日本海か東海か |
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「日本海」名称についての考察はまだまだ不十分でありますが、やや長くなってきました。
『日本海』って、韓国、北朝鮮、中国、ロシアではどのようにネーミングされているんでしょう??(全部自国の名前だったりして。そもそも『日本海』って、いつ命名されたんだ??) これには「数々のコタエ」-2.【日本海の由来】に記した、
という一定のコタエが得られた。 ◆ 「日本海」は、わが国の命名による自称ではない。 これで単純に知識を増やした気分になっていたのだが……。 それから1年以上経った頃。 読売新聞2002/08/23の社説によれば、この「日本海」名称に対し韓国が「東海」と改称するよう国際水路機関(IHO)に主張していて、IHOはそれに応じはじめ、日本海掲載ページを削除した(※※)、という。 「日本海」は元々日本や沿岸国が決めた名称ではない。 だが、国際名称を「東海」にしてくれという神経はいかがなものか。 日本は「じゃ『海(umi)』 という国際名称にしてくれ」と反論すべきなのだろうか? インド洋の沿岸国全てが「自国名称にしろ」と言い出したら、うるさくてかなわないが。――というのが当時の僕の意見。 基本的には変わっていない。 朝鮮半島以外のすべての国で使われている国際名称を、朝鮮半島でのみ使われている名称に改称しろ、という韓国の主張はサッパリ意味不明だったし、同社説には、「(日本海という名称は)17世紀初頭のイタリア人宣教師の手による世界地図(※※※)に登場」ともあり、上記のコタエにもさらに注釈が必要だろうことも同時に判明。 さらに、現在の国際認知としては「日本海」であることが明らかな状態でわざわざ韓国一国のために削除したというIHOの対応も理解に苦しむもので、またもや日本海を囲む状況はギモンだらけになった。 以降は、僕の思考の変遷も明確にしておくために、ほぼそのまま日韓のギモンから移動。 色使いはできる限り黒に統一した。 文中の地図は、全て書籍の図版を(目を皿のようにして)確認しただけのもの。 ※ クルゼンシュテルン: ロシア使節レザノフ帰国時の、ナデジタ号艦長。 その帰途1805年に樺太東海岸を測量(この時レザノフは幕府と国交を結べなかった腹いせに日本の漁船・番所を攻撃)。 次いで樺太東北海岸を測量。 樺太をサハリン半島と誤認したまま1813年「クルゼンシュテルン世界周航図録」を出版した。 ところで、上記の「海図」とは出版年度が違うが、異なる海図なのだろうか? 上記のコタエは、「日本海」の国際名称が確定的になった海図を由来としたのではないかと推測する。 ※※ 日本海掲載ページを削除……: 外務省公式ページの「日本海呼称問題」(下記参照)によれば、「IHOは9月19日〔「日本海」部分の2頁を含まない〕先の回章(8月9日付)を撤回」したらしい。 ※※※ イタリア人宣教師の手による世界地図: マテオ=リッチ「坤輿万国全図」。 1602年に北京で刊行。 当時の世界地理にイエズス会独自の東方地理知識を加え、漢訳された世界地図。 漢字表記と太平洋中心の設計は日本人にもなじみやすく、江戸時代における地理観を大きく変化させた。
朝鮮半島で言う「東海」とは、元々はどの海を指していたのだろうか? 朝鮮半島では、「太平洋」の自国名称も存在していたのだろうか? コタエ【日本海の由来】でも書いたとおり、元々「日本海」とは沿岸国の自称ではないし、その意味では韓国の主張は少しは正当性があるようにも思う。 繰り返しになるが、日本による命名では無い。 対馬海峡や朝鮮海峡の命名をみれば、日本としては海の向こうを想い「朝鮮海※」・「ロシア海」と名づけていたとしても不思議ではない。 渡海してきた「南蛮人」にとってみれば、日本海は<日本の裏側に広がる海>以外の何ものでもなかったことぐらい、地図を見れば分かるだろう。 残念ながら<韓国の東側に広がる海>ではなかったのだ。 これが日本海が国際的名称となりえた、単純な理由だろう。 もちろん日本支配時に嬉しがってこの呼称を韓国人にも強要した可能性は高いし、そうであれば非常に申し訳ない。 だが、名の由来や国際認知とは全く関係がない。 濡れ衣だ。 また、「北海」にイギリスが「いや東海だ!」と異議を申し立てているという話は、聞かない。 