陶芸エッセイ 連載30 製造業から接客業へ

「単身赴任・やきもの扮戦記」 連載第30回

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     連載第30回  製造業から接客業へ  ('05年/2月掲載)     
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連載第30回 「製造業から接客業へ」

 窯焚き、個展初日、ラジオ生出演、それにこの原稿の締め切り、と正月早々にたいへんな1日がやってきたのである。

 目覚めたのは朝4時。コーヒーをググッと喉に流し込んで、こうばへチャリを走らせる。前日の夜にスイッチを入れた電気窯は940度に昇温して還元ガスが吹き込まれるのを待っているはずである。しかし、個展初日の早朝に窯を焚くことになるとは・・・。

 今回は、赤坂「乾」ギャラリーでの個展。今までの2回の個展は貸しギャラリーでの手作りだったので、今回がやきものギャラリー・デビューである。自分の技のすべてを出し切ろうと準備3ヶ月を費やした。きのう搬入してみて、展示スペースにくらべて作品の数がかなり少ないことが判明した。ギャラリーは広くはないがガラスの棚が多く、壁面を利用した縦のスペースがたっぷりある。相当数の展示が可能で、これは僕の誤算だった。これではスカスカの寂しい展示になってしまう。ガス窯は大きくて冷めにくいが、電気窯で焼けば2日目の展示には間に合う。搬入から戻ってすぐに釉掛けして、電気窯の上蓋ギリギリまで詰めてスイッチを入れた。

 還元が終わって家に戻り、妻と娘の3人で家を出た。みんな大きな荷物を抱えている。今朝焼いたものは明日にならないと展示できないから、初日の空きスペースを埋めるために以前に作った壷なども動員することにしたのである。女子大生の娘はサークル活動に行くついでのアルバイトということで、しぶしぶ千円で請け負った。ギャラリーには正午オープンの30分前に到着した。追加で持ち込んだ作品を並べてゆく。オーナーの並べ方はさすがに見事で、作品の傾向違いを流れとして見せる展示になっている。照明も的確で工房で見ていたときとは見違えるような生き生きとした姿に変身した。「きれいだなぁ」と、作った本人をうっとりさせてくれるのである。

そうするうちに開店前なのにお客様がお見えになり始める。その直後、吊るした陶板のフックが外れてブランブランと中空を泳ぎ、お客様が突進して支えてくれて難を逃れたという椿事もあった。

 悩みの種は「値付け」である。昨日書くつもりが悩みに悩んで初日を迎えてしまった。高すぎれば、いままでのお客様にそっぽを向かれるかもしれないし、安すぎると僕の今後の生活が成り立たない。悩みまくっている姿を見て、オーナーはこんなアドバイスをくれた。「ここから林さんの作品価格がスタートしますよ」「若造ではないんですよ」。その言葉に背中を押されて、ちょっと「強気」で作品表に細いサインペンで値を入れていった。

 お客様と話をするのは楽しく、また反面ではかなり疲れる。なにしろ準備に入ってから3ヶ月のあいだ、家族以外とはまともに話をしていないのだ。1日が終わってその日に喋ったことを思い出してみると、コンビニで「キャスター二個ください」と言ったのと、昼ご飯を食べに出て「牡蠣フライカレー、辛口」。そのふたつしか喋っていないことに気が付いたりするのである。物言わぬ「製造業」が、個展初日とともに一転して「接客業」に転職するのだからたいへんだ。言葉が出てこなくて困った。

 ギャラリーが終わってから地下鉄で有楽町のニッポン放送へ。初日が無事に終わった安堵感とともに、大晦日も元旦も工房に通いつめた疲れがどっと押し寄せてきたようだ。生出演を頼まれたのは、ふつうの「ラジオ」ではなく、パソコンで見て聞く「ブロードバンド・ニッポン」という番組で、スタジオの様子もパソコンの画面にナマで映し出されるという。番組内容をチェックして話すことを整理しておこうと思っていたのだが、やきもの作りで手一杯で、なんの準備もしていない。ディレクターからのメールでは「各界の達人を招いて話をうかがっている」「パーソナリティーの女性と20分ほど話してほしい」ということだった。仕事柄、マスコミの大げさな言葉遣いには慣れているから「達人」と言われても別にうれしくも恥ずかしくもない。ある新聞では「単身赴任の達人」にされたこともあるし、まっいいかぁ、である。

 約束の10分前にスタジオに入った。慣れるまで様子を見て心の準備を、と思っていたらディレクターがいきなり言った。「すぐ、大丈夫ですか?」「え、ええ」まだ、コートも着たままである。こちらの動揺を察して「あ、じゃあ、一曲入れてからにしましょう」ということになった。パーソナリティーの那須恵理子さんのとなりに座らされた。

 曲が終わって、「今日は個展の初日だそうですね」と話しかけられたのは覚えているが、20分ものあいだ何を喋ったのかよく覚えていない。ベラベラ言葉が途切れなく出てくるのに自分でもあきれていた。CMの企画会議でも、徹夜が続くとあるとき突然お喋りが止まらなくなったり、おかしくもないことで笑いだしたりということがあったが、あの「疲労性ハイテンションお喋り症候群」の発作が起きたようである。自分でも驚いたので、ゲストコーナーが終わったあとでと那須さんに話しかけた。「僕ってお喋りですねぇ」。彼女は笑いながらうなづいた。「ほんとうは僕、口が重いんですよ」。すると即座に「ウソ!」とまた笑われた。

 有楽町の駅に向かって歩きながら考えた。広告のプロとして、陶芸家を売り出すためのイメージ戦略を完全に失敗したのではないだろうか。「伝統文化を守るために一身を捧げる寡黙で傷つきやすく陰影にとんだ天才陶芸家」という路線でやれば良かったのに、と悔やんだがあとの祭りである。

 とにかくたいへんな1日が終わった。あ、陶磁郎のこの原稿の締切日だよ。まだ手付かずだよ。うひゃあ。



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