陶芸エッセイ 連載22回 26年プラス一年生

「単身赴任・やきもの扮戦記」 連載第22回

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     連載第22回  「26年プラス一年生」  ('03年/3月掲載)     
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連載第22回「26年プラス一年生」

 ついに恋愛関係は戻れない一線を越えてしまった。相手は陶芸である。そもそも、11年前に近所の陶芸教室の門さえ叩かなければ、いや8年まえの九州支社転勤のおりに電気窯など買ったりしなければ、こんな展開は起こるべくもなかったのである。

 26年勤めた広告会社を2月末日をもって退職することにした。これは自分としても唐突な選択となった。定年まで勤めることはないだろうという漠然とした思いはあったものの、こんなに早くその日が来ることになるとは。退職願を出したのは師走の2日。その経緯を書こう。

 僕の勤務する会社には、以前から「活躍する場を社外に求める人のための支援制度」、つまり早期退職優遇制度があって、数年に一度の割合で募集を行ってきた。その発表が11月にデスクのパソコン上であった。時代が時代だけに、今回は人件費削減の意味合いも濃いようだった。対象は40歳以上、定員100名、条件はこれまでよりも良かった。募集開始は12月2日、締め切りは1月末日。ただし、定員に達ししだい締め切る、とあった。念のために申し添えると、借入金ゼロで黒字を計上している優良会社であり、いわゆる「リストラ」ではない。

 手続きの詳細をプリントアウトしたものの、年末年始にゆっくり考えようとのんびり構えていた。事態が急転したのは募集が始まる一週間前のこと。「今回は条件がいいから、初日で満員御礼になるかもしれない」「初日には行列ができるんじゃないか」そんな噂が耳に入った。辞めるにしろ、残るにしろ自分の意思で決めたかった。結論を出す前に定員に達してしまったからとどまる、という成り行き任せで決まるのは嫌だった。

 退職を考えたことは何度かあった。3年前に支社から戻ったときには、3年後の50歳で踏み切ろうと思った。妻の反応は「子供が社会人になるまでは待ってよ。定年まで勤めろとはいわないから」。それを待つと53歳になる。それまでは会社勤めを続けるつもりだった。
 
 今回退職するとなると予定日は2月末日。偶然にも僕の50歳の誕生月である。しばらく前から50歳を指す「知命」という言葉が気にかかっていた。いのちを知るなんてヘンな言葉だな、「人生50年」というのと何か関係があるのだろう、くらいに考えていた。ふと、命というのは「天命」のことだと気が付いた。50歳を迎える僕に、天は何をしろと命じているのだろう。50歳の誕生月に巡り合わせた退職予定日。

 退職を前提に考えてみた。通勤時間を合わせると、残業なしでも一日10時間を費やしている。一ヶ月で200時間、一年で2400時間。退職までの10年なら24000時間が手に入ることになる。制作部署から管理部署に移って一年。陶芸を超朝型に切り替えた。午前3時代にはこうばに顔を出す生活を続けてきた。それでも毎日確保できるのは3時間ほど。朝飯のあと、もう一度こうばに戻りたいという思いにズルズル後ろ髪を曳かれながらの出勤。定例会議で目ぼしい議題もなく椅子を温めているときなど、身体から心が抜け出してゆくような思いに駆られた。

 募集初日を明日に控えた日曜日の午後。僕は妻に将来の設計を説明した(妻にいわせれば、「設計」ではなく「夢のような話」なのであるが)。それまで「聴く耳もたん」という態度だった妻が、「我が家の財政状態を説明します」と言った。テーブルに通帳を並べて、一枚の紙に預金高を足しあげた。僕は家にどれだけの蓄えがあるのか知らなかった。何度か聞かされたのだか、さっぱり覚えられないのである。家のローンはすでに払い終えている。「辞めて、後悔しないのね」それだけ言った。

 募集初日の朝。出勤した足でトイレに行き、個室でもういちど自分の気持ちを確かめてから、一時金支給の申し込み用紙を提出した。引き換えに退職願いの用紙が渡された。人のいない打ち合わせコーナーに行き、慣れ親しんだ従業員ナンバー「77054」から書き始めた。ボールペンが震えるのがわかった。

 午後になって妻から電話が入った。「御社は(妻はこういう)経営統合して世界で8位の会社になるって今聞いたけど、ほんと?」「うん、このあと社長が記者会見するらしい。だけど、もう出しちゃった」「なんだ、出しちゃったの……」

 結局、100人の枠は初日には埋まらなかったようだ。一週間ほどで募集が締め切られて、「受理」が通知された。

 退職願いの用紙には、退職理由の項目があった。僕は正直に書いたのだが妻には笑われた。「年来の夢抗し難く、今回の早期退職優遇制度を利用することに致しました。教わることばかりでした。感謝の気持ちでいっぱいです」




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