確かに「北海」がユーラシア北方にあるのと同じように、世界の主流の地図上では日本海は東方の内海であり、これも(たまたま?)韓国の主張に合う。 だが、果たしてそれは歴史的正確性をも充当できるものだろうか、と考えた。 現在の韓国では東海は日本海を指す。 しかし昔は日本そのものの異称だったりもした。 日本海がこれほど内海になっているとは考えられていなかっただろうし、日本は「東海に浮かぶ(小さな)島国」と考えられていた、と容易に想像できる。 「東海」は――元々、太平洋を含めた東の海全体を指していたのではないだろうか??? (これは、中国の「東海(=東シナ海)」にも考えられる事だ。) これだと、日本海なんてスケールの小さなことを言わずに、太平洋を改称してもらったほうがいい。 マゼランの命名よりも、歴史はずっとずっと古いはずだ。 東アジア全体の歴史を重んじた主張として、かなり支持できる。(唯一の懸念は……漢字に再訳すると「東洋※」になってしまいそう(笑)) 朝鮮の古地図などを見る機会があればよいのだが……。
※ 朝鮮海・東洋 下記「■ 日本での日本海」参照 下記の「新訂万国全図」における両海洋名は、原図となった西欧世界図の和訳と思われる。
ところでこれらの地図では、日本はかなり精細に描かれているのに、朝鮮半島は哀れにも相当貧弱になっているものが多い。 上記の「日本海」通称化の経緯を十分裏づけていると思われるが、この時代の西洋人の見識に重きを置きすぎるのも、はたしていかがなものかという気もする。
これによると、弘報処の海外弘報院という機関が英国国立図書館所蔵の英・仏・独・蘭・露の16〜19世紀の古地図90点を調べたうち、64点が「韓国海」・9点が「東海」・8点が「日本海」だったという。 ――主張が違えば、論拠とする数値はこんなにも違うものだろうか※※。 もちろんこれも一方の意見として、十分重視したいところだ。 ただし、僕がこれまでに見てきた数――外務省や海上保安庁の出した数字ではなく、直接本の図版から確認したもの――とは、大いに異なる。 まさか国内刊行本の図版の選出が、「日本海」よりになるようわざわざ統制されている訳ではあるまい。 日本はそこまでアホな国ではない――古地図研究で重要な要素は、日本海以外に山ほどあるんだし。 記事タイトルや図版のキャプションで、「韓国海(朝鮮海)」と「東海」をほぼ同一視しているのもやや残念な点だ。 しかしながら、『フランス人航海士ラ・ペロースが、東海および日本海沿岸を測量したのち、欧州に戻って1797年に編成した地図帳に"日本海"と表記したのが〔「日本海」名称の〕きっかけになった』、というロンドンシティ大学研究員の説(〔 〕内筆者補足)も記されていて、記事自体はとても興味深い。 またこの調査で、ロバート・ウィルキンスが1800年に作成した地図には、初めに「韓国海」と書かれていたものが翌年「日本海」に改められたことを確認された、としている※※※。 韓国サイドでも「日本海」への名称推移が、西欧で19世紀初頭に起こっていたことを確認している点は、非常にウレシイ。 (なのに……、なぜこれでも「大日本帝国強要説」が韓国政府の主張として出てくるんだろう??) ◆ 17〜18世紀のヨーロッパの地図上では、日本海の名称は確定的ではない。 ※ 「東海」の訳と考えられる……: 海上保安庁のページ(下記参照)によれば、「MARE ORIENTALE」等の名称は「西洋から見た東洋の海」という意味であり、「東海」とは「混同しないように気をつけるべき」だそうだ。 これについては、僕はまだ少し考察を練りたいと思う。 『朝鮮半島で「東海」と呼ばれていることを知り、それを西洋風に解釈した』という可能性も、考えられるからだ。 ※※ 主張が違えば……: 「東洋経済日報」の報じた数値は、外務省や海上保安庁の出しているものとは全く相容れない。(後述の外務省・海上保安庁のサイト参照。) 外務省が英語版pdfパンフレットに用いた実数表(菱山・長岡1994年の論文に基づく)では、1800年までの総数は「中国海」14点・「朝鮮海」14点・「日本海」12点・「Oriental Sea」11点・他6点・記名なし76点。 19世紀は「日本海」19点・「朝鮮海」2点・記名なし1点。(併記状態も各々に合算した。 「西日本海」「北日本海」(計9点)は念のため合算せず。) ※※※ ロバート・ウィルキンスが……: この2つの地図は図版も掲載されていた。 