「白い一日」
喋りにくくてしょうがない、歯の矯正をしているのである。前歯がしだいに開いてきて、笑うと内面の真実が表に出るようになった。つまり、アホ面になってしまう。単身赴任中に何とか治して、いい男になって東京再デビューを果たそうという目論見なのだが、なんとも喋りづらい。上唇に矯正器具の突起が引っかかる。特にサ行がひどい。
折も折、ラジオ出演の話が舞い込んだ。東京のFMで、全国ネットの放送。以前に一度、偶然聞いたことがあったが、一時間の番組で四、五人が登場して話をする。ユニークな企画の、いい番組だった。今回のテーマは、もちろん陶芸。プロでも一流でもない僕に白羽の矢が立ったのには、もちろんわけがある。同僚だった営業部員のUが転勤で東京に戻り、その番組の提供スポンサーである洋酒メーカーの担当になったのだ。
「出てくれませんか、お願いします。責任もって一人つかまえて来いってプロデューサーから言われてるんです」電話の声は切羽詰っていた。
「ひかひ(しかし)なあ。オレ、いま歯を治ひてるから、ひゃべりにくくて。ひどいだろ?」
「いや、そんなことないですよ」
プロデューサーからよほど強く言われているらしく、Uは引き下がらない。そのうち、僕もその気になってきた。年に一つは、今までにやったことがないことに挑戦するのを、この何年か自分の課題にしている。せっかくだからやってみよう。「よひ、わかった」受けてしまったのである。
さて、収録の日。陶芸をはじめた動機、土の魅力など、実際に放送されるのは10分ほどと言われていたが、聞かれるままに一時間あまり喋った。はじめに、「陶器と磁器の違い」について質問された。「陶器というのは土で作ったものを焼いたもので、磁器は石の粉で作るんですよ」。始めたころに本で仕入れた知識をそのまま披露した。思いついて、小椋 桂の歌、「白い一日」の話をした。
「真っ白な陶磁器を ながめてはあきもせず・・・」
「陶磁器」というのは陶器と磁器の総称だから、ひとつの焼きものを指して、「これは陶磁器だ」というのはおかしい。したがって、眺めている焼きものはふたつ以上なければいけない。
「かといってふれもせず そんな風に君のまわりで 僕の一日が過ぎてゆく・・・」
そうすると、「君」というのは一人ではないわけで、主人公は気の多い男ということになってしまう。でも、「真っ白な磁器を」では確かに歌いにくい。そんな話をした。「まっひろなー」僕は歌までうたってしまった。いい話だと思ったのに、実際の放送ではカットされていた。
陶芸を始めた動機は、映画「ゴースト」のロクロを回しながらのラブシーンに憧れて・・・、などというのが放送された。冗談だったのに。
放送が終わって一週間ほどして、矯正歯科に行った。ふたりの歯科衛生士の女性の様子が、なぜかいつもと違っていた。歓迎ムードなのだ。仰向けで大口を開けた治療の途中で聞かれた。
「林さん、××に出てました?」 ××は番組名だ。
「はひ」
「やっぱりそうなんだあ。ねえ、やっぱり、そうなんだって!」
ふたりとも番組の熱烈なファンだった。
「途中で気がついたんですけど、この声そうじゃないかって言い合って・・・」「ほんとにバーで録音してるんですか?」「隠しマイクがあるんですか?」
質問攻めになった。
「ふふーのまひくで」「ふいーる(ビール)、のひながら・・・」
覆いかぶさるような位置にある顔に向かって喋りながら、鼻の穴の形がきれいな人だなと感心していた。
「へんなはへり(しゃべり)かただったでしょう」
「いーえ、ぜんぜん」 ふたりは声をそろえて言った。治療をしている立場としては、ひどかったとは口にできないだろう。ま、本人が気にしているほどではないのかもしれないが。
さて、「白い一日」の真っ白な「陶磁器」は何だろう。
哀感の漂う曲想からいえば、李朝白磁のようでもあるが、ちょっと親しみ易すぎる。博物館の学芸部員である知人(女性)に言わせれば、「李朝白磁は、けっこうブスですよ」となる。遍歴を重ねた末、李朝白磁に落ち着く人が多いのは、なんとかの深情けに安住の地を見いだすのかもしれない。
青年の胸を焦がし翻弄する女性は、やはり宋の時代の白磁ではないだろうか。清楚でありながらときに妖艶な光を発する象牙色の肌。デイビッド・コレクションの展覧会で目にした、北宋時代の白磁の梅瓶(めいぴん)の、まろやかなふくらみと気品をたたえた姿が思い浮かぶ。
小椋さんが眺めていたのは何だったのだろう。
●FMラジオ番組 (waiting bar avanti) の様子は、ここでどうぞ。
hrrp://www.avanti-web.com/pastdata/19990123.html
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