陶芸エッセイ 連載38 ケイコのことが忘れられない

「単身赴任・やきもの扮戦記」 連載第38回

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     連載第38回  ケイコのことが忘れられない  ('07/3月掲載)     
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陶磁郎 連載第38回「ケイコのことが忘れられない」

 ケイコと出会ったのは、今から八年ほど前にことである。陶芸をやるからには、茶もひととおり習っておきたいと思った。いい先生はいないかと同僚に声をかけてみると、女性の茶人がいると教えてくれた。「男より女のほうがいいだろう」彼はそう言った。茶人といえば男という先入観を持っていたが、言われてみればジジムサイ男から習うよりも、女性からのほうがなんとなく楽しそうだ。なにしろ和服の女性とお茶できるのだから。

 同僚は先生の連絡先を知らなかった。イエローページでさがして電話を入れた。先生の声は若々しかった。「来週からでもいらしてください」稽古は自宅の茶室で行うという。「必要なお道具は、お会いしたときに相談しましょ」上品な話し方に好感が持てた。

 翌週、先生のお宅を訪問した。大きなお屋敷だった。インターフォンを鳴らすと、地味な和服の美しい女性が現れた。四十代の前半だろうか、僕と年齢が近そうだった。茶室に案内されながら、きょう来るはずの生徒が急用で来られなくなったと告げられた。屋敷の中はひっそりと静まり返っている。
「まぁ、焼きものをお作りになるんですの?ステキですわ・・・」
茶室の外には、築山のあるよく手入れされた庭。前には和服の女性。まるで古都の老舗の宿に小旅行に来たような気分になってくる。
「お風呂、お先にいただこうかしら・・・」とは言わず、「お月謝は・・・」という話を切りだされて、僕は現実に引き戻された。とりあえず必要な道具としては、ふくさ、楊枝(ようじ)、扇子(せんす)、懐紙(かいし)があればいいでしょう、とのこと。それがどういうものなのか正体も分らないまま、僕は手帳に書き取った。その日は顔合わせだけで辞去した。

 茶道具の店で、メモを片手に店員さんに「いちばん安いのでいいです」を連発しながら買いそろえた。茶の道具というと高価なものという先入観があったのだが、たしか三千円ほどだった。

 そして、初めての稽古日を迎えた。生徒は、中年の女性ふたりと僕の、計三名。二時間ほどの時間をどうすごしたか、じつはよく覚えていない。もともと正座するのが苦手で、足の親指の重ねを上下逆にしたり、指を運動させたりするのにいそがしく、作法を覚えるどころではない。「男の茶はあぐらでも大丈夫ですのよ」モゾモゾやっているのを見て、先生が助け舟を出してくれた。こんな難行苦行なら、茶はムリかなと思い始めていたところだった。

 稽古が終わり、生徒たちは四角い紙の封筒のようなものを先生に渡した。月の初めに今月分の月謝を渡すことになっているから、それだろう。僕は市販の白い封筒に入れてきていたが、僕のとはちがう。「それはどこで売ってるんですか」生徒に尋ねると笑われた。「これは自分で折るんですよ。ここではそれに入れてお渡しするんです」そう言って、手持ちの予備の紙で折り方を教えてくれた。月謝の生々しさが消えて、なるほど稽古の余韻のままに終わることができると、奥ゆかしさに感心した。

 その夜、電話が鳴った。先生だった。なんだろうといぶかしみながら、今日の稽古の礼を言った。「林さん・・・」鈴を振るようなというのがぴったりの、微笑を含んだ声だった。
「きょうは、たくさんお包みいただいてありがとうございます」
「・・・」
 礼を言われているようだが覚えがない。ほかの生徒と人違いしているのでは、と思った。
「でもね林さん、来月からは五千円でけっこうですのよ」「え?・・・」
僕は七千円包んでいた。初めて訪ねたとき、よけいな妄想がわいて月謝のことをボーっと聞いてしまったのだ。受話器を置いてから、自分の馬鹿さかげんにあきれた。しかし・・・である。二千円多かったら、間違えて渡したに決まっているではないか。

「ありがとう・・・」で話を始める先生のしたたかさに舌を巻いた。先に丁重に礼を言われてしまったら、間違えましたとは口にできない。気前のいいお大尽のふりでもするしかない。僕は笑いがこみあげてきた。上品な口ぶりにくるんだ有無を言わさぬ気迫。戦国の刃(やいば)の下をくぐってきた茶人の胆力に通じるものが、宿っているような気がした。「ふつうは返すだろうが・・・」とつぶやいたのも事実なのだが。

 先生のところには二ヶ月ほど通ったが、僕の都合がつかなくなって行けなくなってしまった。以来、茶は習っていない。工房でひと息つくとき、茶を点てるまねごとをしたり、香を焚くことがあり、もういちど茶を習おうかと思いはじめている。「一期一会」「和敬静寂」先生が自分の言葉で話してくれる茶の精神は納得できた。「水差しの水がゆれるのは、つま先まで気持ちが届いていないから」と言われたのを、いまもときに思い出す。不思議な魅力を持った先生だった。ちなみにケイコは先生の名前ではなく、稽古のことである。



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