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「おや、あなたはいつぞやの十四代目…また何かの事件なのですか?」
「…違います…たぶん」
「それでは、一体?」

神社でヤタガラスの使者に問われてライドウは返事に詰まった。
ライドウがいるのは本来いてはならない時空--雷堂の存在する時空の神社のようだった。
だが、自分でもなぜここにいるのか、よくわからなかったのである。

(確か、授業がすべて終わって校門から出て…)
ライドウは順を追って思い出そうとした。
今回は、記憶が失くなっているわけではない。
学校の前の道路に出た時、少し離れたところから人々の声が聞こえたのだった。
「なんだ、あれ?」
「霧か?」
急いで声の方に向かうと、路地の真ん中に異界に通じる穴があいていた。
中からは魔がいくつか、這い出してきそうにしている。
と言っても、それが見えるのはライドウだけで、他の人々にはただ黒っぽい霧が漂っているようにしか見えないだろう。

「危ない、逃げろ!こちらへ来るな」
人々を追いやり、自分は盾になって裂け目を閉じる呪を唱えようとした。
だがしばしば侵入しようとする魔の相手で中断させられる。
一気に片をつけようと、一歩足を踏み出した。
そこは既にじわじわと広がっていた異界の底面だった。
しまった、と思った瞬間異界は内側から閉じ、ライドウはそれに飲み込まれた--
ような気がする。
気がつくと、ここの神社にいた…

「なるほど、時空の狭間に綻びが出来、異界の出現が起こりやすくなっているようですね。また、大変に不安定でもあるらしい…」
ライドウの話を聞いて、使者はうなずいた。
だが、厳しい表情はまだ和らがない。
「お尋ねしたいことがあります。こちらの雷堂のことですが」
「あ…」
「お心当たりがおありですね」
ライドウが答える前に、使者は大方を察しているようだった。
「先日、こちらの鳴海が珍しくここに参って、雷堂のことを聞いてきたのです」
「心配されているのでしょう。すみません」
「あなたが謝ることはありません。雷堂のわがままなのでしょうから」
使者はそんな風に言う。
「違います、アカラナ回廊で怪我をしていたので、自分が連れていって…」
誤解を解こうとライドウが言っても、使者は、
「怪我をしたならこちらに戻ればよい話。なぜわざわざ別の時空に行く必要がありますか」
と切り返す。

「悪魔との闘いで、疲れていたのです。『今は帰れない』と言っていました」
ライドウが重ねて抗弁をすると、使者は黙ってしばらくこちらを見つめた。
「…確かそなたは、以前こちらにいた間の記憶が失くなっていたのでしたね」
急に話題が変わったのでライドウは少しとまどったが、
「はい、でもここで角柱を合わせて天津金木を作っていただいて、雷堂君の力で帰れたことは覚えています」
「他には」
聞かれて、ライドウは考えた。
だが、その時もおぼろにしか浮かばなかった消えた記憶だ。
今となっては、まったく手がかりもない。
雷堂の傷のある顔は時折夢で見たような気もするが、本来の記憶を取り戻した後でも会っている人間なのだから、どちらの記憶と区別のつけようもない。

「すみません、わかりません」
「業斗童子に聞いたりもしなかったのですか。記憶のない間のことが、気にはならなかったのですか?」
「何も、問題はなかったと言われたので…」
ライドウが正直に言うと、使者は苦笑のような笑みを浮かべた。
「そなたは、変わりませんね。まあそれを言えば雷堂もそうなのですが」
「……」
どう答えたらよいのかわからずライドウがしばらくそのまま立っていると、
「天津金木は今はあちらの世界にあるのでしたね。つまり雷堂がこちらに戻ってくるまではそなたは帰れないことになります。筑土町の事務所に行って鳴海にその旨を伝え、世話になりなさい」
使者はそれだけ言うと去ってしまった。

***

筑土町に行ったライドウは探偵社のドアをノックした。
普段ならそんなことはしない、自分の家も同然の場所だが、とにかく今のここは他人の領地である。
「はい、開いてますよ、勝手に入って」
こちらの鳴海らしい声が聞こえた。
いつもの机の前に座っているようだ。
同じ声だが、少々投げやりに聞こえる。
(雷堂がいなくて、心配なのだろう)
「失礼します」
言ってドアを開けると、鳴海はあっと目を見開いて立ち上がり、こちらに走り寄った。
「雷堂!帰ってきてくれたんだな!」
ライドウが返事をする前に鳴海はライドウの体をマントの上からきつく抱きしめていた。
「よかった…本当に…」
「あ、あの」
「悪かった、もう二度とあんなことはしないから許してくれ」
「あんなことって」
息苦しさを覚えつつライドウが聞くと、
「そんなこと、言わせなくてもいいだろう。もう絶対…え?」
ようやく鳴海は違和感を感じたようである。
少し体を離して、ライドウの顔をしげしげと見た。
「君は、もう一人の…」
「…すみません」
落胆をあらわにしている鳴海に、ライドウはそう言うしかなかった。


