爽快な気分になれた高尾山への初詣


 高尾山に登るのは一年ぶりのことでした。京王線の電車の中では、やや足に自信がなく、何度か、登りはケイブルカーを利用しようかなあ、といった考えが、不埒にも頭をかすめたものです。しかし、すぐその後で、そんなことをして高尾山に登って、何の意味があるのか?という思いが押し寄せ、結局、ケイブルカーの駅前を右折してコンクリートで舗装された坂道を登り始めたというわけでした。

 始めのうちは、足に力があり、勢いもあったのですが、まもなく息が荒くなり、それに、山の冷気が結構厳しく、鼻腔と、のどの内側がビリビリ痛み、何度も、マフラーで鼻と口を押さえて呼吸を整える始末でした。深山幽谷とまではいかないまでも、道の両脇に繁茂する樹木や雑木林からあふれだす、新鮮で冷たい空気は、確かに、からだの細胞をひとつ、ひとつ蘇らせてくれるように感じられます。

 娑婆は、正月休みも終わり、仕事始めの日とあって、登山者はぐっと少なく、それに、時間も午後2時半過ぎとあって、山から下りてくる人が二人、三人といった程度で、大変楽な登山となりました。

 出発前、右足のふくらはぎの筋肉痛が、チョッと、気になっていたので、用心のため軟膏をつけ、あわせて、カルシュウムとマグネシュウムを2対1の割合に配合されたサプリメントを服用していました。このサプリメントの知識は、以前、本出版をおすすめしたことがある医学博士、近藤賢(まさる)先生から、マグネシュウムには筋弛緩作用があるということを、教えてもらっていたので、それを、思い出して試しにやってみたのです。

 前半は、息が苦しくなると、無理をしないで、木の根に腰を下ろしては休み、また登っては、休みをくりかえしていましたが、全身が汗ばみ、筋肉がほぐれ、運動に馴染んだからだになってきてからは、歩くテンポを大切に守り、少し無理をして登るようにこころがけました。ケーブルの到着駅が前方に見えてくると、もうほとんど頂上に着いたも同然で、心地よい達成感がからだの内側から、じわっと湧き上がってきます。

 昼食抜きで登ってきたので、急に空腹感を覚えて、茶店で、焼きながら売っている、くし団子を買って食べました。これで、腹ごなしができ、高尾山の山門へ向け、再び登り始めます。右足のふくらはぎは、まったく痛みがないのに気づき、マグネシュウムの効果を再認識させられました。近藤先生には、以前、スキーに行く前後、必ず、カルシュウムとマグネシュウムを2対1、他にセレン、ビタミン剤を混合した点滴をやってもらい、持病のギックリ腰(腰痛)を直してもらったことがあったのです。そのことを、思い出して今回試みたのですが、やはり、うまくいったようです。

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 108段の階段を上り、総檜造りの、どっしりと構えた山門をくぐると、そこが高尾山薬王院の境内です。そこで、清水あふれる手洗い場で手と口を清めて、本堂への石段を上がると、数人の僧侶が、お勤めのために本堂に入るところでした。私も少し遅れて中に入ると早くも読経がはじまっていました。

 大勢の参拝客が本堂の畳を埋め尽くし、私は左端の最後尾に座り、読経に耳を傾けていましたが、それと同時に、ドンドコ、ドンドコ、ズッドンドン、というリズムの、結構激しい太鼓の音が響き渡ります。お経の文句はわかりませんが、読経にもリズムが刻まれていて、スピードが上がってくると、こちらの気持ちも、次第にハイになってくるのがわかります。

 ここの本尊は、薬師如来、飯縄権現、不動明王の三尊だそうですが、その本尊に向かって、貫首でしょうか、一番御年のいった僧が、炎をあげて燃え上がる護摩を前に、読経を続けるのでした。私は、ただそれを遠くから眺めながら、心地いい気分にひたり、座り続けていたのです。

 終わりに近づくと、若いお坊さんが、開運をはじめ、招福、厄除け、除災厄、商売繁盛、合格祈願など、護摩焚きの祈願の内容を大声で読み上げ、いちいち依頼主の会社名、個人名の報告までするのですが、それを聞いていてフト、人間って、なんと欲深なんだろうと思ってしまったものです。もちろん、自分自身も、同罪なのはいうまでもありませんが、よくよくかんがえてみると、何から何まで、仏頼みとは、浅ましい限りと、自責の念にかられたのも事実です。

