陶芸エッセイ 連載32 エッセイのあらすじ?

「単身赴任・やきもの扮戦記」 連載第32回

津田沼 陶芸教室 TOP > 「やきもの扮戦記」再録 >  連載32回

     連載第32回  エッセイのあらすじ?  ('05年/8月掲載)     
..................................................................................................................................................................................................................

連載第32回 「エッセイのあらすじ?」

 この連載のタイトル、何かヘンだと感じている読者が多いのではなかろうか。「単身赴任」というから、どこか地方都市に赴任しているのかと思えば、どうやら東京近郊に住んでいるらしい。寂しい思いをしているのかと思いきや、家族と暮らしているようだが・・・。

 じつはこのタイトル、困ったことに本人がいちばん違和感を持っている。というのも、今では「単身赴任」どころか「会社員」ですらなくなってしまったのだから。エッセイの「あらすじ」など聞いたこともがないが、新しくお付き合いいただく方のために、いちどこのあたりで僕のこれまでのことをざっと話しておいたほうが良さそうだ。

 陶芸教室の門を叩いたのは13年前、38歳のときだった。コマーシャルの企画を考えるCMプランナーとして広告代理店に勤務していた。同年代の先生と気が合って、またたくうちに陶芸にハマった。習うより慣れろ、とばかりに購入したロクロを自宅マンションのベランダに据えた。寒風吹きすさぶ中、午前さまで帰ってきてからの胴震いしながらのロクロ挽きは、さすがに自分がバカではないかと思ったものだ。
 教室に通い始めて半年。先生にけしかけられて出した大鉢が千葉県展に入選した。入選率が98%、つまりほとんどの人が入選したとはつゆ知らず、調子にのって釉薬の調合まで始めてしまった。
 教室には3年間通った。しだいに欲が出てきて、窯の中のここに入れて焼きたいとか、還元ガスの濃度をもっと上げてみたい、などという気持ちを押えがたくなってきた。しかし、先生の窯ではそうそうムリは言えない。自宅に窯があればと夢想するが、ロクロを置くのでさえ妻とひと悶着あったのだ。許されるわけがない。

 九州支社への転勤の内示が出たのは、そんなときだった。家庭の事情を考えれば単身赴任になる。会社を辞めてフリーランスのCMプランナーになるという選択肢もあった。しかしあまりにも準備不足。行くかどうかで悩んだ末にひらめいたことがある。1人暮らしのマンションなら電気窯が置ける。ロクロも設置すれば、これはもう完全な工房が手に入るのだ。ゴミを出せ、掃除しろと言われることもない。仕事以外の時間はすべて陶芸に使えるのだ。そう考えると気持ちは吹っ切れた。
 
 博多の10階建てマンションの最上階に、窯、ロクロ、土練機、を備えた陶芸工房ができあがった。『つくる陶磁郎』の連載が始まったのはそんなときだった。タイトルで「単身赴任」を強調したのは、「都落ちしたサラリーマンがこんなに楽しい日々を送ってますよ」というメッセージを、不景気の中でストレスを抱えて働く同輩たちに送りたかったから。じっさい楽しい5年間だった。唐津に師匠と呼べる人ができた。おまけに、行く前は夢でしかなかった日本伝統工芸展にも連続入選した。

 東京本社に帰任したのは2000年4月。その日が来るのを内心怖れていた。工房の中は陶芸関係のものであふれており、家族が待つマンションに空いたスペースなどあるはずもない。ダメで元々と思って格安の土地を探してもらっていた地元の不動産屋さんから電話があった。倒産した石材こうばだった。建物すれすれに京成電車が轟音を響かせて走っている。土地の値段は、周辺の半額以下。しかも内部は多少いじればそのまま工房になりそうだ。見てしまったら止まらなく自分の性格を、このときばかりは呪いたくなった。入社以来積み立ててきた社内預金をすべて解約した。

 工房を持ってからは朝3時起きを始めた。朝ごはんまでの3時間を陶芸の時間と決めた。こうすれば仕事で夜がつぶれても、イラつくことはない。そう考えたのだが、もういちど工房に戻りたい思いがつのるようになった。後ろ髪をひかれるように通勤快速の人となる毎日だった。

 2002年の暮れ、早期退職優遇の募集が発表された。応募すれば、退職は翌年の2月。偶然にも、僕の50歳の誕生月に当たっていた。何かの大きな意志のようなものを感じてしまった。逆らわず、従ったほうが良さそうだ、と思った。妻は「後悔しない?」とだけ聞いた。

 辞めたあとの2年間は陶芸に専念した。覚悟していたものの収入の激減ぶりにはまいった。「年収300万円時代を生き抜く・・・」という本が話題になっていたが、どうすれば個展だけで300万円も稼げるというのだ。たしかに「優遇」してもらった退職金はある。しかし、月々蓄えが減ってゆくのは恐ろしいことである。僕はすっかり忘れていたが「3年後には、元の年収に戻す」と言ったことを妻はしっかり覚えていた。「もう1年経ったわよ。あと2年ね」「うるさい」。

 そして、今年。正月早々の個展が終わったと思ったら、かつてのライバルだった会社から仕事の話が舞い込み、ふたたびCMプランナーとの二足のワラジの生活が始まった。フリーランスという二足目は、先方のつごうでいつすっぽ抜けるか分からない頼りないワラジである。陶芸を始めてから、どうやら波乱万丈の人生が始まったようである。おまけに『つくる陶磁郎』の連載を始めたあたりから、それに拍車がかかったような気がしている。中州のネオンにも負けず、会社から工房に一目散に帰っていた単身赴任のころの気持ちを忘れたくないので、タイトルはこのまま続けます。



津田沼陶芸教室 TOP | 受講コース | 短期コース | 陶芸体験レッスン | 教室紹介 | お問い合わせ&地図