陶芸エッセイ 連載37 書いてみる気はありませんか?

「単身赴任・やきもの扮戦記」 連載第37回

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     連載第37回  書いてみる気はありませんか?  ('06年/11月掲載)     
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連載第37回「書いてみる気はありませんか?」

 さっきからなんども書き直している。なんだか客観的でクールな文章になってしまうのだ。なぜそうなってしまうかは、分っている。この十日間ほど、慣れない方面のものを書いていたから。その方面とは・・・うわ恥ずかしい!これを読む人もびっくりするかもしれないが、そんなものを書いている本人が、じつはいちばん驚いているのである。

 いきさつを話すと、こういうことになる。本の企画を思いついて、新書にするのはどうだろうと、ある出版社に話を持ち込んだ。たまたま電話に出てくれた編集者あてに企画書を送ったわけで、面識はまったくなかった。企画の内容は内緒だが、ちなみにエッセイではない。昨今の新書ブームに目をつけて、いっちょベストセラーをなどという気持ちは・・・じつは少しあった。企画書といっしょに、自己紹介のつもりで僕の以前の本も送っておいた。

 しばらくして、会いたいという連絡が入った。出版社に出向いて受付で来意を告げると、応接室に通された。ほどなく、三十代半ばと思われるふたりの男性が現れた。一人は新書編集部の人で、僕が企画書を送った相手。「なぜ、もうひとりいるかというとですね・・・」と紹介された人の名刺を見ると、文芸関係の編集者だった。

「じゃ、私のほうから先に話しますと・・・」と切り出された話に、僕は椅子からずり落ちそうになった。彼はこう言ったのだ。
「林さん、小説書いてみる気はありませんか?」
いきなりのことで、僕は「はぁ?」とか「えぇ?」とか口にしたような覚えがある。
「自分の恥はいくらでも書けるんですけど、作り話を延々書くなんてことは・・・」
やっとそう応えたのだが、相手は怯(ひる)まなかった。
「唐津の先生のところに行った話なんかは、小説っぽい書き方ですよ」

 高校を卒業するまでは小説など数えるほどしか読んだことがなかった。夏休みの感想文のために読むのすら頭が痛くなった。読むようになったのは浪人してから。それからはトイレにも持って入った。それが、35歳を過ぎたことからパッタリと読まなくなった。きっかけは、村上春樹だった。どうしても最後まで読み通せず、新刊が出るとまた買って途中で投げ出しをくりかえしたすえ、「今の小説は分らん!」といういう結論になった。以来、20年近く新刊の小説には手が伸びなかった。読むことすら億劫なのだから、書くなど思いのほかである。

「僕、文章、そんなに上手くないですし・・・」
逃げを打つと、彼はにこやかにこう言った。
「それくらい、いま小説の世界に書ける人がいないんですよ・・」
なんだよ、ちっとも褒めてないじゃないか。少しは謙遜して言ってみたんだけどなぁ。
「待ってますから、書いてみてください」。
別れぎわにそう念を押された。

さて、新書のほうはどうなった?新書の担当者は、もともと僕の企画に乗っていなかったようで、「別の企画を思いついたら連絡してください」と、あっさりしたものだった。なんだか狐につままれたような気がした。去年の暮れのことだった。

 その後、三人で飲む機会があり、ご馳走になった。人気作家の裏話など楽しい話が聞けた。初夏の僕の個展にはふたりそろって足を運んでくれた。そろそろ何か書いてお返ししなきゃなぁ、と気に掛かりはじめた。しかし、小説なんて、いったい何を書けばいいんだ・・・。血を見ただけで卒倒しそうになるほうだから、ミステリーなんか書いたら気持ち悪くてご飯が食べられなくなりそうだし、そうかと言ってエロもなぁ・・・。

 思い付きをメモし始めたのは秋風が立ってから。そのあと一ヶ月ほどは特に予定が入っていなかった。そのあいだに短編を4本書こうと決めた。それだけ書けば、中には一本くらい読めるものもあるだろう。広告コピーを考えるときのように、「数打ちゃ当たる」を実行しようとしたわけだ。ところが慣れない小説ではそうもいかず、七十枚ほどの短編を一本書きあげるのに二週間もかかった。

自分が作り出した人物なのに、とちゅうから勝手に行動したりするようになって、「おい、オマエ、そういうことをするヤツだったのか!?」と自分でも驚く場面があったりで、なかなか面白い作業だった。しかし、道を歩きながらも、妄想が湧いてくるのには閉口した。手元にあったら気になって仕方がないので、とりあえず出来上がった一本をメール添付で送っておいた。

 会って話したいという返事があり、神田にある中華料理の店で昼ごはんを食べながらということになった。食事も早々に、彼はプリントアウトした僕の原稿を中華テーブルの上に置いた。付箋がいっぱい付いて、それぞれに細かい字でアドバイスが書かれていた。
「言いたいことはぜんぶ書きましたから、送っても良かったんですけど、顔を見て話したほうがいいかなと思ったので・・・」

「予想以上の出来でした」と付け加えたが、社交辞令のようにも思えた。店を出た路上で、「小説って面白いですねぇ。書いてみるもんですね」と初体験の感想を口にすると、「僕も言ってみるもんだなと思いました」。初対面のとき、熱く語って小説を勧めたのは、あれは「言ってみた」だけだったのかよ・・・。

 付箋を参考に加筆していった。一ヶ所いじると前後のつじつまが合わなくなって、直し終わるのにけっきょく一週間かかった。メールで送ると、その日のうちに返信があり、件名は「欲が出てきました」。本文は長かった。人物の風貌、声なども書き込んで欲しい、というような要望が六項目も書かれていた。さらに一週間の小説三昧となった。

 そして、さっき届いたメール。先ほど、月刊の小説専門誌の編集長に売り込みに行き、渡してきたとのこと。あの小説がいったいどういうことになるのか。不発に終わるのか、線香花火ていどにでも発火するのか、はたまた爆発ということにでもなるのか。僕はいま、むかし読んだ梶井基次郎の「檸檬」の主人公のような気分を味わっている。

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※この処女作の小説は、新潮ケータイ小説として連載配信されました。ラジオ局を舞台に、名声へ壮絶な執念を燃やす天才的パーソナリティの姿を、制作ディレクターである「私」の目を通して描いた。配信されたのがケータイというメディアだったわけで、「ケータイ小説」であることは、まったく意識しないで書いた。小説を書くという経験、面白かった!編集者のNさんのアドバイス、目が醒める思いがした。ありがとうございました。(2013年10/15記)



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