おいでやす京都ボランティア情報はボランティアに携わってきたサイト管理者の情報発信のページ。ボランティアに興味ある方に、またボランティア活動を通じて知り合った方に、活動を知ってもらったり、楽しんでもらうサイトです。

FV(フレンドリービジター)のあゆみ

フレンドリービジターについて のページに戻る

GS−FVの誕生 フロンティア時代(1955〜)

 京都は坂本龍馬をはじめ、明治維新の時は、日本の歴史を転換する大きな舞台になった土地柄です。時代が大きく変わるとき、京都はいつも歴史の表舞台に出てきました。京都にはフロンティアの精神が流れているのかも知れません。

 高度成長時代、日本は国が先頭に立って効率第一の社会に向けて突っ走っていました。東大を頂点とする学校教育は、企業に必要な人材をいかに効率よく“生産”するかという事に主眼が置かれました。京都では中央の自民党政権に対して、蜷川知事による共産党主体の政治が長く続きました。賛否両論ありますが、教育基本三原則が最後まで守られたのは京都です。でも、そのせいで国からの、学校や産業基盤整備のための補助金がカットされたり・・・という事も続いたようです。
 敗戦後、立派な憲法、立派な教育基本法が制定されましたが、みんなが共に暮らす社会を目指すということは片隅に置かれ、弱者は切り捨てられました。健常者にも「おちこぼれ」という言葉が生まれますが、重度障害者は初めから学校の門を閉ざされていました。入学免除・入学猶予と言う名の下に。

 堀川病院の院長をされていた早川一光先生のお家に、一時期良くお邪魔させていただいていたことがあります。わらじ医者とかの著書を元に何度かTVドラマになったこともあるので知っている方も多いと思いますが、とっても魅力的な人です。

 今も老人の生き甲斐作りとかの為に精力的に活動されていますが、奥様などから聞かせていただいた昔の話しも興味深いものでした。

 早川先生がまだ医学部の学生だった頃、西陣の地域は貧しい人が多くて医者にかかれない人が沢山いたそうです。そういった人の健康を守るために家々をまわったり、診療所作りに走り回ったそうで、お金が無くて、おにぎりやパンを仲間と分け合って空腹を癒やしたことも何度もあったそうで、その診療所作りから堀川病院が生まれました。同じように京都南病院も、地域の貧しい人達の健康を守るために京都駅の近くに診療所を作ったのが始まりだと聞いたことがあります。南病院の玉川先生もまた、老人問題を切り開くため、いつも元気に走り回っておられます。

 戦後の大変な時期でも、京都でそんな風に頑張ってこられた大先輩がおられました。

FVの前身 京都肢体不自由児サービスグループ(GS)

 京都肢体不自由児サービスグループ(GS)は京都市内及び近郊の大学生で構成されているボランティアグループです。昭和30年にYMCAのパイオニア事業として始められた肢体不自由児療育キャンプにおいて学生リーダーが集められ、ボランティアの性格をもったGSの原型となるリーダーが発足しました。何回かのキャンプを行っていくうちに子供たちに対するアフターケアーの問題が出され、継続したサービスの必要性が認められました。そして第4回キャンプ後に有志リーダーによってGSグループ設立の計画が進み、日本最初のボランティアグル−プが結成されました。以後活動の場を京都YMCAから京都障害児福祉協会に移し、肢体不自由児への活動は年間活動として定着しました。また昭和41年からは学校施設にも入れない在宅の重症児へのサービス活動として、家庭訪問活動を行うようになり、それが現在のFV活動へとつながるのです。

GS-FVの活動

昭和30年(1955年)

京都YMCAパイオニア事業として近江八幡・サバェキャンプ場で、第1回肢体不自由児療育キャンプが開かれました。この事業のために学生が集められ、ボランティアの性格を持ったGSの原型となるリーダー会が発足。翌年以降、京都心身障害児父母の会がキャンプを後援するようになる。キャンプを重ねるうち、子供達へのアフター・ケアの問題、継続的なサービスの必要性を痛感。

