つれづれ記

2007年

2006年
最近読んだ本

爽快な気分になれた高尾山への初詣


2005年
“聖夜”に考えたこと

“からだはポンコツ、口は現役”老いてますます

ミクロの視点でマクロを考える
「与那国島サトウキビ刈り援農隊」30周年記念講演会に出席して



つかもとこうせい
社会部記者、運動部記者、文化部記者を経て、フリーランスの編集記者、旅行雑誌「ブランカ」創刊、編集長を経験。

著書に「新しい世界を求めた人々」、「もし僕らが生き続けるなら」「世界の海賊」などがある。

新聞連載に、「感覚世代」、「グリーンエイジ」、「海外の若者たち」、「現代の若者」、「世界を創った人々」、掲載に「ゆとり先進国」、
「ヨーロッパ・アジアを旅して〜民族と文化の違い」などがある。


チベット仏教は、活力に満ちていた


 「チベット・スピリチュアル・フェスティバル2007」の催しを知り、5月5日に会場の護国寺に行ってみました。こどもの日なので、子供たちが来ているのは、予想していましたが、若者、なかでも女性が多いのには、ちょっと驚かされました。
 この日、催しの演目は少なく、砂曼荼羅の参観と、ダラムサラから来日したチベットの高僧、チャド・リンポチェ自らが執り行う薬師如来、不動明王の両灌頂の、3つが中心でした。

 護国寺本堂の前には、すでに長い行列ができていましたが、左側の列が「不動明王の灌頂」で、右側が、砂曼荼羅の参観者たちでした。行列全体を見渡すと、女性が6対4、ないしは7対3の比率で多いように見受けられました。しかも、子供からおばあさんまでいて、年齢の幅も広いのです。会場の整理や案内には、5,6人の若いスタッフ(ボランティアだと思います)があたっていましたが、皆、大きな声を出し、きびきびと動き回り、久しぶりに、すがすがしさを感じさせられたものです。

 それに、このスタッフがまた、女性優勢で”チベット仏教”に対する日本人女性の意外な人気に、なにか新鮮なものをさえ感じさせられました。これもまた、ダライ・ラマ法王の偉大なるオーラの力でしょうか。ゴールデン・ウイークの催しとはいえ、この日の護国寺の境内一帯は、日本のお寺で感じる、どこか湿って、重々しい雰囲気とは違って、透明感が高く、ひときわ明るく、華やいだ空気に包まれていたのが印象的でした。この催しのチラシには「護国寺にヒマラヤの風が吹く」という、コピーが謳われていましたが、その通りになったようです。

 この催しに、「命あるものすべての幸せと平和を願い」インドのダラムサラから来日した亡命チベット人仏教僧は、チャド・リンポッチェを筆頭に、総勢10名だそうです。全員頭をそり上げ、レンガ色をした僧衣に身を包んだだけの、実にシンプルな姿のチベット僧が、足さばきも軽々と本堂へ向かって歩くのを見かけたものです。日本の寺の僧が、黒っぽい衣を着、ゆったりと、どこか重々しく、歩く姿とは、随分、かけはなれた印象を感じます。

 チベット高原の標高は、4,000メートルを越えたところにあります。亡命先のダラムサラでも標高は、低いところで、1,700メートルはあるといいますから、ほぼ、山岳地域での生活です。寒さも厳しく、移動手段は、特別なことがないかぎり、徒歩だよりに違いありません。それに、チベット仏教のお祈りは、五体投地が決まりです。自然、日常生活のなかで、足腰だけでなく、全身が鍛え上げられているはずです。チベット僧たちの弾むような、軽々とした立ち居振る舞いを見ていると、つい、そのような生活習慣が、思い浮かんできてしまいます。

 この日、午後4時から、一般向けの「不動明王の灌頂」が本堂で行われました。なんと本堂いっぱいの300人余りが詰め掛けました。赤ちゃんを抱いた主婦、少女、おばあさん、車椅子の中年男性など、それこそ、老若男女の勢ぞろいです。「灌頂」という言葉は、僕自身、仏教関係の書籍などで、よく目にしたりはしますが、実は、ごく最近まで、その正確な意味は知りませんでした。

 「実践・チベット仏教入門」(クンッチョック・シタル、ソナム・ギャルツェン・ゴンタ、齋藤保高著)=春秋社=を読むと、とてもわかりやすく、「灌頂」の説明がなされています。志を立て、仏教徒として、本格的な修行を始めたいという時、菩薩の意を受けた阿闇梨の資格を持つ高僧によって、その許しを授駆ることが必要なのです。その儀式を「灌頂」というとのことですが、修行の内容ごとに、阿闇梨から「灌頂」をうけなければならないことになっています。

