陶芸エッセイ 連載20回 おしゃべりなロクロ

「単身赴任・やきもの扮戦記」 連載第20回

津田沼 陶芸教室 TOP > 「やきもの扮戦記」再録 >  連載20回

     連載第20回  「個展をやりたい 下」  ('02年/09月掲載)     
..................................................................................................................................................................................................................
連載第20回「おしゃべりなロクロ」
 
 久しぶりに急須が作りたくなった。コーヒー党を自認する僕は、ふだんほとんどお茶は口にしない。あいにくこうばでコーヒーを切らし、香典のお返しで頂いた九州・八女(やめ)のお茶が出てきたので飲んでみたらおいしかった。体にも良さそうなので、早朝はコーヒー、それ以外は緑茶に切り替えた。

 お茶の効用はほかにもある。素焼きした陶器に鉄絵を描くとき、乳鉢の弁柄(べんがら)にお茶を加えて擂(す)ると、素焼きの肌に筆が吸いつかずに良く伸びる。このとき使うお茶は、急須に残ったものをペットボトルに溜めたもの。良くいえば発酵、悪くいえば腐らせたものである。大型のペットボトルに1本半ほど溜まったが、そのニオイは強烈だ。
 たとえるならば、お茶の葉を主食にする人間がいるとしたら、そのトイレにはこんな臭気が漂うだろうといえば、ほぼ正しく想像してもらえるだろう。これを書くために、さっきあらためて鼻を近づけて嗅いでみたが、あんなことはやるんじゃなかった。

 使っている急須は、陶芸を始めて一年くらいのときに作った代物で、ずんぐりした形がどうにも気に入らない。焼きあがると小さくなることを考えに入れなかったから、大き目の湯飲みに注ぐと半分くらいにしかならない。おまけに重い。そこで新しい急須を、と思い立ったわけである。

 急須はご存知のように部品から作らなくてはならない。本体、注ぎ口、取っ手、ふた、さらに本体と注ぎ口の間に設置する茶漉し。それらを、まるでプラモデルのように、ボンドならぬドベでくっつけて組み立てる。こういう面倒さが性に合わないのだが、気分のいい急須でお茶を飲みたいとなれば作るしかない。

 5、6個作るつもりで、ロクロに向かった。本体から挽き始めた。だんだん調子が出て、フムフムなかなか格調高いのができそうだぞ、と陶酔の境地に入りかけたとき、ロクロの回転音が耳に付いた。我がこうばには10年モノと7年モノのふたつのロクロがある。後者は単身赴任時代に博多で苦楽を共にした愛機で、その日もこちらを使っていた。この頃少々きしむのだが気になるほどではない。それが妙に耳に付いたのは、回転のリズムと同調して、何か意味ありげな喋り声のように聞こえてきたからだ。

シャリシャリという音に耳を傾けると、「ユーメガアールー、ユーメガアールー、ユーメガアールー・・・」。そう言っていた。少し回転を上げてやると、今度は「ソイヤ!ソイヤ!ソイヤ!ソイヤ!」と威勢のいいこと。さらに速くすると、「イソガシイ!イソガシイ!イソガシイ!イソガシイ!」。
 
 一度そう聞こえてしまうと、もう言葉にしか聞こえない。ロクロを回しているあいだじゅう、やかましいことであった。取っ手を挽くときなど、勢いよく粘土を伸ばすと、「イソガシイ!イソガシイ!」は頂点に達する。必死に回りながら忙しがるのがおかしくて、思わず吹き出しそうになった。 

 休日の昼下がりの出来事だったが、「ユーメガアールー」は、とても気に入った。以来、ロクロ作業のときにわざと回転を落として聴いてみることがある。

 このロクロ、まだ3つの言葉しか喋れないが、そのうちに何かとんでもないことを口走ったり、囁いたりするようになるかもしれない。「カーネガナーイー」とか、「ヤルキガナーイー」とか、ヘンな言葉を覚えてしまわないよう、こちらも口を慎むことにしよう。

 さて、6組の部品を挽いた急須は、本体と注ぎ口の組み合わせがどうやっても不恰好になる2個をあきらめて、4個の素焼きを終えたところ。鉄釉を掛けて、撥水剤で模様を描いた上に黒釉を掛ける、いわゆる「抜き絵」の技法で仕上げるつもり。



津田沼陶芸教室 TOP | 受講コース | 短期コース | 陶芸体験レッスン | 教室紹介 | お問い合わせ&地図