原語を確認すると「GULF OF COREA」→「SEA OF JAPAN」に変わっている。 キャプションは『最初に「東海」と表記されていたものが「日本海」に改められた古地図』となっていたが、「東海」は「韓国湾(朝鮮湾)」の誤りだろう。 また、「前年の地図」の朝鮮半島は鴨緑江しか描かれていないのに、「翌年の地図」は川が20本以上も描かれている。 地形も相当変化していて、経緯度線も細かい。 両者は、全く別の縮尺で描かれた別個の地図と思われる。 記事本文では同じ地図の表記だけを変えた風に読めるが、元々の研究者は「一人の製図家が表記名を変えた一例」として挙げたのではないだろうか。
しかし……そもそも日本の位置がメチャクチャなので、<日本海>と同定することはできない。 上記のとおり、東アジアでは「東シナ海も日本海も太平洋も全て『東海』だった」と考える方がスムーズだ。 そもそも海の名前を表記するという観念(あるいは命名する発想そのもの)が、東アジア文化圏には少なかったのではないだろうか。 特に中国の場合は海での活動自体が少ないこともあり、往々にして陸地が大部分を占める地図が書かれている。 ヨーロッパ・大航海時代の地図などとは程遠い。
さらに面白いことには、翌1810年に同作者が完成した「新訂万国全図」(幕府の官撰世界図・1816年には銅版で刊行された)では日本列島の太平洋岸に沿って「大日本海」と記している。 日本海側の記載は「日本辺海略図」と同じ。 なお西太平洋には「大東洋」と記されている。 ◆ 19世紀に至るまで、日本は日本海の自国名称を確定していない。 ……韓国側の誤解は、一刻も早く解いて欲しい。 日本憎しで「日本海」を槍玉に上げるのは、相当な見当違いに思える。
「また、青山〔青山宏夫〕、菱山〔菱山剛秀〕・長岡〔長岡正利〕と谷治〔谷治正孝〕の研究によれば、日本には古来より広い海域に名称をつける習慣がなかった。」(〔 〕内筆者補足)なるほど、どう調べても「玄界灘」以外、出てこないわけだ……。 ※ 高橋景保 (たかはし・かげやす 1785-1829): 高橋至時(よしとき)の子。 伊能忠敬の測量を監督し、1821年には「大日本沿海輿地全図(伊能図)」を完成。 間宮海峡を地図に記した最初の人でもある。 後にシーボルトの持ってきたクルゼンシュテルンの樺太東海岸測量にもとづく世界図を欲し、交換に国禁の日本地図を渡してしまう。 1828年シーボルト事件として発覚、景保は投獄され翌年獄死。
(「東海」が記入された朝鮮の古地図は、残念ながら未発見。)
自国朝鮮がバカデカく描かれているのはかまわないが、日本……現在の台湾ぐらいの位置にあり、しかも時計回りに90度ズッコケていて(九州から東の方角を完全に間違えている)、堂々たる朝鮮半島(日本の4〜6倍はある)の下の方でとてもカナシイことになっている。 ヘタに精密っぽいのでパッと見、少し気に障る……ヒトコト謝ってホシイくらいだ(笑)。 しかし、明代の地図中の扱い(丸の中に「日本」の字のみ)に比べると、これでもかなりマシな扱いだったりする。 15世紀当時の外国の地図中では、最もマトモな日本かもしれない。 落ち着いて考えれば、古来この愛すべき隣人こそが、我々を一番認識していたという証左ではないだろうか※。 だが、18世紀に及んでなお日本を全く描かない世界図(「天下大ソウ一覧図※※」)も存在する。 中国の「華夷図※※※」方式の地図を原図にした朝鮮の古地図では、日本を描く紙幅が東側(右側)に無い。 日本列島を無視した地理感覚では、内海の日本海を「東海」とする説得力は無い。 ※ 混一疆理歴代国都之図 (2004/1/6): NHKスペシャル2003/12/14によれば、元代に書かれた同名の地図が島原の寺で見つかったそうだ。 元のクビライ=ハンが書かせた地図を原図として、民間に広まった地図だという。 こちらの中国製の方が、日本の位置・角度とも、ほぼ正確に描かれていた。 朝鮮製の「混一疆理歴代国都之図」が、この中国製の同名地図の写しだとすれば、正確に描かれていた日本をわざと南に移動させたことになり、『我々を一番認識していた証左では』という従来の僕の推測とは、全く結論が逆になる。 (2004/03/26:(誤)京都の寺→(正)島原の寺 に改正しました。) ※※ 天下大ソウ一覧図:18世紀初期 ソウ=(手へんに怱)。 