 この日の「不動明王の灌頂」は、一般向けの特別の「灌頂」ですが、「薬師如来灌頂」のように、若い僧侶を対象に行われた本格的な「灌頂」となると、”仏、法、僧”の三宝に対する絶対的な帰依、阿闇梨に対する信頼と恭順はもちろん、修行上の、様々な厳しい戒律も守らなければなりません。いずれにしても、高僧によって「灌頂」を授かった以上は、悟りを得るまで、仏教の修行を続毛なければいけないのです。同書には、「灌頂」というのは、大変重要な儀式で、儀式以上の意味があるのだと解説されています。

 本堂のそばの境内では、堂内で行われている「灌頂」の儀式が、お経や、チャド・リンポチェの法話などを通して、外部に、もれ聞こえてきます。この日、チャド・リンポチェの通訳をされた方は、日本にあるチベット仏教普及協会の副会長、東洋大学東洋学研究所研究員のクンチョック・シタルさんでした。「実践・チベット仏教入門」の著者でもありますが、彼自身、チベットからの亡命者のひとりでもあります。現在は、日本に住み、仏教研究の専門家として、チベット仏教の研究と普及に努めていますが、日本の仏教にもよく通じていますので、とても分りやすく、大変好評でした。

 それにしても、中国によって祖国を奪われ、無一文でインドのダラムサラに亡命を余儀なくされたチベット僧たちが、チャド・リンポチェを始め、全員、生き生きとした表情をし、活力に満ち満ちて立ち働く姿には、感動さえ覚えないでいられません。
 護国寺の「チベット・スピリチュアル・フェスティバル2007」を楽しんで帰宅して、「ダライ・ラマ法王日本代表部事務所」のホーム・ページを開いてみると、そこにダライ・ラマ法王の顔とメーセージがありました。

 「私たちがまだ幼いうちは、私たちの人生は誰かの愛情に大きく依拠しています。私たちが老いた時も同様です。ただ、幼少と老齢の間を生きている期間は、私たちは普通他者の助けなしに何でもできると感じています。また他者の愛情などそれほど重要だとも考えないものです。しかし、この期間こそ、強い人間愛を保持すべき重要な時期なのです。ひとが大都会で孤独を覚えるのは他人の同情が欠けているのではなく、むしろ愛情が不足していることを意味しています」と、そこには、こう書かれていたのです。いまや、ダライ・ラマ法王率いるチベット仏教が、しっかりと21世紀の現代に、コミットしているのに気ずかされました。
2007年3月27日



小学時代に経験した”死“の学び

 ぼくが、初めて”死“というものに、触れたのは、小学校5年になったばかりの春でした。父の母親で、肝臓の病気で亡くなったと聞かされたようですが、詳しくは覚えていません。記憶に残っているのは、座敷の布団に寝かされたお婆さんの姿で、いつまでも、起き上がってこないのが、不思議でならなかったことです。

 葬儀に参列したのも初めての経験でした。金糸の袈裟に、レンガ色の僧衣を着たお年寄りのお坊さんが、色の違った法衣をまとった若手の僧2,3人を従え、大音響のお経をあげるのです。おまけに、家中に響き渡るすさまじいシンバルが打ち鳴らされ、すぐ後ろに座らされていたぼくは、恐怖に怯えて、それこそ生きた心地がしなかったのを今でも忘れられません。

 日蓮宗だけのやりかたなのかもしれません。以来、ぼくは、お婆さんの”死“と、おどろおどろした葬儀が結びついて、すっかり仏教嫌いになってしまったのです。その後、キリスト教系の大学に進んだのも、そのときの”恐怖感“が、トラウマになっていたせいも、影響していたのかもしれません。もちろん、仏教が何たるものか、キリストに関しての知識も、当時のぼくには、ほとんどありませんでした。ただ「生きているものは、かならず死ぬのだ」という考えは、いつもつきまとって、離れないでいたようです。

 1945年(昭和20年)、日本が敗戦を迎えた年、ぼくは、仙台市内の杉山通り小学校の3年でした。その戦争終結のほんの少し前、仙台市は米軍の空襲にあい、市内全域が焼け野原になっていました。ぼくは、広瀬川の上流、巴旦杏(すももの変種)が実る谷あいの山村に、疎開していて、仙台市が空襲にあっているのは、直接みてはいません。敗戦が決定的になって、母とぼくは、山間の山村に別れを告げ、すっかり変わり果てた焼け野原の市内にもどってきたのです。

