陶芸エッセイ 3 日本伝統工芸展へ焼き立てを搬入

「単身赴任・やきもの扮戦記」 連載第3回

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        連載第3回  「膝の上の鉢」  ('98年/6月掲載)       
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  「膝の上の鉢」                           

 七、八年前のことらしいが、益子在住の陶芸家の逸話は、既に「伝説」になっている。日本伝統工芸展への出品のためギリギリまで窯を焚き、締め切り当日、灼熱の登り窯から作品を取り出した。熱気の立ち上るそれを毛布に来るんで東京へ。搬入会場へ持ちこまれたとき、作品はまだ温かかったという。

「すさまじい執念ですね」
話してくれた陶芸家に言うと、別の陶芸家がもう一つの説を披露した。
「受け付けの机に載せたら、机が焦げたそうだよ」
「ウソだあ」

大笑いしながらも、作品に賭ける思いに空恐ろしいものを感じたのだ。まさか自分がそれに近いことをやるはめになろうとは、そのときは夢にも思わなかった。

 昨夏のことである。同展に出品するために、七月はノイローゼ1歩手前の精神状態で、窯を焚きまくった。前年、思いもよらず(少しは期待はしていたが)、初入選したために、自分の求めるレベルが一気に上がってしまったのだろう。焼いても焼いても気に入らない。入選のレベルに届いていないことが歴然とわかってしまう。それが自分の実力なのに、認めたくない。

 僕の電気窯では、出品用の大物は一回に一個しか焼けない。七月だけで八回の本焼きをした。同じ回数、素焼きもしたから、窯が冷めていた日はほとんどなかった。耐火手袋でさわれるまでに温度が下がれば取り出し、即、次の作品を窯入れするというフル稼働。仕事を持ちながらこんなことができるのは、マイコン制御の自動焼成装置のおかげである。

これは大したキカイで、例えば九時間で950度まで昇温、そのあと十時間かけて700度まで徐冷するなどということが自由自在。最初に設定しておくだけで勝手にやってくれる。窯のスイッチを入れるのは夜九時。プロパンガスで還元をかけるのは朝五時半から三時間と決めて焼きに焼いた。

 輸送搬入は持ちこみ搬入よりも締め切りが早い。日通の美術輸送の人に取りに来てもらった。八個目の大鉢を出品することにした。五個目あたりからは、あと一つ作ったらやめようと思いながら止まらなくなってしまった。どの作品が出来がいいのか、自分ではもう分からない。最後に焼いたものがいちばんいいと思うしかない。最後に焼いた作品を送り出したら、もうすることはない。灼熱地獄の日々は終わったのだ。しかし、後に残ったのは虚脱感だけで、充足感には程遠かった。その時、耳元で悪魔がささやいた。

「持ちこみ搬入日までに、もう一つ作れるかもしれない」

「作ったって同じだよ。終わったんだから諦めようよ」と、正気の理性が抵抗する。しかし・・・。今の気持ちのままでは、すっきりと終われない。同じ負けるなら、やれるだけのことをやって負けよう。負け方が大事なのだ、そう思った。福岡の梅雨葉とっくにあけていた。夏は粘土の渇きがはやい。細工はやりにくいが、間に合うかもしれない。搬入日の福岡−東京便、九時十五分を予約した。こうしておけば、もう逃げられない。

 それからの一週間足らずの日々は時間との戦いだった。たまっていた有給休暇を二日消化したが、ほかのことはよく覚えていない。

 締め切り日の早朝、午前三時に目覚ましがなった。窯の温度は、まだ500度を切っていない。早く冷ますために、窯の蓋を少し開ける。急ぎすぎると冷め割れする。そのあとは、一時間ごとに目覚ましを鳴らして、少しづつ開けてゆく。一回でも寝過ごしてしまったら、飛行機の時間に間に合わない。取り出せるまでに冷めたのは八時半。輸送搬入したものと比べて、いいのかどうか分からない。ラスト・ワンなのだから、いいと思うしかない。
 
風呂敷で包んで、タクシーで空港に向かう。急ブレーキが怖くて座席には置けない。両手で抱えた大鉢の熱が、ジーンズを通してジワッと膝に伝わってくる。ときどき持ち上げないと熱いくらいだ。飛行機の座席でも抱えていたが、その時はもう体温から移ったぬくもりと区別がつかなくなっていた。

 秋風が立つころ、吉報が入った。前回はおどり上がって喜んだのに、今回はヘナヘナと座り込んでしまった。入選したのは、あとから持ちこみ搬入したほうだった。

「あいつ、がんばったなあ」

そんな言葉が口をついて出た。空港に向かうタクシーの中で、あいつが発しつづけていた火のいのちの名残。膝のほてりの感触を、僕は睡眠と塩分不足の日々とともに思い出していた。
  



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