陶芸エッセイ 連載27 「土の器」自白篇

「単身赴任・やきもの扮戦記」 連載第27回

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     連載第27回  「土の器」自白篇  ('04年/6月掲載)     
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連載第27回 「土の器」自白篇

 丸一年もの長きに渡ってシラを切り通した末、ついに観念して自供を始めたのは夕刻のことだった。

 その日は、僕の51歳の誕生日の翌日。こうば(ルビ)での作業を終え、外に停めてある自転車にまたがってからケータイのボタンを押した。電話は長くならないはずだった。岡山の実家では僕の誕生日にいつも赤飯を炊いてくれる。翌日になってしまったが、ひとこと礼をいっておこうと思ったのだ。「元気でやっているのかい」母親といつも通りのやり取りがあった。

そのあとだった。「それで、ひとつ聞いておきたいんだけど・・・。会社を辞めてはおらんのじゃろ?」退職願いを出してから14ヶ月半、退職して11ヶ月半。ついに来るべきものが来た。実家の父母には辞めたことを伝えていなかったのである。「え・・・、うん、まあ・・・・元気でやってるから」

 最初から内緒にしておくつもりではなかった。退職願いを出した翌月には報告するつもりで実家に帰った。「来月で辞めようと思っている」と切り出した。どういう反応をするかで対応を考えるつもりだった。父は「時代も変っているから自分はどうこう言えない。女房とよく相談して決めなさい」という意味のことを言った。困ったのは母親の反応だった。社会で働いたのは女学校の勤労動員で零戦の何かを作っていたときだけで、世間のことには疎(うと)かった。

「それで、会社を辞めたら給料はどこからもらえるの?」この場合、母親が言っているのは反語ではない。「次はどこからもらえるのか」という純粋な疑問であることは長年の付きあいで判る。説明してもムリだと悟った。三泊したが、けっきょく「辞めるつもり」までしか話せなかった。

実家が見下ろせる高台にある墓地にひとりで行き、祖父と祖母に報告した。心に何かを抱えたときには祖母がいつも出てきてくれるのだが、このときもにっこりした顔が浮かんだ。「了解」ということで気持ちが少し軽くなった。三泊したが、けっきょく「辞めるつもり」までしか話せなかった。

 半年後の秋にも岡山に帰った。そろそろ話しておかないと、おせっかいな親戚あたりから情報が入ってしまうかもしれない。父母はパソコンなどいじれないが、知り合いが僕のホームページを覗かないとも限らない。このときも、3、4日実家に泊まった。「帰ってくれるのはありがたいけど、そんなに長く休んで会社のほうは大丈夫か?」と母が聞く。「うん、会社のほうは大丈夫」。会社のほうは、僕がいなくても大丈夫には違いない。ウソは付いていない、と勝手な言い訳を考えた。やはり話せないまま東京に戻ってきてしまった。

 自首するのに二度失敗してからは、もう話さないでおこうと決めた。年寄りに余計な心配をさせることもない。そして僕は大きな勘違いをしていた。父母を見送るまで話せないと思い込んでいたのである。60才になるまで黙っていればいいことに気付くまでにずいぶん時間が掛かった。たとえサラリーマンを続けたとしても、あとわずか九年のことなのだった。

話さないことに決めてから、本気で考えたことがひとつある。どちらかが逝ったとき、会社から花輪が届かないのはおかしい。なんと不人情な会社か、ということになるのは目に見えている。たとえ動転していても手配を忘れてはならない。

 退職して10ヶ月も過ぎると、勤めていることになっていることを忘れてしまう。年賀状の宛名を書きながら妻がいった。「ねぇ、岡山の親戚にもこの年賀状でいいの?」「あ!」印刷を頼んだ年賀状にはホームページのアドレスが入っている。今やパソコンは5世帯に3台の時代である。僕はあわてて手を打った。親戚用にすでに宛名を書いたものをボツにして、アドレス抜きの年賀状を手書きした。

これで安心はできない。去年の年賀状にはアドレスを入れていたから、すでに「お気に入り」に入っているかもしれない。「正月でヒマだから久しぶりに見てみるか」とならないとも限らない。念のために、ホームページの表紙から「毎日が週末陶芸家になりましたが・・・・」の文字を消した。対策は万全のはずだった。

 「もう一度きくけど、会社は辞めてないんじゃろ?」しばらく話したあとで、母はもういちど尋ねた。いま話しておかないと、この先ずっとウソを付き通さなくてはいけなくなる。これはいい機会だと観念した。

「それで、いつ辞めたの?」「一年前」「そんなに前かね・・・・」「何度か帰ってきたのに」「だからそれを話そうと思って・・・」どこから情報が入ったのか聞いてみた。従姉(いとこ)のM子だった。今年の年賀状にこう書いてきたそうだ。「陶芸の道1本に絞られた寧彦さんの今後のご活躍をお祈りします」それは違うと母に言った。1本に絞ったわけではない。やりたいことを拡げるために辞めたのだ。会社との関係は「発展的解消」をしたつもりである。だいたい、お祈りしてくれる親切心があるならタレコミなどするな。

 その年賀状を見てから一ヶ月半のあいだ、二人暮しの父母のあいだでどういう遣り取りがあったのかが想像された。「元気でやっているから、こっちのことは心配せんでいいからね」電話の最後の言葉が身にしみた。

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◎編集部の竹見洋一郎氏のご好意により個展の知らせです

会期 2004年5月13(木)〜17(月)午前11時〜午後7時
場所 ギャラリー・ボヤージュ
東京都中央区銀座5-4-15 銀座エフローレビル5F
TEL 03-3573-3777
 
JR線「有楽町」駅より徒歩3分
地下鉄「銀座」駅より徒歩1分
ソニー通りに入って、エルメスビルから4軒目です。
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※タイトルの『「土の器」自白篇』は、当時TVドラマで人気だった「砂の器」をもじったものです。



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