 なぜか、借家の我が家がある一角は、焼け残っていて、前方は見渡す限り、広大な焼け野原に一変していました。全ての住宅は灰になり、近所に住んでいた顔見知りの家族も、同じ小学校に通っていた連中の姿も、見かけることはありませんでした。焼け野原のあちこちには、しゃがみこんで一心に、焼け跡を、棒みたいなもので、遺物を探している人影が、見かけられました。多分、自宅があった跡で、何か思い出のものかなにかを見つけようとしていたのかもしれません。風が吹くと、焼け跡のほこりが、空に舞い上がり、なにか、妙に空虚な風景に見えたことを、記憶しています。

 ある夜、遅く勤めから帰ってきた父が、玄関を開けると同時に「オオッ!」という驚きの声をあげるのが聞こえてきました。なにやら、誰かとやり取りをしている様子なので、不思議に思っていると、母に、おにぎりでも作ってやってくれ、という父の声が聞こえたのです。後で聞いた話によりますと、知らない中年の男性が、玄関の中に入って寝ていたので、びっくりしたのだということです。「晩御飯は食べたのか?」と父が、男に聞くと「まだ」というので、母におにぎりを作らせ、もたせたのだそうですが、当時は、戦災にあい、家や、家族を失って、街をさ迷い歩くひとたちが大勢いるのが、ごく、普通の情景でした。

 この当時、敗戦前後の様々な体験を通して、ぼくが幼いながら、学ばされたことといえば、つきつめて思い返せば、やはり、人も家も、あっけなく、この世から消えていってしまうという事実だったような気がします。
2007年3月27日




仏教、先住民の宗教

 
日本で最初に「チベットの死者の書」(講談社)を翻訳、紹介したおおえまさのりさんは、つい先ごろ「夢見る力」(作品社)という著書を発表しました。

 彼は、その作品で、オーストラリアの先住民、アボリジニ伝統の自然信仰“ドリーム・タイム”、あるいは”ドリーミング“に注目しています。そして、そのアボリジニの独特の自然観、宇宙観に学ぶことによって、私たちは、近代文明のなかで失なった、あるいは壊された”霊性“、”夢見る力“を再生、復活させることが必要だと訴えています。

 この“ドリーム・タイム”、”ドリーミング“を、どう理解したらよいか、簡単ではないのですが、ここに「生命の大地」(デボラ・B・ローズ著、保苅実訳)=平凡社=という、アボリジニの伝統文化を紹介した本がありますので、それを参考にして考えてみたいと思います。

 そこには、北部土地評議会の初代会長、シラス・ロバーツ氏の解説が引用されていました。「ドリーミングとは、つまり、大昔の生きものが人間社会をはじめたという信仰」で、その「偉大な創造主たちは、そのはじまりと全く同じように今日でも生きている。かれらは不朽であり、決して死ぬことはない」と書かれています。

 「生命の大地」の著者、デボラ氏は「人間の視点からみてある生物の目的が不明瞭だからといって、その生き物が目的をもっていないことにはなりません。そこには、世界は人間のために特別につくられたわけではない、という深遠な意味がこめられています。人間の知恵は、生命システムに精通し、創造された世界を維持するために責任をもって行動するためにあります。

 多くのアボリジニの人々は、鳥や、カンガルーや、コウモリや、レインボウ・スネークや、他のすべての存在をみつめ、理解し、そして生命システムに精通し、責任ある行動をとる知恵をもっているのです」と、この地上で、生きとし生けるものは、みな平等だが、アボリジニには「創造された世界を維持する」責任が負わされていると考えているのだと述べています。

 このことから、私なりの解釈を試みてみますと、アボリジニは、遠い”祖先”(大地、生命を創造した神々)の時代から今日にいたるまで、「宇宙や大自然には、おびただしい数の”夢”が、”夢“のままで、隠されているのだ」という”神話“と信仰を、もっているように思えるのです。それが、”創造の神々“の意志と、大地に生きる動物や、草木や昆虫、アボリジニなどの祈りによって、”夢“が花開き、この宇宙に、星や月、太陽を生み、地上には、水、大気、微生物、植物や動物、そして、様々な食べものなどを、もたらしてくれたというわけです。