「そうか、今度は雷堂が君の世界に…」
「すみません」
事務所で来客用の椅子に座り、鳴海の淹れてくれたコーヒーを飲みながら、ライドウは経緯を語った。
「いや、君が謝ることはないよ」
「でも…」
「気にすることないって。あの時は君に助けられたんだから、今度はこちらが面倒みなくちゃな」
そう言われてもライドウにはよくわからないので、黙ってコーヒーを啜る。
鳴海もそれを思い出したらしい。
「そうか、その時のことは覚えてないんだったな。あの時、俺と雷堂はその、喧嘩をしててさ、こじれてたんだ。でも君のお陰で仲直り出来たんだ」
「喧嘩…ですか」

「君たちは喧嘩とかしないの?君と、そっちの俺は」
聞かれてライドウは当惑した。
そんな事態は想像したこともない。
たまに鳴海のだらしなさや、遊びを優先させる癖に呆れることはあるが、それだけのことだ。
鳴海の喧嘩といえば、ゴウトに渾身のマッチ棒建築を壊されて怒って追い回すくらいのものだろう。
どのみちそれも長続きはしない。
「そうか、いい上司と助手、そういう関係なんだな」
「はい」
「うん、そりゃいい。そういうのがいいよな」
ライドウの答えに鳴海は少し淋しそうな笑みを浮かべた。
(…?)
不思議に思って、ライドウはドアを開けた時の鳴海の反応を思い出した。

「鳴海さんとこちらの雷堂は、また喧嘩をしたのですか」
ライドウの質問に鳴海は飲みかけていたコーヒーを吹き出しそうにした。
「う…相変わらず直球だね」
頬が赤らんでいる。
ライドウが答えを待っていると、渋々という様子で、
「ま、まあそういうことなんだよ。それで、俺がひどいことを言ってしまって、あいつは飛び出しちまった。ヤケになって無茶しなきゃいいと心配してたんだけど、とにかく違う世界でも元気にしてるなら、まあよかった…」
途中で言葉を止めるのを怖れるかのように、立て板に水といった調子で話す。

(ひどいことって、何だろう)
後で思い出したら聞こうとライドウが思っていると、
「とにかく、遠いところから来て疲れただろう。雷堂の部屋で少し休むといいよ」
どこかで聞いたようなことを言い、ライドウは見慣れた小部屋に案内された。
雷堂の部屋は当然のように、ライドウ自身のものと広さも家具も同じである。
だがベッドは綺麗にメイクされ、長い間使っていない物のようだ。
ライドウも任務が続いて長く帰れない時もあるが、それでもこんな風にしてはいない。
(自分よりも神経が細かそうだったから、きちんとしているんだな)
帰る時にはちゃんとしていかねば、などと思いつつライドウはそのまま眠ってしまったようだった。

***

目が覚めると、翌日の朝だった。
(随分、眠ってしまった…)
自分では気づかない疲れがあったのだろう。
顔を洗って事務所に行くと、鳴海は既に机に向かってコーヒーを飲んでいた。
机の上には新聞が広がっている。
「ああ、おはよう」
向こうと同じ、気さくな挨拶だ。
「すみません、寝坊してしまって」
「昨日から、謝られてばかりいるな」
「すみませ…あ」
頬が熱くなるライドウを見てまた笑う。
「気にしなくていいよ。ここでは君はお客なんだから、気楽にしてたらいい」
「はい。でも…」
なんとなく、気にかかることがあった。
鳴海はそれを見逃さず、聞いてくる。
「何?あ、とにかく座りなよ。お客さんに立ってられると、こっちも落ち着かないし」
「はい」

ライドウは昨日と同じに、来客用の椅子に座った。
鳴海は気軽に、もう一客カップを出してきて、コーヒーを淹れてくれる。
「有難うございます」
「今日は、マンデリンだよ」
豆に凝っているらしいのも、向こうの鳴海と同じだ。
もっともライドウにはあまり詳しい違いはわからない。
だがとにかく熱いコーヒーは気分をすっきりさせてくれるようだった。

「それで、どうしたの?」
「今、天津金木は向こうの世界にあるんです」
「アマツ…何?」
鳴海は目をしばたいている。
雷堂がそういう話をしていないのか、聞いても流し聞きで忘れてしまっているのかなのだろう。
(どちらかといえば、後の方がありそうだ)
「ええと…時空を行き来するのに、使うのです」
ライドウは簡単に言った。
鳴海もそれでわかったらしい。
「ああ、じゃあ君が自分で帰るのは出来ないんだ」
機能さえわかれば、理解は速いようだ。
「はい、ですから使者の人も言っていたのですが、こちらの雷堂君がそれを使って戻ってきてくれないと…」

