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「ああ、雷堂君、お帰り。怪我はない?」
「いや、たやすい仕事であった」
「すまないね、お客さんに働かせちゃって…」

ライドウが戻らぬまま明けた翌日、雷堂は一つの仕事を引き受けることになった。
前の夜、神社に行ってライドウの不明を伝えた鳴海とゴウトは、使者の困惑顔を目にしたという。
ライドウの身を案じてのことではない。
ただ、早急に依頼したい任務があったというだけのことであった。
腕の立つサマナーが数刻所在がわからぬからといって、いちいち心配することもないというのは十分な言い分ではあるが、
「時折あやつらには人の血が通っておらぬのかという気になるな」
ゴウトは鼻の辺りをしかめつつそんなことを言った。
人の血云々に関しては自分たちも大きなことは言えないはずだが、業斗も肯く。
「他所はともかく、うちの当代はまだ子供といっていい年なのだからな。少しは考慮して欲しいものよ」
単にゴウトに共感しているというより、なんとはなしに棘を感じる言葉だ。
「その任務はどのような物か。代わって請け負えるものであれば、我が遂行する」
その棘につつかれて、雷堂はそんなことを言っていたのだった。

任務には困難なところなどはまるでなかった。
筑土町の外れにある館付近で異形が目撃されるらしいので確認し、有害と判断すれば退けよというものである。
見かけた、とか音が聞こえた、という風評だけであって、怪我をしたりなどの被害に遭った人間はいないらしい。
行ってみれば有害ともいえぬ程の小悪魔の悪戯であり、体を怠けさせないのによい運動、というほどのものだった。
鳴海に礼を言われるのが申し訳ないようなものである。
まあ悪魔との闘いなどは、普通の人間から見ればどんなものでも「すごい」と感心するしかないだろう。
自分たちにとっては様々な違いがあっても…

「どうも、おかしいな」
と、業斗が言ったのは、鳴海とゴウトがその報告をしに神社へ行った後である。
ゴウトの催促を雷堂が伝えると鳴海は最初、
「えー、報告とか、また今度でいいじゃないか。そんな重大事件でもなかったんだし…」
と渋っていたのだが、ふと、
「ああ、そうだ。雷堂君が働いてきてくれたんだよな」
あらためて気づいたように言い、
「うん、ちゃんと言ってこないとな」
ようやく腰を上げて、ゴウトと共に出て行ったのである。

「おかしいとは」
雷堂は今更、という思いで尋ねた。
夜が明け、午後になってもライドウがこうして戻らないというのは業斗が口にしなくても十分におかしなことである。
サマナーの日常としてのみ考えればそれ程重大に考えなくともよいようなことであるが、今回は全員が、なんともいえない妙な空気を感じているようである。
「いや、この任務のことだ。簡単すぎると思わなかったか」
「…確かにそうだが」
事件によっては、そういう場合もあるだろう。
だが業斗は更に続けた。
「近づく前からとりたてて邪悪な気も感じられなかった。そんなものを何故ヤタガラスが『急ぎ』として言ってきたか」
「……」

「おぬしの腕を見たかったのではないか」
「む…」
雷堂は困惑した。
だが、心の片隅では(もしや)という思いも、あったのである。
「あのゴウトも言ったように、『上』は、そういうところがある。とにかく、組織なのだからな。暫時でも、こちらのライドウの代理を務めさせようという腹かもしれぬ」
「…見逃してもらっている手前、断れぬだろうという読みか」
雷堂は苦笑した。
「我も見くびられたものだ。試しの任務があんなものとは」
てっきり業斗も同意して笑うかするかと思ったが、黒猫は表情を崩さない。
「代理の者に万が一のことがあってはいかんからだろう」
「……」
代理、というところを強調して言う。

「下らぬことを考えるなよ」
「わかっておる!」
つい声が荒くなる。
自分でも気づかぬ心の奥底まで見透かすような目付け役の凝視に耐え切れず、雷堂は事務所を出た。
その足は主のいない所長の部屋に向かった。
いけない、違う、と思いながらも慣れたドアを開け、足を踏み入れる。
起きたままに直してもいないベッドの掛け布がだらしなく床に落ちかけている。
それを手にとって戻そうとして、雷堂はしばらくそのまま布に顔を埋めた。
なじんだ香りがまといつく。
(鳴海…)
溢れそうになる思いがどちらに向けられているのか、今は自分でもよくわからない。
そのままベッドに腰をかけた時、雷堂は枕の陰にある物に気がついた。
(これは…)
雷堂は知らず、唾を飲み込んでいた。
数々の時空を繋ぐアカラナ回廊への道を開く、天津金木だった。