 つまり”創造主の神々“は、未知のたくさんの”夢”を孕み、そして、機会を得ては”夢”を発芽させ、花を咲かせ、種子をつけさせるという奇跡の営みを、この大地に、繰り広げ続けて見せてくれているのです。それが「ドリーム・タイム」、「ドリーミング」の意味と考えていいのではないでしょうか。

 アボリジニの世界では、すべての生き物(人間も含まれる)の“健康と幸福”は、大地の”健康と幸福“に、しっかりと結びついているのです。この「ドリーム・タイム」、「ドリーミング」という言葉は、アボリジニの住む地域によって、微妙に違って使われているようです。例えば”地球誕生の創造期“の意味に用られたり、”創造の神々”を指すところもありますし、“夢見”、“ヒストリー”、“ストーリー”の意味のところもあるようですが、なかなか、含意の深い言葉です。しかし、その真意は、上記の説明と、そう違ってはいないと思います。

 おおえ氏は、「夢見る力」の出版後、新たに「神話の海」という作品を、ご自身のホーム・ページ上で掲載しています。そのなかに、彼は、アメリカの比較神話学、ジョーセフ・キャンベルが著したビル・モイヤーズとの対談集「神話の力」(訳者・飛田茂雄)=早川書房=の、次のような文章を引用し、紹介しています。

 「ほんとうに恐ろしい状況は、いま(1985年)ベイルートに見られる通りだと思います。あそこには西洋の三つの偉大な宗教があります。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教。そして、その三つが同じ聖堂の神に三つの違った名前を与えているために仲良くやってゆけない。彼らは自分たちを取り巻く円環が開くのを許してこなかった。それは閉じた円環です」というものです。

 だからこそ、これからは、開かれた円環を可能にする哲学、思想、宗教が求められ始めているのではないでしょうか。チベット仏教、ネイティブ・アメリカン、アボリジニ、アイヌなどの、宇宙観、自然観、生命観などに、注目が集まっているのは、ひとつには、そのことに理由があるのだと思います。

 おおえ氏は「神話の海」で、こう訴えています。「今日わたしたちが住んでいる世界は、経済のグローバリゼーションやインターネットの普及によって、全地球的につながり合っています。環境問題一つをとって見ても、それは一国の問題に留まらず、全地球的な視野において取り組まなければならないことは明白です」と

 そして、続けておおえ氏は「わたしたちに求められているのは、閉じられた神話の輪を開くことです。神話を、一つの民族や一つの宗教や一つの国の内に閉じ込めることは今やナンセンスです。ナンセンスばかりでなく、対立と抗争を煽るばかりです」とも書いています。

 彼が、いま、この作品を通して最も伝えたいことは、おおえ氏の次の文章に現れているのではないでしょうか。
 「わたしたちに最も必要とされているものは、人間としてあることの意味、今ここに存在することの意味です。今ここに存在していることの内に宇宙のすべてが宿され、それ自体で素晴らしいことなのだという自覚です。

 そのことをわたしたちは久しく忘れ去っています。そのことこそ、わたしたちのもっとも奥深い神秘です。この一人ひとりの自在な心こそが世界の中心であって、その一人ひとりの、一物一物の、“今ここ”こそ”永遠“なのだという自覚─こうした自覚が神話的な自覚の本質にあるものなのです」と。

 そして、おおえ氏は、「“今ここ”こそ“永遠”」を実体験できる様々な技法を作品の中で紹介しています。チベット仏教の「死者の書」をはじめ、ヒンズー教、ネイティブ・アメリカン、アイヌなど先住民の様々な技法、LSDによる覚醒、ニュー・サイエンスの代表者のひとり、スタニスラフ・グロフのあみだした“ホロトロピック・ブリージング”、アメリカの心理学者、アーノルド・ミンデルの“ドリーム・ワーク”などがそれです。次回は、「“今ここ”こそ“永遠”」について「チベットの死者の書」をてがかりにして考察してみることにいたします。
2月18日





あしたも、朝日は昇るか

 次なる文明の、原理となる宗教的、哲学的模索が、各国の心ある研究者の間で始まっているように、見受けられます。
 
 たまたま、梅原猛「神と仏」対論集第2巻(角川学芸出版)のなかの、物理学者松井孝典氏との対談のページを広げて読んでいましたら、次のような梅原氏の発言に出会いました。
 