*広島で第1回原水爆禁止世界大会・森永ヒ素ミルク中毒事件・1957年まで神武景気
*昭和31年(1956年)水俣湾魚介類常食者に奇病多発・京都に初の夜間保育所開設。

昭和33年(1958年)

10月、学生有志で京都YMCA肢体不自由児サービス・グループ『G・S』結成。何かで読んだ資料によると、当時はボランティアという言葉も市民権を得ておらず、ボランティア活動の啓蒙と普及を目指す1面もあったようだ。G・Sの由来は、ボランティアがい<ら開拓的な活動を行っても、それを支える関係機関の整備や世論の後押しがなければどうにもならない。行政がやらなけれぱ自分たちでやろう。どうせするならお節介でも良い。やるからには充実した偉大なものにしようと言う意味を込めてグレート・オセッカイ(Great・O’Setsukai)またはグレート・サービスとした。その後G・SはSPとFVに分割する。

*小児麻痺患者、全国で2000人越える

*昭和38年(1963年)アメリカ、ケネディ大統領暗殺
*昭和39年(1964年)東海道新幹線開業・東京オリンピック開催

昭和41年(1966年)

11月、GS−FV発足。市内13家庭を訪問する。

昭和42年(1967年)

GSは京都障害児福祉協会所属となる。重症児の集団療育活動の必要性から、ひまわり保育園の協力を得て月一回ひまわり会をはじめる。(現在のみんなの会)

*中国文化大革命

昭和44年-49年('69-'74年)

就学猶予、就学免除の在宅重症障害児の全員就学運動起こす。京都市との関係を重視する協会との関係悪化

*昭和43年頃から大学紛争全国に拡大
*昭和44年アポ口11号、人類初の月面着陸
*昭和45年大阪で日本万国博覧会・三島由紀夫割腹事件
*昭和46年沖縄返還

昭和50年(1975年)

SPは全員就学運動での協会との対立から協会を離れる。その後消滅したらしい。SPのOBで構成するひつじの会は現在も活動を続けている。FVとの合同行事をしようと言う声も出ている。協会はSPに代えて、新たにキャンプ・リーダーを募集・育成する。

*天皇皇后訪米・シクラメンのかほり、昭和枯れすすきが大ヒット

昭和52年(1977年)

重症障害児療育キャンプを日本海丹後半島小学校の廃校、中浜キャンプ場で3泊4日のキャンプを行う。翌年、隣の久僧に協会のキャンプ場ができ、以後、ここでキャンプを開催。キャンプ場の利用団体希望が多く、この年から療育キャンプは2泊3日となる。昭和53年8月26〜28日、和歌山ワールドサフアリ、白浜温泉小旅行M6組12名L11名参加

*日航ハイジャック事件・津軽海峡冬景色やピンクレディの歌、映画「宇宙戦艦ヤマト」「ロッキー」流行

昭和55年(1980年)

2月27日、メンバー・リーダー有志で第1回神鍋高原2泊3日雪遊びツアーに行く。M6組10名、L8名。3年続く。以降は小旅行に数年行った。5月18日保津侠ハイキング

*京都ボランティア協会発足・TVでドラえもん放映開始・ジョン・レノン暗殺

昭和58年(1983年)

キャンプに同行できる守る会の役員がいないという理由で療育キャンプ中止。FV単独で琵琶湖マキノキャンプ場で2泊3目のキャンプを開く。
この年、守る会を引っ張ってこられた東出会長が亡<なられる。

*青函トンネル開通・日本海中部地震・TV『おしん』ブ一ム・『積木くずし』ベストセラー

昭和59年(1984年)

琵琶湖ふれあいハウスの本館または浜辺のロッジを利用してキャンプを行う。OBの力を借りないとキャンプの運営もできなくなってきたため、片道4時間はかかる日本海の丹後半島は遠すぎました。この年から、家庭訪問の維持、きちんとした活動が難しくなる。(核になっていた学生リーダーがほとんど卒業