その夜、鳴海は遅くまで帰らなかった。
神社から筑土町へは一度戻ったのだが、すぐにまた、
「ちょっと、情報集めね」
と、そのまま踵を返して出て行ったのだ。
ライドウもやはり帰ってきていない。
神社の方でも様子が知れないらしい。
(また、銀座町のカフェーや料亭に行ったのか)
それとも、深川や霞台など、ライドウの立ち回りそうな辺りを回るのか。
(とにかく、鳴海が帰ってきたら金木のことを聞かなくては…)

昨日の朝自分がここに来て、寝ている鳴海を見た時には無かった筈の天津金木。
そのヤタガラスの秘宝がここにあるということは、前の夜神社に行った時に使者から受け取ってきたのだろう。
普通に考えればそれは、雷堂と業斗に「帰れ」と言っているのだ。
少なくとも使者の意図はそうなのだろう。
だが鳴海もゴウトも、自分達にはそれを伝えない。
そして腕試しのような任務依頼。
(何故…)
代理として事足りれば、このままでよいということなのか。
それとも単に自分たちの意志を尊重して、帰ると言い出すまでは猶予しているということなのか。
聞かなければならない、と雷堂は思った。


「あ、それ…」
夜半、自室に戻った鳴海をつかまえて聞くと、鳴海はいつになく口ごもった。
雷堂は意外に感じた。
今までどおりに軽い調子で、
「ああ、見つかっちゃったか」
などと笑いを見せるのだろうと予想していたのだ。
(やはり、帰るように言わねばと思いつつ、言いそびれていたのだろうか)
雷堂は鼓動が少し速くなるのを感じた。
「や…恥ずかしいな」
鳴海は更に意外なことを言い出した。

帽子を取ってテーブルに放り、上着も脱いでベスト姿になった鳴海は、少し頭を振るようにしてから、コーヒーテーブルの椅子に腰を下ろした。
「いいかな」
雷堂が肯くのを待って、紙巻に火をつける。
「ああ、ごめん、君も座ったら」
言われて雷堂がベッド脇の椅子に座る間に、大きく煙を吸い込む。
「神社で渡されて預かってきて、…いや、馬鹿な話なんだけどさ」
そういう鳴海の口調には少し軽さが戻ってきている。
口元には、少し歪んだようではあるが、笑みも見える。

「枕に敷いて寝てみたら、ライドウの…こっちのライドウのことわかるかな、なんてさ。ほら、それってライドウが何度も使ってたやつだから…って、関係ないし、大体俺全然そんな才能ないのにさ」
鳴海は照れを隠すためか、大げさに両手を振りながら言う。
紙巻の灰があたりに飛び散る。
(鳴海…)
雷堂は心の内が沈むのを覚えつつ、ああ、やはり…と納得もしていた。
(やはり鳴海は、こちらのライドウが大事なのだ)
そんなことは当たり前だ、と頭ではわかっている。
単なる所長と助手であっても、もうかなり長い間苦楽を共にしてきた筈の相手だ。
ほとんど同じ容姿や力量であっても、他の人間では代わりにはならない。
だが、心の中にそれについていこうとしない部分があった。
その部分が、雷堂にこんなことを言わせた。
「鳴海、抱いてくれ」

「え?」
鳴海は目を見張った。
雷堂は口を挟む隙を与えまいと、続けて言った。
「一度だけだ、そうしたら帰る」
言いながら立ち上がって鳴海の前に行き、目線を合わせるように膝立ちになる。
何か言おうと開きかけた鳴海の口を封じるように、雷堂は続ける。
「我が帰ればライドウは戻ってくる。きっとそうだ。だから」
続ける雷同の口が今度は止まった。
(え?)
鳴海は紙巻を灰皿に押しつぶすと、両手を伸ばして雷堂の体を引き寄せ、自分の膝の間に座らせた。
緊張で息を詰める雷堂に、普段と変わらない優しい目を向ける。

