【えごロジー】 |
↑うわっちゃ、おやじギャグ……。 |
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『日本人の一人当たり、一日分の消費エネルギーを単純にカロリー計算する。それを労働者の一日分の必須カロリーにムリヤリ当てはめると、60人分(→【数々のスージ】)』 この数字、聞いた当時は本当にショックだった。考えようによっては僕らの生活は、『60人のドレイを常に雇っている』からだ(4人家族なら、240人!!)。 車に乗る時、「オラ、走れぃ!」とばかり何十人のドレイに鞭をくれてやるようなもんだ。ヒーターを点ければ、また何十人か出てきてせっせと熱気を吐く。電灯を点けても、何人かが静電気を起こすためにがんばってスリスリしている。想像のドレイの人権を無視すれば、かなり贅沢な気分になれる(ちょっと『ヤプー』的で、ヴォミタブルだけど。以下はこの『ドレイ・エネルギー』をカタカナで『ドレイ』と表記します)。 ふと、世界平均ではどうなんだと思ってみた。1996年の一人当たりエネルギー消費(石油換算・年間)を比較してみよう(参考:世界国勢図会2000-2001)。 アメリカ:8044kg 日本 :3661kg インド : 297kg 世界平均:1464kg これはアメリカがダントツトップ。日本もかなり使っている。日本のデータをさっきのドレイ60人で割ると、ドレイ一人につき石油61kg分(/年)だ。この数値で、他の国を比較すると、 アメリカ=130人、インド=5人、世界平均=24人、となった。 (こんな計算に各国別の労働者カロリー消費を当てはめても意味が無いので、割愛します。) ちなみに、四大文明発生時の世界の一人当たりのエネルギー消費は、現在の19分の1だったらしいので、当時の『ドレイ』の数は、1.3人ほどだったようだ。 インドが、石油文明の今でも限り無くエコロジカル(いや、ちょっと限り無さスギかも)なのに、我々先進国は一体何なんだ。『ドレイ』という強烈な言葉こそ、この異常さにふさわしい。
しかしさらに、この言葉の持つ本当の恐ろしさは、『エコロジー』というカテゴリーだけには収まり切らない。 南北問題だ。 現状の世界システムでは、結局南側は搾取され続け、北側の贅沢三昧に供され続ける。南北問題は単なる貧富の差なんかじゃない。先進国資本による経済囲い込みが、それこそグローバルに展開・維持されている。南側諸国の名だたる産品の小作農が、ちっとも僕らのような『ドレイ酷使的豊かな生活』ができないのを見れば、一目瞭然だ。 先進国側の僕らは、彼らの生き血をすすって生活しているようなものだ。「そんなのワタシ、してません」と言ってもムダ。結局見えにくい部分で、僕らはこのシステムの中に組み込まれてしまっている。 先日アメリカは京都議定書(二酸化炭素排出の制限条約)を蹴ったが、これはただのエゴ賛美主義者が、「自分達(これに僕らも入れられてしまう!)中心の大量消費経済を継続します」と、破滅への道を高らかに歌い上げるようなものじゃないか。もしくは、「じゃケツ拭きはヨロシク」と、部下に二重帳簿の残業を押し付けて、会社の金を手に歓楽街へと消える社長のような振る舞いだ。 そもそも、世界全人口がスタンダードに130人の『ドレイ』を使い始めたら、それこそ地表は荒れ野の果てだ。物質至上の世界観での平和と繁栄の達成は、もうムリな時代なんじゃないだろうか。 といって、全員がそうはできないような、(『自由経済』と銘打ちながらの)アメリカを頂点とする搾取経済ヒエラルキーの完成など誰が望むだろう。今の資本主義理念を『必ずしも最高だとは思っていない』程度の理性があるなら、即座に京都議定書を受け入れるべきだ。アメリカ第51州の国民として(←オイオイ)、これだけはお願いしたい(さもなくば、『分離独立』かなァ)。
最近、久々に会った知人から、『僕らは一度破滅するしかない』という言葉を聞いた。確かに、思慮深い文章にも多く言われることだ。ホーキング博士も『このままだと1000年以内に地球の生命環境は滅びる』と言っている。 エコロジーやリサイクルなど、他の理念の萌芽もあるが、全体の流れを変えるには極めて脆弱だ。欲望全体を罪悪視するつもりはないが、『数の暴力』は、この母星をどんどん破滅に近づけている。 民主主義・人権思想・世界平和と、できれば資本主義にも裏打ちされていて、なおかつ破滅を回避する方法は、僕にも全く思いつかない。(『フォーマット・リアル』や宇宙開発は、まだまだアテに出来ませんので……。) ここらが人類の限界だろうか。 ――果たして、そうだろうか? 今の世界人口は、今まで生きてきた人々の累計の3分の1近くを占めているはずだ(※)。人口が増えすぎたこと自体、問題なんだけど、ともあれ僕らは未曾有のアイディアや情報の数量に直面している。60億人全員が一日考えれば、1650万年分考えたことになる(※)。これが僕等の総力だ。全人類の叡智を結集すれば、『全く何もできない』なんてことは、ないはずだ。 そう、便利な場所もすでに……"ここ(=ネット上)"に、用意され始めているじゃないか。上手くやれば、僕らは即時性と柔軟性に富んだ『直接民主主義』をも、手に入れられるかもしれない世紀に突入したんだ。 そしてまさに今――僕らは人類の歴史の、3分の1近くを担当し、創造しているのだ。 (2001/04/08-10)
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