「…しかし近代人は運命や神を棚上げしてしまって、世界の中心に人間を置く。
それがルネ・デカルトの〈我思う、故に我あり〉という哲学だ。〈我〉が人間の世界の中心に座り、その〈我〉に物質世界は対立する。そしてその物質世界の法則を知ることによって、人間は物質世界を自由に支配できて、人間世界を限りなく豊かに、便利にすることができる。
このような哲学によって、人間は自然を征服し、現代の先進国のような豊かで便利な生活が可能になった。しかし、それとともに自然破壊が進み、多くの生物が死に絶えた。こういう文明が続くと、人間自身も死に絶えるのではないかという不安が目覚め始めた」と。

このような認識は、現在、ほぼ世界の知識層の間では、共通のものとして受け止められているように思われます。しかし、デカルトが、人類にもたらした成果は、ほころびは随所にあらわれてはいるものの、依然、現文明を支配しています。人間中心主義、科学、科学技術、開発経済への信仰は、ゆるぎなく先進国の人々の心を支配し、強い力で呪縛していることも確かです。グローバル経済は、その象徴といえるのではないでしょうか。仏教的な言い方をすれば、物質謳歌の近代化は「煩悩全開の文明」と見ることもできます。

科学重視の世界観は、実証できる物質、目に見える世界しか認めない傾向があります。その影響もあって、現代人も、目に見える、触れる物質、ものを購入できる貨幣に、最高の価値を与え、逆に、こころ、霊性、神話、神の世界といった、目に見えない、触ることもできない世界に対しては、ほとんど低い評価しか与えていないのが現実でしょう。

ただ、先ほど、紹介させていただいた「自然破壊が進み、多くの生物が死に絶えた。こういう文明が続くと、人間自身も死に絶えるのではないか」という、梅原氏の指摘にあった、地球規模で広がっている危機的状況は、刻々と、私たちの日常的生活をはじめ、社会生活、国全体に、様々なひずみや、機能不全をもたらす形で、迫ってきているのも確かです。

では、このデカルト的世界観、物質主義的近代文明から、どうすれば脱出でき、地球全体を救う、新しい文明を築くことができるのでしょうか?その挑戦が、世界で、すでにはじまっています。そのうちのひとりが、先に紹介させていただいた哲学者の梅原氏ではないでしょうか。

「神仏のすみか」で宗教を専門とする哲学者、中沢新一氏が「梅原先生がこれからお書きになろうとしている〈人類の哲学〉を考える場合、〈ギリシア哲学〉をどこに位置づけるかということが重要になりますね。しかしこれはヨーロッパ哲学の中からはできない」と、問われたのに対して、梅原氏はこう答えています。

「ニーチェもハイデッガーにも、人類文明全体に対する展望はない。トインビーは世界の文明を複眼で見る現実を述べたが、文明の見方が甘い。ヤスパースも東西の哲学を比較して書物をかいていますが、それはヤスパースの他の著作と比べても、深さに欠けている。サルトルの実存というのはデカルトの自我論の一展開にすぎない」と断じ、現在、研究を進めている日本の基層文化「縄文・続縄文・アイヌ」を通して「新しい人類の哲学を創りたい」となみなみならない意欲を語っています。

対談相手の中沢氏も、〈霊性〉を核とする「芸術人類学」(みすず書房)を発表、多摩美術大学に新たに創設された「芸術人類学研究所」の初代所長に就任されたようです。彼は、「芸術人類学」の最初のところで「心の活動を、一貫した視点から再構成しなおしてみることを、この新しいサイエンス」はめざすものだと、これまた、梅原氏とならんで〈新しい人類の哲学〉への挑戦とらえることができると思います。2007.2.11



「一知半解のチベット仏教論」です。

「ダライ・ラマ仏教入門」(ダライ・ラマ十四世、テンジン・ギャムツォ著)=光文社=という、とても分りやすい書物があります。これは、私の愛読書で、思いつくと、この本を手にとっては覗き見しています。

私の場合は、この本から出発し、さらに高度な仏教学に進むというのではなく、ここから、いつまでたっても出発できないままでいるのです。情けない限りですが、実情はそんなところです。

 前置きが長くなりました。この書物の最初、ダライ・ラマ十四世の書かれている前書きに、仏教の核心とも呼ぶことができる次のような文章があります。

「仏教の“縁起”の教えによれば、私たちは自らの過去の行為の結果として今ここにいるのです。私たちを含めたあらゆる生きとし生けるものは、みな幸福を求め、欲望を充足させたいと思っています。私は、幸福の源泉は良い心、すなわち、他者に対する同情心、言い換えれば“愛”を養うことにあると主張しています」と。