日本の位置は文章補足で「黒竜江の北〜済州島の南」と正確に記載されている。 当時同じ清の冊封国だった琉球は、朝鮮半島南方に非常に大きく描かれている。 (地図上で日本を描かなかったり移動させたりしたがるのは、今なお「東海」に固執する気持ちと、なんとなく相通ずるような気がする。 要するに昔、朝鮮民族の観念における日本は、「そこにあってはならないもの」だった――? 『真っ先に美しい朝日を迎える国』=朝鮮という観念上、より東の『日出ずる国』=日本の存在は、許せないものだったのかもしれない。 その観念の延長に今の「東海」があるとすれば……残念ながら、これは日本人としては全く受け入れられない。 (2004/1/6)) ※※※ 華夷図: 中原を図面の大部分に据え、申し訳程度に諸外国を周囲に配した、中華思想バリバリの「世界地図」。 結局日本海は東アジア人による命名を待たず、七つの海を駆け巡る人々によって名づけられていった、ということか――。
マテオ=リッチの「坤輿万国全図」は1602年に北京で刊行された。 わずか3点(中国地図の裏紙を入れると4点)しか現存しないが、マテオ=リッチ自身の手紙では数千部も発行したという。 ※ ちょうど中国(明=漢民族王朝)はヌルハチの女真部制圧(1593)で、日本海の沿岸国ではなくなっていた(以降現在まで漢民族国家は日本海沿岸に接していない。) 秀吉の出兵による日本軍を、冊封国朝鮮から駆逐した4年後。 「日本海」という字面を中国人が最初に見たのは、こんな時期になる。 なおヌルハチは翌1603年に興京に南下、明・朝鮮侵略の機を伺っていく。 そして李氏朝鮮は――秀吉の出兵(倭乱)でズタズタになっていた。 それでも、宣祖(在位1567-1608)末年には、明に行った使臣がヨーロッパ地図をもたらし、新しい地理観が朝鮮半島にも伝来したそうだ。 このあたりから日本の正しい位置が同定されていくのだろう。 「探賊使」という名で徳川家康にも僧惟政を送り、日朝の国交が回復する1605年とちょうど同じ時期だ。 しかし、この「賊」の名を冠する「日本海」の3文字を記載した世界地図が、宗主国・明でなぜか堂々(数千部も?)発刊された――これを当時の朝鮮文化人達はどう見たかが、非常に気になる。 この微妙な時間差が歴史にうねりを残していったように思う。 当時の朝鮮の識者達がすぐさま抗議していたら(したかもしれないが)、400年も経った今、僕が「日本海」について時間を割くことは無かったかもしれない。 ※ 1602年に北京で刊行……: マテオ=リッチは中国で5回世界地図を製作している(1584年肇慶、1600年南京、1602・1603・1604年北京)。 うち現存は1602年の「坤輿万国全図」と、1603年の「両儀玄覧図」のみ。 「坤輿万国全図」は宮城県図書館、京都大学付属図書館、バチカン図書館(裏紙の1点は内閣文庫蔵「皇輿図」の裏)に現存する。 「沿岸国で決めた名称を使おう」という点に限ってなら、賛成できると僕は思う。 これは僕が日頃から尊ぶローカリズム・民族(地域)自決の精神に合致している。 世界各地でもこのような名称変更の動きは多い――多分にIHOも、そのような観点から(元々西欧人による命名の)「日本海」を削除したのではないだろうか(※次章参照)。 元来日本人は、相手の気持ちを損ねないよう、言葉を選べる優れたデリカシーを持つ民族だと思う。 シナの漢字表記の遠慮、風俗浴場の名称変更……(後……多分いろいろ。ん?これくらいしかない?)。 相手が道理のある主張をするなら、喜んで己の良識に従うだろう。 しかしながら……改称を前提に考えても、「東海」という国際名称は現在のところ支持できそうにない。 「東海」という名称は東アジア全体が関わる広範な名称なので、朝鮮半島だけを重んじるわけにはいかないのだ。 強いて言えば、「日本には東海地方があり重複する」という理由※で反対できる。 元々韓国の主張は朝鮮半島固有の名称なので、単に反対するだけなら日本固有の理由だけで十分なのだ。 しかし、この片付け方では、この件に潜む根源的な問題に迫ることなど望むべくも無いだろう。 ※ 太平洋戦争中の海軍令などにはよく『東海』が登場する。 戦艦大和もこの海に没した。 もちろん日本海でも東海地方でもなく、東シナ海のこと。 少なくとも旧日本海軍にとって、「東海」とは中国で言うところの東海と同じだった。
