雑感 2001/04 |
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ついさっき、某公共放送のホームページに立ち寄ると、小泉内閣の閣僚名簿が掲載されていました。 うーん……。 僕が懸念するのは組閣人事ではなくて(外務大臣:田中眞紀子、最高じゃん)、そのホームページについてです。 文字サイズの変更がまったくできない。 プロフィールなどは小さい字をCSSの固定サイズで組んでいるため、ご老人など目の弱い方の中には判読不能だった人もいたのではないでしょうか。 僕のゴッドリンクからリンクさせていただいているHPでも、CSSなどで綺麗にデザインされたページがあります。大抵は個人ページなので、デザインを重視した結果、閲覧者を物理的に制限することになるのは、ある程度仕方の無いことだと思います。 (僕のHPも、ネットスケープとIE以外は、今のところちゃんと考慮していませんので、エラソウなことは言えマセン。〔2001/05/23:おいおい、『戻る』ボタンもネスケじゃ中途半端だぞ。確かにエラソウなことは、言えんなぁ……。〕) しかし、公共放送が組閣という最重要課題をネット上で掲載している場合などは、もう少し色々な人に対応できるHPの方が、良いのではないかと思います。もちろん弱視の方々がそれなりの他の設定を自分でできているなら話は別ですが。 僕は、こういったところをユニバーサル=デザインにできるのが、IT(Information Technology)の本領の一つだと思います。なるべく人間側の"GUI(←目)"の良し悪しなどで、デジタル=ディバイドが拡大しないようなWEB社会を目指していきたいですね。 (僕のHPは、自分の目が疲れた時用に(?)、ほとんど文字サイズの変更を受け入れるコンセプトで作成してイマス。しかーし! ディスプレイを640*480にすると……。おお! 反対に僕のページが読めなくなった!! アクセシビリティ、まだまだ奥が深そうです……。)
『狂者進取』という言葉がありまして、「中庸に立ち行くことができない時には、傍から見ると狂ったように猛進する者こそが、活路を開く」という孔子の教えです。(僕の好きな言葉の一つです。誤解なきよう。) 『中庸』が凡庸・愚鈍に成り下がってしまいかねない政治の窒息・頽廃期であるなら、今小泉さんが選ばれたのは、申し分のない選択かもしれません(この辺、組閣見てからの判断が良いか? まあとにかく、期待してま〜す)。 しかし小泉兄ィ(←以前のヤンマガ(?)連載時のニックネームっス)、『国軍』という単純名称には反対ですヨ、僕は。 確かに日本の防衛費は世界屈指で、近隣諸国に『それ軍隊ちゃうんか?』という批判も免れず、転じて国内では無用の風に言われ……自衛隊はさんざんです。 でも、爆撃機も空母も戦略ミサイルも無いこの『自衛隊(the Self-Defense Force)』が『国軍』という名称になれば、将来的に『攻撃もオッケー?』にしてしまう可能性を包含してしまいます。 (ちなみに『自衛隊』の合憲化は(個別的自衛権の範囲では)、ほぼ賛成です。『鍵を付ける?付けない?』程度の解釈ですけど。※) パワー=ポリティクスのみが真実ではないことを、わが祖国にこそ具現してもらいたいというのは、愚かな理想でしかないのでしょうか?? ――吉田茂は、偉大すぎたのでしょうか。 (※「じゃあ我々は泥棒だとでも言うのか――?」 「――この街に泥棒がいないとは、誰にも言えないでしょ? ただ、僕は自分が泥棒になりたくはないし、 泥棒の迷惑を被りたくもない。それだけ」)
『窓の中の物語』の作者、BE-iさんのページで青空文庫を知りまして……。 『てきすたー』の新作辞書のために、参考文章をピックアップしようとして、青空文庫のHPに行ったのですが……。 なななんと! 奇才、宮武外骨の作品も置いてあるじゃあーりませんかっ!! 今サワリだけ読んだんですが、やっぱサイコー。 こんなのまで置いてる青空文庫、とっても、ナイスです。 (しかし、参考文章はゲットできてなかったりして……。)
マウス内部の歯車の軸受けが相当ヘタっていて、中をこじ開けてセロテープで補強したりしていたんですが、もう限界。 で、新しいのを買ってきました。 なんだ、この『スクロールボタン』はっ!! なんかオモシロイぞっ!! これなら、別にスクロールバーを意識してHPを製作することも無いんですネ。なるほどなぁ。 便利な時代になったもんだわさ〜(←てゆーか、あんたが浦島太郎)。 ちなみに、『PS/2端子対応』を、「最近のマウスは、プレステにも対応してんねんなぁ」と思っていた……がーん。