「そうか。それで、俺たちが喧嘩をしているのが心配なんだな」
鳴海はライドウの言葉を先取りして言った。
基本、頭の回転は速い人間である。
「でもその点は、雷堂もあっちの世界で君がいなくなったんだから、心配して一度こっちに帰ってくるんじゃないかな」
「……」
鳴海の安心させるような言葉にも、ライドウはすぐには肯けなかった。
言葉が足りないと思ったのか、鳴海は続ける。
「昨夜ちょっと考えたんだけどさ…いや、俺はただの人間だから君たちみたいに違う時空を繋ぐ回路とか入れないし、悪魔も見えないし、業斗の言葉だってわからない。とにかく普通の世界の感覚でしか物事を考えられないけど…」
鳴海の真面目な顔は、頭を論理的に使う時に見せるものだ。
そういう時の鳴海の考えはかなり鋭く、どちらかと言えば体を動かす方が得意なライドウは、いつも感心するしかなかった。

「なんていうか、やっぱり一つの場所に、それぞれ違う場所にいるべき人間が二人揃ってるってのは、バランスが悪いんじゃないかと思うんだよね。こう…全部の時空が一つの体みたいなものだと考えたら、の話なんだけど」
ライドウの時空も、雷堂の時空も、その他もすべて含むような大きな世界を想像する、ということなのだろう。
「そうですね…」
普通どころではないスケールの大きさに、ライドウは相槌を打つのがやっとだった。
「だから、今度のは…君がこっちに来たっていうのは、その体がバランスを取ろうとしてやった、みたいなことなんじゃないかとね…」

「……」
ライドウはしばらくかかって鳴海の言葉を咀嚼した。
一つの時空に二人の十四代目。
(それを「気持ちが悪い」「落ち着かない」と感じた大きな「モノ」が自ら動いたということか…)
前回は時空が安定していたのでその程度の僅かな歪みは見逃されていたが、今回はそうは行かなかったということかもしれない。
その伝で考えると、あちらの時空で増えている異界現出も、少し前の大事件の後遺症というか、体が身震いをして、穢れを振るい落とそうとしているという風にも思える。
「そうしたら…」
「うん、だからさ、たぶん間違いだったんだよ、君の方がこっちに引っぱられちゃったのは。きっと雷堂もすぐそれに気づいて戻ってくると思うんだ。そりゃ、俺のことは怒ってるだろうけど、やっぱり違う場所にいたら落ち着かないだろう」
「……」

ライドウは肯けなかった。
鳴海は怪訝そうな顔になる。
「俺の考え、馬鹿げてるかなあ?」
ライドウは首を振った。
「いえ、すごく正しいと思います」
「だったら…」
「そんな、すごく大きな世界の体から見たら、どっちのライドウがどっちにいても、あまり変わらないんじゃないでしょうか」
「え?」
鳴海の目が丸くなった。
「自分たちは、姿も年も力もほとんど一緒です。どちらも葛葉の十四代目として、同じ帝都を護る務めです。だったら、どちらがどちらにいても、同じじゃありませんか」

「ちょっ…それは、違うよ!全然、違う!」
鳴海は興奮して両方の腕を上下させている。
「でも、使者の人がそれほど慌てていないのは、やっぱり、どちらでもいればいい、と思っているからでは」
「ああ、カラスのヤツらならそういう風にも考えるだろうよ。むしろこの場合その方がいいとすら思ってるかもしれん」
鳴海は苦々しそうな顔で言う。
「あいつらは人の気持ちとか考えてないんだ。サマナーなんて便利な道具扱いなんだよ」
「……」
「ま、まあ、帝都の人々を護るためにはそういうことも必要なんだろうけど…」
ついと日頃の思いを吐き出して、鳴海は我に帰ったようだ。
「でも、それとこれとは別だ。姿や力が同じだからいいとかいう話じゃない。君だって、元の世界の方がいいだろう?俺よりも、元の鳴海の方が」
「自分はそうですが…」
「ん?」

ライドウは、自分でも何を言おうとしているのかよくわからなかった。
だが、その時ライドウの頭には何故か、多原屋から仲睦まじげに帰ってきた鳴海と雷堂や、翌日の夜、酔った鳴海を心配そうに背負っていた雷堂の姿などが浮かんでいたのである。
(業斗は、鳴海さんが雷堂を誘って遊びに行ったと言っていた…昼前から出かけて、あんなに遅くまで…)
「きっと、間違いじゃないんです。あっちの鳴海さんやあの雷堂君や、そして自分もきっと、あの二人があそこにいる方が合っていると感じたんです。だからバランスを取ろうとした世界はそれに従って動いて…」
「おい、ちょっと待ってよ、それはどういう…」
不意に鳴海の声が止まった。
不思議に思って鳴海の顔を見上げたライドウは、自分の頬を何かが一筋流れているのを感じた。



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