陶芸エッセイ 2 電気窯との奇妙な共同生活とは?

「単身赴任・やきもの扮戦記」 連載第2回

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        連載第2回  「デンキガマのダクト」  ('98年/3月掲載)       
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 窯の話をもうひとつ。

 僕の電気窯は還元にプロパンガスを使うタイプなので、ガス屋さんとは懇意にしておく必要があった。イエロー・ページで最寄の店を探して電話を入れた。最寄りというより、界隈にはその店しかなかったのだ。
電話を受けたのは年配の女性で、「ガスを届けてもいいが、ボンベは買って欲しい」との条件付き。その世界の商習慣は知らないが、電気を送るから電信柱は買ってくれと言われたような理不尽さを感じた。しかし、そこはグッと我慢した。友好関係の樹立のためには忍ばねばならぬこともある。
 「あ、それでけっこうです。助かります」と、僕は明るく言った。相手が電話を切ったあと、
「インゴーババア、アシモトミヤガッテ」という声を聞いたのは僕の受話器だけである。

 5キロ入りのボンベが届き、記念すべき初めての還元焼成を行った。
窯の温度が950度に上がったのを確認して、バーナーに点火した。炎が勢いよく窯の中に流れ込んで行く。やがて、窯の上部にある排気口からススが出始めた。
還元はススの出る不完全燃焼だということは知っていたが、予想外の量だ。洗濯物に付かないか心配になる(部屋の中にいつまでもぶら下げているのが悪いのだが)。

そんなことより、怖いのは一酸化炭素中毒だ。東京に戻ったときに、日曜大工の店で排気ダクトを調達するつもりでいたのだが、しばらく出張がなくて延び延びになっていた。福岡にはクルマを持ってこなかったので、郊外の店まで買出しに行けなかった。

 窓を全開にした。風が部屋を抜けてゆくから、とつぜん意識がなくなって倒れるということはないだろうが、一人暮しということもあって恐怖感に襲われる。ときどきベランダに避難して新鮮な空気を吸ってしのいだ。三時間後、ガス還元は終了した。

窯が冷めてから蓋を開けてみると、還元はほとんど掛かっていなかった。赤土に石灰の透明釉を掛けるとグレーになるはずなのに、酸化焼成の時のような茶色のまま。
おっかなびっくりでガスを扱ったため、ガス圧が低すぎたようだ。もっと強くガスを吹き込むとなると、ススと一酸化炭素の量はもっと多くなる。排気ダクトなしの命がけの焼成をこれ以上続けるわけには行かない。

 出張がらみで東京に帰った週末、日曜大工の店でアルミの排気ダクトを買った。長さは1メートルあまり。蛇腹になっているから、窯の廃棄口から屋外にまで伸ばすことができる。
 月曜日の早朝、銀色に輝くダクトをぶら下げて羽田空港に向かう。搭乗手続きを済ませて搭乗口に並ぶ。手荷物チェックのため、女性の係員にダクトを渡そうとしたら、男性警備員がとんできた。

「何ですかっ、これは」
「ハイキダクトです」
「ダクト?」
「はい、電気窯の・・・」
「デンギガマのダクト!?」

相手が、すっとんきょうな声を上げたのは無理もない。「デンキガマ」と言えば、ふつう世間一般には、ご飯を炊くものなのであった。
説明しようかと思ったが、ますます話しがややこしくなりそうなので口をつぐんだ。警備員氏はしばらく手にとって点検していた。
銀色に輝いているものの、指でつまみ上げられるほどの軽さでは凶器にはならぬと判断したのだろう。合点のいかぬ表情のまま、押しつけるように返してよこした。
時、あたかも「地下鉄サリン事件」に揺れていた頃で、指名手配者の写真が空港にも貼り出してあった。

 僕は今でも、アノ警備員氏のことをときどき思い出しては心配している。空港で出会った男のことが脳裏に浮かんで、眠れなくなったりはしていないだろうか。電気窯に排気ダクトを付けてご飯を炊いている風変わりな男のことが、である。

 その後、一酸化炭素中毒の心配はなくなった。ガス還元を行っている皆様、特に冬場はくれぐれも排気には気をつけましょう。



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