*大津紅葉パラダイス小旅行M10組20名L10名参加。

昭和60年(1985年)

城崎温泉日和山海岸2泊3日小旅行M7組15名L8名参加。

昭和61年(1986年)

嵐山1泊旅行9組19名L9名参加

*グリコ社長誘拐脅迫事件・エリマキトカゲ、『イッキ』が流行。
*昭和60年いじめ流行、61年チェルノブイリ原発事故被害が欧州アジアに広がる。
参考資料;ジュリスト『現代の福祉問題』、財団法人西陣会30周年誌『絆』
ミネルバー書房 大塚達夫著『障害を持った人たちとともに』

新しいFVの歴史 1988〜96年 みんなの会/FV

昭和63年(1988)

2月
琵琶湖をぐるっと囲んで、みんなで手をつなごうというイベント 「抱きしめて琵琶湖」に、いろんなボランティアグループが関わる。 FVからも何人かが参加。
3月
協会バザーに参加。協会敷地の一角にふれあい神社を建立。
4月
みんなの会奈良アヤメ池遊園M7組13名L16名。
5月
みんなの会ラジコンショ−
門池幸弘さん結婚(京大→小学校教諭 OB時々現役復帰)
夏 療育キャンプ(琵琶湖ふれあいハウス・ロッジ)
女子リーダー参加0名食事準備、女子M着替え、トイレ介助等、メンバーのお母さんに負担がかかる特に梅原*子ちゃんのお母さんには、大変申し訳なかったと思っています。
内容も最低でした。あちこちから寄せ集めたカウンセラーはたむろしてタバコをふかしながら雑談したり、勝手に泳いたりしている。注意してもその場だけ。こんなキャンプをしててはダメだと思いました。帰る日、たばこの吸い殻が散乱しているのが印象的でした

*ソウルオリンピック開催・リクルート事件発覚

昭和64(平成元年) (1989年)

-
協会がFV新人募集、新人加入。新FVスタート。
5月
大橋良輝さん結婚(花園大→洛西愛育園・OB)
夏 療育キャンプ(琵琶湖ふれあいハウス・ロッジ)
参加者M6組13名、L10名(男3・女7)、明社7名(男3・女4)
8月16日
見奈ちゃん達と大文字送火を見に行く。
9月
みんなの会寺田芋掘り
10月
みんなの会「枚方パーク」参加M4組8名、L9名(男4名・女5名)
障害者用WCがなく、健常者用のトイレも長蛇の列。そういう場合は今までしてきたようにメンバーさんの四方に毛布を囲ってWCの代用をしたが、そういったトイレのやり方について、メンバーさんに初めてついてきた家族の人から疑問の声が出た。今まではお母さんがついてきていたということもあり、その人にとっては屈辱的な体験と受け取ったようだ。ちなみにこのとき松本*子ちゃんも車で来るが、駐車場がいっぱいのため引き返す。申し訳なかった。
11月
みんなの会「秋祭り」で親の会「親の老後と子供の将来」を開く。

*天安門事件/消費税3%導入/ベルリンの壁崩壊/米ソ歴史的和解宣言

平成2年(1990年)

春
森治*ちゃん、週2回の訪問教育を受けていたが、中学校卒業、在宅に。
山岡君(染色専門学校→山梨県施設職員他・OB)結婚。
FV協会を離れ、守る会所属となる。
5月8日
斉藤*枝ちゃん(在宅→洛西愛育園)亡くなる。AM3:00
89年キャンプから活動始めた高校2年の山本よりちゃん(華頂高校→仏大通信)校内弁論大会で「私が高校生活の中でたくさんのびっくり箱をもらった場所はF・Vというボランティアグループです。」という言葉で始まる弁論しをて3位になる。よりちゃん、福祉の道に進むことを決心
栗田*ちゃん(在宅)、病気再発のため入院。
夏 療育キャンプ(琵琶湖ふれあいハウス・ロッジ)
盆踊りをする。参加者からは好評。
11月19日
古川*ちゃん亡くなる。
ポパイの奥君(モサ)結婚。一時期FVにも所属、頑張ってくれました。
12月
みんなの会PD森田拓郎「ミュージカルネバー・エンディング・ストーリー」参加60名。OBの森田さんが数年ぶりにFV復帰。森田マジックで白竜のファルコーンを作ったのを手はじめに、とっても楽しい会にしてくれました。夜の忘年会も21名が参加。アドリブの寸劇「愛染かつら」に出演したひろや君のお母さんが陰の主役“大木”になって大活躍。みっちり盛り上がりました。