“縁起”は、サンスクリット語では、pratitiyasamutpadaだそうです。物質的、観念的な現象(事物)は、相互に依存して現れているのに過ぎなくて、実体があるわけではありません。すなわち、すべての現象は、常に変化し続けていて、実体性はない”空“であるという意味だというのです。
 
 そこから、“慈悲心”が、重要性をおびて表れてきます。ダライ・ラマ法王は慈悲の論理的根拠として「私たちの誰もが苦痛を避け幸福を得たいと望んでいる」というところに求められるとしています。

ですが、それは、人間だけでなく「生きとし生けるもの全て同じような欲求を持って生まれてきます。そしてそれを満たすための平等な権利を与えられるべきでしょう」と「世界平和への人類のアプローチ」(「ダライ・ラマ平和のメッセージ」ダライ・ラマ法王日本代表部事務所刊)に書いています。
 
 しかし、そのことを、この世での生き方に反映させ、実践していくのは大変です。でも、お釈迦様はそれを実現されたのですから、私たちもできないはずはないと、ダライ・ラマ法王は説いています。

 それを実現するのに大きな障害となっているのが、私たちの欲望に根ざした“利己心”だというのです。ですけれども、“縁起”を理解し“慈悲心”により利他に生きる決意をすれば、”利己心“はじめ「愚かさ」、「怒り」、「欲望」といった「三大煩悩」は克服できるのだそうです。

ただし、大きな煩悩は、三種あげられていますが、そこから派生して生じてくる煩悩は、108とも、万ともいわれていて、モグラ叩きではありませんが簡単には退治できません。

 「仏教とは今生のことばかりではなく、来世やまたその来世、そのまた来世と未来永劫についての教えなのだ」(「ダライ・ラマの仏教入門」)と述べていますが、彼は、ここでは、「正しい動機」に基づいて修行にはげむことの大切さを強調しています。環境問題で、しばしば話題になるSustainabilityを思い出します。

 その修行法ですが、仏教、なかでも「チベット仏教」では、山口先生の空手の修行と同じく、頭、知識として理解するだけではダメで、論理的分析の末正しい認識にたどり着いたら、それを、血となり肉となるまで、繰り返し心身に教えこまねばならないのです。

その中心となる修行法が瞑想ですが、この瞑想には「分析的瞑想」(仏教は心の科学と言われることがありますが、心と意識の変化、反応についての論理的分析は徹底したものがあります)と、「心を安定させる瞑想」の二種類があり、どちらも重要だといわれています。この二種は、「見解」と「行為」に対応していますが、この瞑想の意味としては「心の転換」に重要性があるとされているようです。

そして、行為は「意思の行為」、「言葉の行為」、「身体の行為」に分けられますが、「言葉の行為」も「身体の行為」も「意思の行為」の結果として起こってくるので、「意思」することが最も重要だと述べています。

 ダライ・ラマ法王の信奉する「チベット仏教」では、悟りを開き、目覚めた者、“覚者”=“仏陀”になれば、慈悲の心で他者を、人類を救う力が備わるのだそうです。

そして、人間は誰でも、意志し、決意し、修行に励めば皆平等に悟りを開くことができ、“覚者”=“仏陀”になり、慈悲に生きることができると、そう生きてこそ「私たちの人生は価値あるものとなる」のだとダライ・ラマ法王はいっています。

 これが、はんぱ者の私の理解する「チベット仏教」のエッセンスですが、興味深いと思ったのは、「チベット仏教」が自力思想に基づくもので、人間の到達可能性を“仏陀”に置いていることでした。

これは、私の独断と偏見ということになりますが、ユダヤ教やキリスト教、イスラム教のように、超越神を想定しておらず、ひたすら人間の能力と努力に希望を見出しているところが、素晴らしいと感じるのです。有限な人間が、超越神の存在を詮索すること自体、矛盾ですし、おこがましいのではないでしょうか。


 キリストの愛に応えて、全能力を捧げた生き方をするのが、キリスト教徒だとすれば、悟りを開いた仏教徒も、“サムシング・グレート”がどこかに存在するとすれば、御心に応えた生を送ったと満足しているかもしれません。

つまり、「チベット仏教」は、超越神は想定してはいませんが、しかし、超越神の存在を否定してはいないという点に注目しているというのが、浅学な私の感想です。

 帰依も修行もしていない私の勝手な放言ですから、どうか皆さん、眉にツバをつけて読み飛ばしてください。
2006/11/21