脳はいかにして〈神〉を見るか

―宗教体験のブレイン・サイエンス―

アンドリュー・ニューバーグ/ウージーン・ダギリ/ヴィンス・ローズ
 (茂木健一郎 監訳、PHP研究所、2003)

 

宗教を持たない社会はほとんどないようです。人間とその社会を取り巻く環境の中に人間の力ではいかんともしがたい要素がある限り、人間は人間の力を超えた何ものかに説明を求めたり頼ったりせざるを得ないからでしょう。そう考えると逆に、楽園のような世界では宗教は必要なくなるのかもしれません。それはともかく、原始的な宗教の発生の背景は以上のようなものだろうと考えられます。しかし、その背景から宗教がどのように発生してくるのか。今までほとんど明確に答えられたことのないこの問題に、本書が一つの解答を提示していると思われます。

あらゆる宗教の起源、あるいは根底には神秘体験がある、というのが著者の立場です。そして、多くの宗教で神秘体験と呼ばれるものの内容が驚くほど似通っているのは、神秘体験には神経学的な基盤があり、脳の構造と機能がそれを規定しているからだというのです。重要なのは、神秘体験は決して脳の病的な状態や機能異常などではなく、むしろ健康な人間なら誰でも、程度の差はあれ、同様の現象を体験できるということ。多くの宗教共同体で行われている礼拝などの儀式から、時間・空間の感覚や自己意識すら消失する「絶対的一者」の状態まで、すべての神秘体験は、頭頂葉後方の「方向定位連合野」への情報の流れが遮断される「求心路遮断」にその基礎があります。方向定位連合野への感覚情報の供給が抑制されると、脳は自己と非自己の境界を確定して自己を時間・空間的背景の中に位置づけることが困難になるのです。

著者が原始部族社会における宗教の発生の例として想像している物語の妥当性はともかくとして、宗教的体験(神秘体験はその一部)の神経学的基盤を明確にした本書の価値はきわめて高いと思います。

ところで著者は、宗教的信念が中途半端な神秘体験に基づいていると、(他の宗教、または科学に対して)排他的独善的になりやすいといっています。そして、究極の神秘体験を通じて個別宗教の根底には唯一のリアリティがあることに人々が気づけば、宗教に基づく対立や争いはなくなるだろうと期待しています。これは科学的・理性的立場からの宗教批判に典型的に見られるものです。しかし、魔女狩りや宗教戦争や頑迷な教条主義などは、宗教の本質と無関係ではないにしても、最も重大な問題ではありません。

人間の活動に由来する現実社会のさまざまな矛盾(たとえば政治的抑圧、経済的不平等など)は、社会の中で人間的な努力によって解決するべきなのに、それを心の問題に置き換えたり、重要な問題ではないかのように思わせたり、すでに解決しているかのように思いこませる。これは実際に多くの政治的権力が宗教を利用して行ってきたこと、というよりも、政治的権力に巧妙に取り入りながら宗教が勢力維持・拡大のために行ってきたことです。これこそ宗教の最も暗い部分、また決してなくすことのできない部分であり、したがって根底的に批判されなければ成りません。

 

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