*イラク、クエート侵攻

平成3年(1991年)

春
アーティチョークにて全国ボランティア研修集会、地域部会開かれる。
OB会開催。東山の月真院で1泊。翌団円山公園で花見。昔からのメンバーさんや各地に散ったOBが40数名参加。
荒木文・大久保綾子、吉村有以(以上医短1年)、端野明目香(華頂短大1年)、前野由紀、大野明代(以上芸短1年)等の新人が入ってくる。
夏 療育キャンプ(琵琶湖ふれあいハウス・本館)8/3〜5
M20組参加。医短の学生が多く参加。
サマリー検討会で、サマリーの不備とか、メンバーさんの障害、接し方について質問をされても答えられる人がいなくて批判を受ける。
活動の低迷・崩壊が数年にわたって続いてきたので、きちんとした資料をそろえられなかった。キャンプ中の夕食時、カウンセラーがトイレに入ったスキにひろや君が行方不明になる。
リーダーをひろや君捜索グループとキャンプファイヤー実行グループに分けて、キャンプ場周辺を捜索。川原でうずくまるひろや君を無事発見する。

キャンプファイヤーは散々だったようで、こういうトラブルが起こったときのPDの指示の出し方に、BMの石井さん(医短3年)から批判が出たが、思わずいらついて、「他にどんなやり方があったんや!」と声を荒げて、石井さんを泣かせてしまう。何かあったときに代わりに前へ出てみんなをまとめる人、歌やゲーム指導でみんなを盛り上げる人がまだ育っていなかった。
秋 10月6日
守る会琵琶湖学園見学FVから6名参加。
11月
みんなの会「京都ラブ・ストーリー」M11組参加。ピーポのキム君の指導でゴミ袋気球を飛ばす。みんな感動。

*信楽高原鉄道とJRが衝突

平成4年(1992年)

春
石井治美さん足の治療のため入院。
出竿*子ちゃん高校卒業。
高畑母入院。
みんなの会マニュアル化決定。行事をマニュアル化することによって、だれでもPDができるようにしようと決まった。
5月
10日マキちゃんの背中に床ずれ発見。中川・若林(医短3年)の家庭訪問で発見。
ボランティア大学から平井さん(会計事務所)
微笑さん(花大1年)他2名参加。
高井さん(医短2年)など新人も入って<る。
8月8−10日療育キャンプ(琵琶湖ふれあいハウス・本館)
総勢75名参加。1泊で帰る人に合わせて途中で帰る人がふえて、担当のカウンセラーからいい加減すぎると批判を受ける。
秋
大迫章子さん(府立大学→八幡作業所・OB)結婚。現性金辺
12月みんなの会「カラオケルームでクリスマス」MK上賀茂ボウル
部屋を自由に飾り付けて楽しく遊ぶ。田中理穂さん初参加。

*京都市交通局にリフトバス2台導入される。
*学校5日制スタート・スペースシャトル毛利さん宇宙飛行

平成5年(1993年)