「君も心細いんだよな。でも、大丈夫だよ。君のせいじゃないよ、ライドウのことは。好きなだけいたらいいんだ。カラスのお姉ちゃんなんか気にしなくていいから」
そう言って軽く抱きしめ、背中をさするように撫でる。
初めの夜もこのようだった、と思い出す手の動き。
(完全に、子供としか見られておらぬか)
雷堂はふっと気が抜けるのを感じた。
同時に、何か温かいものがしみ渡り、心の頑固な塊を溶かしていくように思えた。
(根拠のない、だが安心させる言葉…受け入れてしまいたくなる…)
だが雷堂には、もう自分の義務がわかっていた。

「いや…我も業斗も感じておる。この異変は我らが来てはならぬところに来たせい…」
「君…」
優しさからだろう、否定しようとする鳴海を抑えて雷堂は続けた。
「どちらにしても、我は自らの時空に戻ってサマナーとして務めるのが義務なのだ。いつまでもわがままでそれを放棄していることは許されぬ」
「そうか…」
鳴海は安堵したような表情を浮かべたが、心なしか少し淋しそうにも見えた。
雷堂はゆっくりと鳴海から体を離して立ち上がりながら言った。
「ライドウはきっとすぐに戻る」
「優しいな、君は」
思いがけないことを言われて雷堂の足が止まった。

「いや、だから甘えちゃって…カフェーとか、料亭とかさ。いかにも俺だってやる事はやってるんだぜみたいに見せたりして…」
鳴海は目を伏せ、苦笑しながら言う。
雷堂はまた少し、義憤のようなものを感じた。
「恥じることはない。こちらのライドウにも教えてやればよい」
そう言うと鳴海は少し真顔になって、首を振る。
「君がなんでこっちに来たのかはよく知らないけど、たぶん、ちょっと息抜きをしたかった感じなんじゃないか?普段と違うとこで」
「……」
そうではなかったのだが、
(しかし、結局はこの鳴海のお陰でそういう結果になったようだ)
雷堂はそう思い、肯いた。

「俺もそうなんだ。お客の君と気楽に歩いて、息抜きをしたんだよね。ライドウは仕事のパートナーで、男同士で、年は離れてるけどあいつの方が色々有能だろ。だから余計、なんか下らない意地だけど、頑張ってるとこなんか見せられない、でもいざ俺が必要となる場面が来たらやってやるぜ、って感じになるんだよ」
そんな風な関係というのもあるのか、と雷堂は目を瞠かされた。
(これも、一つの絆か…)
自分の言葉が大仰だと照れたのか、
「君のとこの俺も、きっと同じだよ」
鳴海はそんなことを言い、
「あ、これじゃ自画自賛かあ?」
と、また笑う。
(そのように考えたことはなかったが…)
今までとは少しだけ、「鳴海」のことも違う目で見られるかもしれない。
雷堂はそんなことを思った。
ライドウの部屋に戻ると、猫たちは安心したような顔でこちらを見ていた。

***

次の日の朝、雷堂と業斗は、鳴海とゴウトと共に神社へ向かった。
出頭、というような心持ちである。
使者は内心はわからぬが、とにかく異なる時空の旅人を優しく迎えた。
「この度は事故でやむなく違う時空に渡られ、さぞご苦労だったことでしょう。ようよう術を使う体力が戻られたよし、お喜び申し上げます」
そんなことでないのは十分承知のくせに、そんなことを言う。
しかしこれも物事を摩擦なく運ぶ大人の知恵であろう。
雷堂も業斗も、真面目くさってお言葉を聞き、異界送りの儀式を行ってもらう。
ゴウトは一応自分も同行するかと尋ねてきたが、帰りに異界で一人にすることになるのが危ぶまれた。
鳴海は異界には入れないのだから…

「違う時空とはいえ、見慣れた町だ。以前と違い、俺たちもあれから様々な異界にも入っている。心配はない」
業斗が言うと、ゴウトも肯いた。
「世話になったな」
業斗が鳴海に向かって言った言葉を雷堂は伝えた。
「…感謝している」
やや迷って、自分の思いも付け加える。
鳴海は普段と変わりない笑みを浮かべている。
だが最後に、素早く雷堂に近づき、耳元でささやいた。
「もしライドウに会っても、ゆうべの話は内緒だよ」
「心得た」
雷堂は答え、会うのはこれで最後になるであろう男と目を交わし、目を閉じた。
回りの空気が変わった。



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