陶芸エッセイ 連載34 陶芸の五徳

「単身赴任・やきもの扮戦記」 連載第34回

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     連載第34回  陶芸の五徳  ('06年/2月掲載)     
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連載第34回 「陶芸の五徳」

 数年ぶりに新しい本を書くことになった。団塊世代が定年を迎え始める2007年に向けて、会社を早く離れた「先輩」の立場から書いてほしいとのこと。アドバイスになるか、とんだ病膏肓への道案内になるか定かではないが、ふだんの僕の様子なども含めてエッセイ風にまとめられたらと思っている。数ある趣味の中で陶芸ならではの五つ御利益を、この機会に挙げてみることにした。

 その1 家庭が平和になる。

定年後、亭主が一日中家にいる「うっとうしさ」から奥様は開放される。
家にいるのはまだ良いほうで、そのうち「オマエ、今日はどこに行くんだ?短歌の会?オレもいっしょに行こうかな」などという悪夢が現実になりかねない。陶芸を始めてくれれば、今日もいそいそ陶芸教室へ。

 持ち帰る皿やお茶碗には、食器売り場などでは手に入らない味がある。冗談ではなく、初心者のときの器にはいい味わいがある。僕がお茶をいただくとき自然に手が伸びるのも教室で初めて焼いた湯飲み。いっしょうけんめい作っただけの嫌味のない器は、引き立て役に徹してくれるから、奥様も料理の作り甲斐があろうというもの。

 そのうちに、亭主は食器洗いを率先してやるようになる。釉薬掛けなどで器を落とさない訓練を積んでいるから、洗剤が付いていてもツルリ、ガチャンということがない。手塩にかけて作った作品を、落として割られてはかなわない。食卓に自作のものが並ぶようになると、頼まれなくても自分から食器洗いの係りを買って出るようになる。「助かるわぁ」と一声かけるだけで、キッチンは友好ムードに包まれるのである。

 その2 明日が来るのが待ち遠しくなる。

土はゆっくり乾燥してゆく。ロクロで湯飲みを作っても、翌日にならなければ高台は削れない。化粧掛けするのは、さらにその翌日。明日が来るの待ち遠しい。陶芸は土遊び、水遊び、火遊びの楽しさがすべてある。窯を焚くのも面白いが、冷めるのには時間がかかる。

 やきものと、いよいよ対面できる前夜は、ワクワクしながらベッドに入る。東西名言辞典を開くと、「寝床につくときに翌朝起きることを楽しみにしているのは幸福な人である」とヒルティが書いている。窯出しの前夜、僕はまぎれもなく幸福な人である。

 その3 健康増進

ロクロでも手びねりでも、指が休むことはない。指を動かせば脳が活性化して老化予防に役立つ。土練りは汗をかくほどの全身運動で筋肉がつく。荒練りの前、粘土を作業台に叩きつけながら気に入らない人物の顔を思い浮かべれば、ストレスは吹っとび、粘土はよく練れて一石二鳥。ロクロをやりながらタバコは吸えないから本数が減る。こんなに身体にいいことずくめで、やきものというオマケまで付いてくる。スポーツクラブで汗を流すのなど、くたびれ儲けとしか思えないではないか。

 その4 和食の店でチョイモテ

器を作れば、それに盛る食にも興味が広がる。旬の食材を使ったちょっといい和食の店にも行きたくなる。そういう店で女将さんに「織部の発色が美しいですねぇ」などと声を掛けてみる。「若い作家さんのなんですけど、応援してるんですよ」などと返ってきたりする。「この人は伸びそうですね」さり気なく女将のセンスを褒めれば、気分の悪かろうはずがない。あしらいも変わろうというもの。

 連れが若い女性なら、尊敬の熱いまなざしで見つめられることも期待できる。にわか仕込みのワインのウンチクを傾けるチョイワル親父など敵ではない。

 書きながら思わず勢いがついてしまったが、このあたり「その1」に書いた「家庭の平和」と上手に折り合いをつけていただきたい。

 その5 ショックから立ち直るのが早くなる。

 もっと倒せると思ってロクロで無理をして皿がへたってしまったのも、乾燥が不十分で化粧掛けした湯飲みがバラバラになってしまったのも、ぜんぶ自分の責任。それでいけると判断した自分がいけないのだ。上司の判断ミスでも、部下の能力不足でもない。初心のうちは粘土に当たってみたり、バケツに蹴りを入れたりするものだ。(これは僕だけか?みんなやると思うけど)そのうちに、「ああ、やっぱりダメだったか」と自分の判断の誤りを静かに受け入れるようになる。

 つい先日のこと。一週間かけて作った大板皿の最後の工程が終わって、あと2時間ほどで乾燥にまわせるというとき、作業台に取りつけた電気スタンドを引き寄せたら、アームごとまだ柔らかい粘土の上に倒れこんだ。一瞬思考が停止して大きく息を吸い込んだが、10分後には新しい粘土を練っていた。未練がましく修復してみても、焼けば不良品にしかならないことは体験から知っている。作業台をこぶしでガツンと殴りつけてやったとはいえ、ずいぶん立ち直るのが早くなった。
 
 陶芸は、人間の器を作る。ぐい飲みが湯飲みくらいには大きくなるのである。会社を離れる団塊世代のみなさま、競争とは無縁の世界へようこそ。



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