※ 世界各地でもこのような名称変更の動きは多い――多分にIHOも、そのような観点から(元々西欧人による命名の)「日本海」を削除したのではないだろうか(2002/11/30) どうやらそうではなかったらしい。 外務省の反論に対し、IHOは削除回章をほぼ即時撤回していた。 ということは、「韓国の主張を鵜呑みにした」ことの反証になるからだ。 さらに、外務省「日本海呼称問題」に掲載されたIHO自身の回章(部分)では、「加えて、IHB(※)は、IHOの技術的目的を越える問題に直面している。 」とある。 ※IHB:IHO事務局
これは「国際呼称に対し元々IHOは責任をもたない」ということではないか。 (少し抽象的な文章だが、この解釈で推論する。 たとえ「呼称の歴史的推移」のレベルが「技術的目的を越える」と言っていたとしても、多くの海の名称にはこういった推移が少なからず付随するので、名称を勘案する限り、ほぼ不可分の事項だ。) では? (たとえ『日本の謀略によって命名された?』としても)、削除案文などこの組織からは提案すべきでないことになる。 呼称を云々することは「技術的目的を越える」のだから。 それでも敢えて管轄外の行動をするのなら、少なくとも慎重に事前調査をし、国際機関として公平な見識を持ってから行うべきだろう。 地名というものは一旦名づけられた以上、たとえ辺境の一隅であろうとも、人々の愛着を常に纏っている。 日本海だって、東海だって。 韓国人が自称の「東海」を国際的にも使ってほしいという純粋な欲求を、分からなくはない。 でも、この欲求の純粋さは我々も同様だ。 実際の話、「日本海」名称の歴史的推移は、我々自身の苦心により達成したものではない。 また、世界における現在の圧倒的一般性も、世界がそう呼んでいるのであって、これもことさら日本が主張するまでもない。 なぜ我々がわざわざその名を主張するかというと、我々は純粋に、「日本海」という名称をこよなく愛しているからだ。 自国の名が冠された海の名であることも、愛情を倍化させているだろう。 国際名称としては、もちろん「日本海」に軍配が上がる。 だがそれだけの話なのだ。 二国いずれの愛着も、何かで量れるものではない。 だからこそ――僕はできるだけ公平な立場で事実を見ようとしている。 (決してどちらかの愛着を無視するつもりも、珍奇な意見を振り回して遊ぶつもりも無い。) さて、こんなことは、「国際」の「水路」の「機関」なら、「日本人」の「漁師の友達もいない」「一個人の僕」よりは、十分理解しているはずだと思うんだけど――今後はもう少し考慮していただきたい。 いろんな国が参加する、名誉ある国際機関なのだから。 なお、IHOのほぼ即時撤回は、(元来の良い意味での)「君子豹変」とし、大いに尊敬する。 <現時点での〜まとめ!>
<未確定のまとめ!>
<残る(増える?)ギモン>
――以上、また調べていきたい。
「日本海」名称を主張する範囲内では、もちろん外務省の方がこのページよりは洗練されている。 ぜひご参照いただきたい。 → 外務省・「日本海呼称問題」 (確かギモン【東海】をアップした頃に検索した時には、全然ヒットしなかったんだけど……ま、いいや。 以降はこの問題から派生したギモンを中心に考えていきたいと思います。)
焦点はこの日本海名称。 韓国側(韓国国立海洋調査院)は、「日本海の呼称問題については、日本側が譲歩案を示すことが前提でなければ議題とすることには応じられない」とし、海上保安庁も「本議題の話し合いが無ければ会議の開催意義は無いとして、延期の判断をせざるを得なくなった」、といった具合。 → 海上保安庁海洋情報部 ――どんな「譲歩」をとりつけたとしても、誤解を持ったままでは、かえって日韓関係を阻害するだけではないだろうか。 参考資料: 「角川日本地名大辞典」角川書店 堀淳一「アジアの地図いまむかし」スリーエーネットワーク1996 海野一隆「地図の文化史―世界と日本―」八坂書房1996 三好唯義「世界古地図コレクション」河出書房新社1999 渡部学・村上四男「韓国史」新東洋出版社1988 「歴史群像シリーズ35 文禄・慶長の役」学習研究社1993 他
(2002/11/30-2004/03/26)
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