陶芸エッセイ 連載18 個展をやりたい 中 |
「単身赴任・やきもの扮戦記」 連載第18回 | |
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連載第18回「個展をやりたい 中」 ある秋の日。 できあがったばかりのプロフィール・ファイルと作品のアルバムを携えてデパートの美術部を訪ねた。 来てくれれば美術部の誰かが応対する、という電話での話を頼りに、当日はアポなしで開店早々の銀座のデパートに乗り込んだ。エレベーターで上層階の美術工芸関係のフロア−に行き、売場の女性に声を掛けた。やがて、五十代と思われる紳士が現れた。会議室を探していたが塞がっていて、作品展示コーナーの応接ソファへと導かれた。差し出された名刺には、美術部門の「専任課長」の肩書きがあった。 プロフィールとアルバムをオズオズと差し出しながら、「プロじゃないんですけど・・・」と思わず言ってしまった。ひどいね、とけなされる前に逃げを打っているのである。 「銀座のデパート」の雰囲気に、僕は気圧されていた。アルバムを受け取ろうとした課長のメガネの奥がキラリと光った。 「プロかプロじゃないかというのは、こだわってません」 少しほっとした。しかし、すぐに言葉を継いだ。 「私たちがプロと言うのは、個展だけでやってゆける人のことです。陶芸教室の経営で生活が成り立っている人は『陶芸家』とは思っていません」 僕は凍りついた。二の句が継げなかった。 「でもね、そう言っていたら世の中に陶芸家というのはほんの一握りということになってしまいますから・・・・」 こちらの緊張をやわらげるように笑った。 アルバムをめくる課長の手元を見つめたまま、言葉を待った。 「独自のものが欲しいですね」 独自のもの? 「独自というのは、一目で誰のものと分かる、その人だけの魅力です」 僕のものが、彼の基準に届いていないのは明らかだった。 「大きな作品でこれだけのものができているのに・・・・」とも言われた。 食器は、これまで大きな作品のためのテストピースのつもりで作ってきた。食器をメインに作り続けている人のものとは比較にもならないだろう。 「こういうところから、みんなスタートするんです。そこから変る人と変らない人がいます」 この道ひとすじで来たという課長は、現在は大家になっている陶芸家の昔の作品の話などしてくれたあと、 「四十代、五十代は大事ですよ」と付け加えた。 「もうちょっとだから・・・」「新しいところに発展していってほしい」 「他の世界(たとえば広告)の何かが作品に入ってくるといいですね」 そんな励ましの言葉が続いた。 そう、「励まし」だけなのだ。具体的な個展に向けてのスケジュールなどは出てこなかった。 別れぎわに、「いずれ連絡しますから」とは言ってくれたが、この「いずれ」と言う言葉はくせものなのである。 広告作りの現場には、「こんど」とお化けは出たためしがない、という言い方があるが、「こんど」も「いずれ」も同じようなものだろう。いや、ニュアンスから言えば、「いずれ」の方がもっと頼りない。 デパートを出て近くの喫茶店に入った。冷静になって思い返してみれば、課長さんのアドバイスはすべて正しいものに思われた。心に残った言葉をメモしていった。飛び込みでセールスに入った者に、一時間あまりも快く応対してくれた。色よい反応ではなかったが、「商品を作る人」として遇された初めての経験だった。適切な助言がいくつもあった。 「そのうち」くらいの日数が経ったと思われるころ、デパートの名が印刷された厚い封書が届いた。ドキドキしながら封を切った。出てきたのはデパートが催す古書展の目録だった。 「なぁんだ!」と声が出たが、しばらくするとこんなメッセージに思えてきた。 「がんばってますか?忘れてませんよ」。 しかし、これでタダでやれる個展を諦めたわけではないのである。 デパートがダメなら、今度は・・・。(以下次号) |
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