陶芸エッセイ 連載24 「初窯」

「単身赴任・やきもの扮戦記」 連載第24回

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     連載第24回  「初窯」  ('03年/9月掲載)     
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連載第24回 「初窯」

 今号はス窯特集」とのこと。じつは、新しく入れたガス窯の初焼成を先日終えたばかりというタイミングの良さ。この「初窯」の顛末を報告させて頂くことにしよう。

 台風が西日本を通過したために、当日は関東でも強風が吹き荒れていた。朝6時半に窯に火を入れた。着火ライターのお化けのような、長さ50センチほどの着火用バーナーに先ず点火。その炎を、窯本体の空気取り入れ口に差し入れ、同時にバーナーの栓を開ける。5秒ほどで流れてきたガスに引火して、ボッと火が点く。あとは順次バーナーの栓を開けてゆけば自動的に片側5個のバーナーに点火する。同じ作業を、反対側に回り込んですれば火入れは完了である。点火は初めてではない。窯を長持ちさせるために、500度、800度、1000度とすでに3回の空焚きを経験済みだ。
「やだな、こわいよぅ」「ほんとに火は点いてるんだろうな」「うわっ、シューシューいってるよ」などという独り言は、もはや出てこない。いくぶんへっぴり腰になる程度にまで度胸がついたのである。

 デジタル温度計の数字がぐんぐん上がってゆく。還元に入る前の、午前10時にはメーカーの社長さんがアドバイスのために到着する手はずになっている。彼には全幅の信頼を置いている。窯選びのとき、カタログをもらうためにいくつかのメーカーをリストアップして順に電話を入れた。どこも快く応じてくれたのだが、3社目はちょっと対応が違っていた。カタログを求めると、男性に代わった。どういう焼き方をしたいのか、大きさは、設置場所の様子は、と矢継ぎ早に質問された。「ウチの窯は高いとよく言われるんですけど、高くないんですよ。『窯のようなもの』ならいくらでも安くできるんですけどねぇ」「作家はいい作品を作ることだけを考えていただきたい。窯のことは私たちが考えるから」その口調には並々ならぬ自負が感じられた。

長電話になった。カタログを送ってもらうことになり、また電話することになるだろうと名前を尋ねると、会社の名前と同じだった。「はぁ、社長をやっております」電話を切ったあと、もう次のメーカーに電話する気はなくなっていた。「この人にとっては、窯は作品なんだな」何気なく出た言葉だったが、口にしてみて妙に感動した。自分の今後を託すのは、この人の窯だと思った。思い込みの強さはいつものことである。僕の背丈をはるかに越えた0.6立法のガス窯がこうばに入ったのは、電話から3ヵ月後だった。

 10時過ぎに社長さんが現れた。駅前のホテルに昨夜のうちに入り、今日を期してくれたのだ。温度計に目を遣り、「順調にあがってますね」と言った。強風が吹き荒れているのがホテルの窓から見えたとき、「初窯の日になんと好都合な」と思ったそうだ。「こんな難しい日の窯焚きを一緒に経験しておけば、ふつうの日なら簡単ですよ」頼もしいかぎりである。

 やがて温度計が920度を指した。いよいよ還元の開始である。「2次空気の取り入れ口を閉めましょう。こちら側は私がやりますから、林さんは反対側をお願いします」ガス窯の還元は見るのも初めてである。色見穴から炎が噴き出してくるものと思っていたが、目を凝らしても見えない。彼は色見穴の状態を確認しながら、空気の「引き」を調節するダンパーやブレーカーを操作し始めた。還元に入ってからはそれらは動かさなくていいと、さっき話していたばかりである。彼の矛盾した行動や、小首をかしげたりする様子から、ある疑惑が頭をもたげてきた。もしやこの窯、不良品ではないのか・・・・。

 還元入りして1時間ほど経ったとき、ふと気になって聞いた。「下の空気取り入れ口は、どんなときふさぐんですか?」「え!?」彼は絶句した。「林さん、下をふさいでなかったの!?」還元のときに、上下ふたつの空気取り入れ口をふさぐのはガス窯のイロハだった。先に送ってもらった操作マニュアルにも、たしかに書かれていた。ざっと流し読みして分かったつもりになっていた。何ということだ、僕が担当した左側だけ酸化に近い状態で焼いていたのだ。彼は良好な還元炎にならない理由が腑に落ちず、様々な操作を試していたのだった。「いや、私が悪いんです。私が確認しなかったのが・・・」社長さんは、こちらが恐縮するほど身を縮めた。

 色味穴からの炎が、トロッとした赤みを帯びたものに変わった。「これが理想的な還元炎です」この色には、これからずっとお世話にならなければならない。しっかりと覚えておこうと目を凝らした。4時間ほど立ち会ってくれて、火を止めるときのアドバイスをしたあと、社長さんは都内での打ち合わせのために帰っていかれた。

 丸一日経って、窯を開けた。土曜日だったが、結果を電話してくれと云われていた。熱気が顔に掛かり、最上段の大鉢2個をやっとのことで取り出した。石灰釉を掛けた赤土がとろんとした灰色で、還元特有の冴えがない。もうひとつも、釉裏紅が完全にとんで真っ白。なんだか申し訳ない気持ちが先にたって、しばらく携帯電話に手が伸びなかった。

「最初だから仕方ないです」と云うと、「いや、最初だから完璧にやりたかったです」窯の持ち主よりも、もっとがっかりしている様子だった。すぐに、次はいつ焚くかと聞かれた。「電話で話しながら焚きましょう。そのときまで、私は生きた心地がしませんから、なるべく早くお願いします」
初窯は失敗に終わったが、窯を造る人の心意気にふれて、僕はむしろ晴々とした気分になっていた。



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