春
祝卒業端野明目香(華頂短大→奈良施設職員)萩原美佐(京女短→九州地元企業)若林ゆかり(医短→專門学校へ)
メンバーさんも武内*子ちゃん、細見*江ちゃん、梅原*子ちゃんが呉竹養護高等部を卒業。
4月3−4日 城崎温泉旅行
JRを使って行く。M11組25名L6名
FVアンケート実施92年度みんなの会反省・整理。「励み」93.4.25参照
3月27日 会議(石井、中川、田中よ、斉藤み、平井、滝井)で92年度決算報告。
赤字対応策を検討
1,バザー等で収入を増やす。2,みんなの会会費をメンバ一・リーダー共に同額にする。学生は安くする。
ボランティア大学から高橋真(立命大2年→三重県県庁)、鳴滝知恵(仏大4年→老人施設職員)さんが参加。
7月3−4日
南区九条の明社本部を利用してトレーニングキャンプ。
FV&明社で参加20名(8:12)キャンプに向けて良い研修が出来た。
キャンプ前の家庭訪問も比較的順調に行ける。
療育キャンプ(琵琶湖ふれあいハウス・本館)中庭でのバーベキューで盛り上がる。メンバーさんとの関係、リーダー同士のコミュニケーションも良く、プログラムも良かった。
秋
明社中村君、骨折で入院。

平成6年(1994年)

春
「励み」1/16号長崎でてこいランド特集を組む。応援の意味も込めて、頻繁に紹介記事を載せるようになる。FVとしてでてこいランドに協賛、出来る範囲で応援することで守る会からも了承。
「励み」2/20号野村育葉さんの素敵な絵が表紙に。みんなの会会則原案公開。
祝ご卒業、吉村有以、高井智美、大久保綾子、荒木文(以上医短)、大野明代、前野亜希子(以上芸短)、山本満喜子(京外大)、木村由美(短大)、鳴滝知恵(仏大)。 メンバーの森*子さんも卒業。
「励み」4/15号 93年度家庭訪問記録集計/リーダー活動状況表 発表。
みんなの会&家庭訪問 リーダーの声
川端君(府立大学→?・OB)結婚4/24
井上*君亡くなる。(在宅・壬生じゃがいも畑通所)6/2
上野*君亡<なる。(在宅・呉竹デイ・サービス)6/28
森田卓郎さん(京工繊大→府文化財保護課・OB)結婚6/19
高畑母入院。*也君は緊急一時保護で2週間ごとに複数の施設を転々。数ヶ月間の施設暮らしで、肥満気味だった身体が、見違えるようにスマートに本人もすごく苦労したんだろう。最終的に宇治の施設入所を決断。
夏
療育キャンプ琵琶湖ふれあいハウス本館。8/21−23
秋
FV研修会ターミナル・ケア「生と死を見つめて」他3回、西院の喫茶アーティチョークで開催。

平成7年(1995年)

春
斉藤恭久君結婚 アーティでお祝いパーティ。
城崎温泉カニツアー 観光バスを借り切って
みんなの会95年度活動アンケート結果報告 「励み」3/26
95年度FV家庭訪問 班の体制報告 「励み」4/23
夏
車イスと仲間の会のキャンプ(琵琶湖ふれあいハウス本館 2泊3日)参加。キャンプファイヤーをFVで分担。M5組7名、L13名
GS−FVの歴史と療育キャンプ 「励み」8・9月合併号9/8
秋
療育キャンプ衣笠指月林。この年から守る会キャンプは1泊2日となる。
人の集まらない時期に日程が組まれたので、食事の分担は親の方に頼む。カウンセラーが足らないので、スタッフは無し、PDのみで臨む。十分な体制がとれない中で、応援ボランティアの人もたくさん来ていただいたが、カウンセラーとして何をしていいのか分からない人もいたと思います。中には「FVのキャンプは楽しいから」と誘われ、予定を変更して参加してくれた応援Vもいたが、そういう人のそばで、守る会の役員の人がFV批判。無理して参加してくれたVや、人を一生懸命集めてくれたVから不満が出された。今回は守る会の不手際で、Vも非常にしわ寄せを受けて迷惑しているのに、親の身勝手にFVのLからも守る会への批判が出る。親の方もボランティアの事情をよく分かっていないようなので、お互いにもっと理解し合えるように、パイプを太くする必要を認識した。
介護を考える緊急セミナーハートピア京都 9/24 M2組L6名で参加。
冬
12月23日かなちゃんクリスマスコンサート大成功 会場の喫茶アーティチョークに50人、超満員。

