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FV(フレンドリービジター)のあゆみ

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あたらしいFVのあゆみ(昭和63年)1988年〜

 活動の崩壊期(1988年秋〜1989年春)には、みんなの会に参加するメンバーさんが2〜3人ということもあったが、すぐに5〜10人ぐらいは集まるようになった。

 86年か87年に独身貴族クラブという月1回の飲み会のサークルを作った。FVのOB、以前から作っていた音楽サークルの女の子、知り合いの保母さんとかに声をかけて、数人で始めたのだが、口コミで会員が増えて、すぐに30人を越えた。FVには人が入らないのに、遊びで作ったサークルにはこんなに人が集まって、複雑な気分だったが、仲良くなった何人かはよくみんなの会や家庭訪問を手伝ってくれた。そのサークルは88年頃解散する。

 協会は利用団体があると職員が残業しなければならない。この頃の研究会と言えば、協会に来てただぶらぶらしたり、会社の仕事を持ち込んでもぞもぞしてたり…、職員の人も迷惑だったと思う。
 研究会に行って時間を持て余していると「他にリーダーもいないんだったらFVをやめてしまったらどう。」職員の人から何度となくいわれた。冬から春にかけて、研究会の日は協会の職員の人との話し合いの場になることが多くなった。

 「活動するリーダーはいなくなったが、在宅の重度障害者と言われる人達がいなくなったわけではない。」「行政サービスは少しずつ充実してきた。ボランティアサークルも沢山ある。でも、みんなの会に入ってるメンバーさんの中には、FVが無くなったら家族以外に社会との関わりがなくなる人、社会から取り残される人が何人か出てくる。そのことが分かっていてFVを潰すことは出来ない。FVがなくなったら、協会がそのサ一ビスを代わりにやって<れるのか。」「今のFVでは計画的に新人を募集する体制は作れない。─募集のために動ける人がいない。」「一人だけでも、活動は続けていく。」そんなやりとりを繰り返した中で、協会から次のような提案がでた。

「来年度(89年度)に限り、キャンブリーダーの募集と合わせてFVリーダーの募集も行なってあげましょう。協会で新人が集まるようにするから、あとはFVの責任で育てて下さい。これは一度限りのことなので、それでうまくいかなければ覚悟はして欲しい。」

 平成元年(1989年)4月、待望の新人が入ってきた。

 この数ヶ月間、一人でも活動はしていこうと決めたが、これから作っていくFVは、過去の活動にとらわれず、新しいビジョンに基づいて、1から活動を作っていくことにした。

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名前 hide(音楽隊:totto)
出身 京都
京都府、京都市を中心にボランティア活動に従事。現在はNPO法人京都でてこいランドで音楽隊を立ち上げ、ギャラリーでミニコンサートをしたり、市内保育園で歌とパネルシアターを行うなどして活動しています。