ゆきすぎた大量消費社会や均質的な『スタンダード』の強要に異議を唱える気持ちから、ついついアメリカに反発してしまうんだけど、今回は援護射撃。 中国軍機との接触は公海上での事件で、どちらに過失があったか判明しない現時点では、アメリカに一方的に詫びを求める中国の姿勢は、間違っているのではないか。 もちろん、この不幸な事件で、中国のトップガンが行方不明なのは本当に残念なことで、これをすまないと思うアメリカの気持ちは良いと思う。さらに不時着の必要上領空侵犯をしてしまった事は、不可避ではあったものの、アメリカは陳謝と同時に感謝もすべきだろう(←乗務員と機体の即時返還要求よりも先に)。 しかし、「道でぶつかったら謝るのが当然だ」という江沢民主席の言葉には、「それはお互い様だろー?」という失笑を禁じえない。「悪いのはオマエだよー」と無根拠に罪をなすりつける子どものケンカそのものじゃないか。 近くで偵察ばっかりされてるから、元々不快感を募らせていたのも分かるし、こういう言い方から条件交渉に移るのが、外交テクだというのも分かるけど……。 すごーく、幼稚だ。できれば子どもに聞かせたくない。こんな主張に付き合わされるアメリカもかわいそうだ。『ムリを通せば道理引っ込む』という発想にしか聞こえないし、中国五千年の揺るぎなき知性がまったく感じられない。 まったく。こんな外交、世界をリードする一翼のはずの(?)"中華"がしちゃいけないよ。 〔2001/05/13 それでも、江沢民主席は『弱腰』と評されているらしい。あの発言は、僕には言語道断の横暴に聞こえたんだけど。中国の世論というのは、一体どんな感覚なんだ? それとも報道規制でもあったのか?? ――意外と日本で感受できる情報に問題があるのかもしれない。新聞もとらん外務省がのさばる国だしさ。結構『大本営発表』ばっかりだったりしてネ。〕 ついでだから、【好きだぜアメリカ】。
まったくアメリカ文化の無い日本の生活なんて……牛乳を入れないコーヒーか。ブラックも"アメリカン"なら美味いけどね。
オランダは安楽死法成立に向かうらしい。 先ごろは同性愛者の結婚を解禁。 マリファナもコーヒーショップですでに喫煙可能。 このオランダのドラスティックさは、何なんだろう??
アメリカが、韓国に映画市場の開放 ――大丈夫か?? アメリカさんにアドバイス:韓国に自国文化の強要は、絶対にしない方がイイと思うぞ……『日帝』と同一視されたくなかったらネ。 『トゥルーマン・ショー』に感激して2倍くらい金を払いたくなったこともあったし、USJもスゴイもんだし、アメリカ映画って、全然そんなことする必要ないと思うんだけどなぁ。 『大衆(に選ばれる)文化』である誇りは、忘れないでほしいぞぅ。 〔2004/6/22追記: 枠の押し付け、というよりは、米国側は韓国側の国内映画のかなり強引な保護政策の「枠解除」を迫っていたらしい。 しかし――この保護政策がなければ「シュリ」も「冬のソナタ」も誕生し得なかっただろうことを考えると、国内文化を大事にし育成するということは非常に大事なことだと思う。 色々な国の文化によって描かれた映画が愉しめるということは、全体的な映画産業自体の長期的発展にもつながる。 前論とは反対に、ある枠内での保護は当然認められるべきだ(おうよ、飽くまでこの件については韓国サイドに立つぞ(笑)!)。〕
『数々のスージ』掲載に際し、こんなことを考えました。よかったらご一読、お願いします。 →【えごロジー】 おお、今日は『花祭り』だ。メリー仏陀マス。
ある経済学者の計算によると、現在(1978年当時)生きている人間の数は、過去に生きた全ての人類の累計の、約4分の1になったそうです(村松稔/西岡和男「人間はどこまでふえるか」講談社ブルーバックス1978)。 この本がかかれた時点で世界人口は40億人だったから、人類の人口累計は160億人だったようです。現在の世界人口は60億人ですが、累計の計算は僕には分からないのでシマセン。誰か銀行系の計算が好きな人、やってみてクダサイ。多分、3分の1近くになっていると思います。 〔2001/04/09 増加分の20億人を足して、さらに死亡率から計算した『1978〜2000年に死んだ人口(≒15億人?)』を足してみると、累計は多分195億人くらい。60億人÷195億人=3.25分の1。〕 何が言いたいかというと、その頭脳・知識・情報のパワーです。世界の四聖に勝るとも劣らない人が、今正に生きているとしても全く不思議ではないのです。 (世界四聖は、広辞苑ではキリスト・仏陀・ソクラテス・孔子。マホメットが後者二人のいずれかと入れ替わることもあります。彼らが人類の歴史においてマイルストーン的存在であることは、今後も変らないでしょう。) 『救世主を待望する』あるいは『自分がそうなる』といったメシア・コンプレックスみたいなものの是非は、ここでは問いません。が、現代の偉人のモノスゴサ、あるいは今僕らが直面している世界のモノスゴサが、こんな単純計算でも分かってくるような気がします。 (→参考:【数々のスージ】)
昨日、やっとこ検定個所の変更前後(要点のみ)を新聞で見ました。これ、『新しい歴史教科書をつくる会』からすれば、結構「してやったり」なんじゃないでしょうか。 検定前後の文面が一般新聞などに載り、『つくる会』や反対団体、検定サイド、他の教科書会社、外交を含めた各国の姿勢をも感じられ、興味深い内容になっていました。この辺の歴史の事実を、研究したくなる人も増えただろうと思います。教科書でのトップダウン教育よりも、むしろこの方が学問的かもしれません。 『泣く泣く戦地に……』(←変更前)といったような表現は、客観的事実の文章とは違う域に達していると思います。でも、ある意味歴史とはその国の大河ドラマでもあり、感情豊かに語るのもいいことなのかもしれません。 ――独りよがりでない限りは。 (→参考:【日韓のギモン】)
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