*京都市全身性障害者介護派遣サービス事業開始 10月1日から

平成8年(1996年)

春
祝卒業 微笑美佳子(花大→亀岡の施設)、三宅佑子(花大→堺の作業所)、滝井美代子(花大→滋賀の施設)、広下タ美(花大→岩倉病院)、寺澤勢津子(京女→三重の病院)、松岡宏明(京大→大学院)、谷麻友美(摂南大→?) 石井治美さん(医短→看護婦)奈良の助産婦学校入学
微笑ちゃん京大病院へ入院。2/12〜
「励み」連載 メンバーさんの家庭訪問シリ一ズ始まる。「励み」3/31〜
信州車山高原ヘチェアスキーを体験しに行く。L6名。
FV合宿ルビノ堀川 L10名M3組4名
96年度FV家庭訪問・班体制発表 「励み」4/21
今年京女を卒業した寺澤勢津子さん(病院職員)結婚。
キャンプでいつも明社のまとめ役をしてくれている大南泰一さん(会社員)結婚。
春の主な新人、中原(華頂短2年)、大久保、田中ヒロ、中村、長田(華頂短1年)、山田(社会人)、久保(京大・院)、松川(京大1年)、鈴木(京大1年)、千(外大2年)、都竹(社会人)
新人加入に伴い週4日(水曜午後・夕方、金曜夕方、土曜午後・夕方、日曜午後)家庭訪問中心に活動。新人が来るたびにミニ歓迎会を開く。時に議論も。
「メンバーさんとの関わり方を考える」ディスカッション 「励み」6/9
5月19日
京都重症障害児を守る会の30周年記念パーティ
夏
太田恵子さん(京外大3年)1年間アメリカ留学出発。
OB会合同琵琶湖わに浜キャンプ1泊2日岸さん(高校1年)など46名参加
療育キャンプ雄琴温泉 1泊2目 M11組26名L23名(内明社12名)
9月
みんなの会「奈良あやめ池遊園」参加者には好評だったが、参加できなかったメンバーの家族の人から「最近のみんなの会は障害の軽い人に合わせた行事をしている」という批判が出る。電車を利用して移動する企画だったので、自家用車で移動するMさんには奈良は遠いということから、そういう不満が出たようだ。FV・みんなの会の活動は、在宅の重度・最重度のメンバーさんを一番に考えている事に変わりはない。
10月
みんなの会「丹波下山おイモ収穫祭」
「励み」9/29号特集「みんなの会 よいところ悪いところ」発表。
ミーティングや準備の後にみんなで食事した後、誰かの部屋でたわいない話や、個人的な悩み、FVの活動のことなど、深夜まで議論することが多くなる。
昔からのメンバーさんで舞鶴に引っ越された奥田修さん亡くなる。10/11
サマリー実行委員会アキちゃん(華頂短大1年)を中心に始まる。吉岡さん(文教短大1年)、高松さん(京女1年)、畑中君、福井君、柳沢さん(高校生)など新しく参加。

ページの上へ

フレンドリービジターについて のページに戻る

京都から発信!
おいでやす京都

・ボランティアの心得
・ボランティアの起源
・ボランティア団体の紹介

サイト管理者hideのページ

・でてこいランド音楽隊のページ
・オリジナルのうたと詩
・MUSIC TRACK(外部サイト)
・京都でてこいランドについて
・フレンドリービジターについて

サイト管理者のプロフィール
名前 hide(音楽隊:totto)
出身 京都
京都府、京都市を中心にボランティア活動に従事。現在はNPO法人京都でてこいランドで音楽隊を立ち上げ、ギャラリーでミニコンサートをしたり、市内保育園で歌とパネルシアターを行うなどして活動しています。