてはいけない。底に手が届かなくなってしまうので、僕の場合は筒を二本挽いて継ぐという方法をとっている。しかし、この方法は、どこかズルをしているような後ろめたさがあって、あまり好きではない。ロクロ捌きの上手な陶芸家は、継いだりしないで相当な高さのものを挽いているのが悔しい。

「ロクロは、手の骨がかたまる前の、少年の時から始めないとうまくならない」などという神話が頭をよぎるが、すぐに反論を試みる。「そんな小さいときから始めて、手がコテになってしまったらどうするんだ」

 筒状に挽き上げたあと、ゆっくり回転させながらコテで外に押し出してゆく。相当にふくらませたつもりでも、離れて見るとまだまだ貧弱ということが多い。そうかといって、やりすぎると腰がへたってきたり、あとで首と口を作るときに周囲が陥没してしまう。ギリギリのところで止めれば美しい形になるのだが、これは難しい。そこが限界ギリギリだったと判るのは、すでに引き返せない事態に立ち至ったあとなのだ。一線を越えてしまった朝なのだ。
なぜ朝なのか、よくわからないが、とにかく際どいところで止めるというのは至難の技なのである。

 ロクロで挽きたての壺は艶かしい。水を含んだふくらみは、風呂上りの女性の上気した肌のごとく、一人暮らしの部屋に色香を放つ。稀代の名作が、わが手によって誕生したような気分になって、うっとりと眺めていたりする。しかし、それも長くは持たない。二、三時間もすると表面の水分がとんで、ぼけーとした寝起きのような顔になる。「ま、こんなものだろう」と、妙に納得するのである。

 狭いマンションで陶芸をやっている身には、焼きあがったあとも壺は厄介だ。鉢や皿と違って、積み重ねることができない。
公募展などに向けていくつも作り始めると、すぐに部屋のスペースを占領してしまう。ロクロや窯を置いているダイニングルームに収まらなくなる。和室、さらには寝室をも侵略し始める。

和室にある電話が鳴ると、僕は恐怖を覚える。ところ狭しと並んだ壺をよけながら、わずかにあいた隙間をねらって、まるで飛び石づたいのようにぴょんぴょん跳ねながら電話を目指すのである。転ばないまでも、そのうちに腰を痛めてしまいそうだ。そうして、やっとたどり着いた電話の主が新築マンションの案内を始めたりすると、たちまち僕は逆上してしまう。
壺のふくらみには、出来上がったあとまで翻弄されるのである。



追記・・・書き終えてから、「下着のかえっこ」はどうもへんだと思い、勇気をふりしぼって本人に確かめてみた。「パンツじゃないですよ、パンツですよ。パンツ・ルックのパンツ」と語尾を上げて言いながらあきれ顔をされた。オシリがあがればズボンのことなのだった。なぜ僕が思い込んでしまったのか、いまだに分からない。




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