 帰りに、おみくじを引くと、吉と出ました。読んだおみくじを、境内の樹木に結わえて薬王院をあとにしたのです。時間は、午後4時すぎになっていて、高尾山から見渡す空は、夕焼けに染まり、周辺の大気は、刻々と冷たさを増してきていました。すでに、二人乗りのリフトは終了の札が出ていて、登ってくる、お参りの人影はなく、たまに、一人、二人を見かける程度で、全山いよいよ、夜の眠りに入る準備にかかった感じです。 夏ならば、これから、ムササビ観察の時間になるのでしょうが、正月となると、寒さもあって、そのような風流な人たちは、影も、形もありません。

 山を下りながら、ふと、左側の石碑を見ると「惜春鳥、しきりに啼きて、山ふかみ、かそけき路を、い行き、かねつも、牧春」という歌が彫られているのに気がつきました。そうか、春ならば、ここ高尾山いったいは、小鳥のさえずりであふれかえっているはずです。しかし、今は冬、山はただ、凍結したようにシーンと静まり返ったままでした。

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 前回は、旧約聖書を巡る話について書いてみました。でも、仏教に関しても、結構強い関心があるのですからこまったものです。ダライ・ラマが来日したときには、わざわざ話しを聞きに、両国まで出かけて行きましたし、神田須田町にある「ポタラ・カレッジ」(チベット仏教普及協会)には、メディテーションをしにでかけたこともあるのです。なんと節操のないと非難されそうですが、本当の意味での信仰をもっていないので、こんなことが平気で行えるのかもしれません。

 ダライ・ラマの著書も、好きでよく読むのですが、チベット仏教と、一口でいっても考え方の違いから、四つほどの派に分かれるそうです。しかし、私は、ダライ・ラマのチベット仏教にしか、触れたことがありませんので、ここでは、一応、ダライ・ラマの教えにしたがって書いてみます。日本の仏教とか、タイやスリランカの仏教とか、チベットの他の仏教などについては、わかりませんので、そのつもりで読んでいただければ幸いです。

 ダライ・ラマに「ダライ・ラマ、イエスを語る」(中沢新一訳)=角川書店=という本がありますが、これには、ダライ・ラマの仏教とキリスト教の違いや、共通点などの考察が、かなり、踏み込んで語られていて、大変興味深いものになっています。そのなかで、ダライ・ラマが、仏教がキリスト教と全く違う点として、指摘しているのが、仏教は、神のような、超越的創造神なる考えは持っていないと述べられていました。

 「仏教では、超越的存在よりも個人の責任という感覚により重きをおいています」とダライ・ラマはいい、修行者としての仏教徒は、人間として最高の完成を得た仏陀のようになりたい、あるいはその地点に到達することを目的にして、皆さんは様々な修行に励んでいられるのだと説明されているのです。それには、どういう方法があるのでしょうか?そのノウハウが、たくさん残されているところが釈迦の法話のなかであり、経典のなかというわけなのです。

 日本の仏教では、人間には108の煩悩があるとされています。高尾山の山門に上がる石段の数の108というのも多分、その煩悩を象徴しているのだと思います。108の煩悩を克服したすえに、悟りの世界ともいえる薬王院の本堂が待ち受けているといった構造になっているのかなーと勝手に想像してみたのですが、しかし、チベット仏教においては、煩悩は、なんと84000もあることになっているのだそうです。そのため、釈迦も84000の教えを説いたといわれています。

 つまり、私たちは、チベット仏教で悟りを開くためには、釈迦の到達した境地を目指しますという決意を固めたうえで、釈迦の84000もの教えを、修行を繰り返す中で、頭というより、からだとこころで理解し、84000もの煩悩を無力化することに努力しなければなりません。

 日本の仏教、例えば浄土系の宗派では、とにかく「南無阿弥陀仏」を声をだして唱えなさい、そうすれば、必ず阿弥陀さまが、手を差し伸べてくれるといわれます。いわゆる“他力”信仰ですが、チベット仏教においては、“自力”がより強調されていて、分析的瞑想と静謐なこころを保つ瞑想の、ふたつの瞑想を使い分けながら、自らの煩悩の発生源を突き止め、発生の仕方、そのもたらす様々な悪影響などを、正確、詳細に認識し、消滅させていく修行が大変重視されているのです。

 「愚かさ」、「怒り」、「欲望」を人間の「三大煩悩」と呼ばれていますが、自身の日常生活のなかで、意識や心理のうちにそれらを見つけ出し、ひとつひとつ捕まえて無力化していくのが、いわば修行なのですが、その果てに、「空」の意味と「空」の世界が朧に見えてくるということになるのです。チベット仏教、ダライ・ラマの属するゲルグ派の教えというのは、大変論理的で、厳密な思考が要求され、なをかつ、それにこだわらないという、なかなか難しい修行が課せられるようです。

 ちょっと乱暴な考え方になりますが、チベット仏教は、人間に備わった性質のなかで、善なるものに焦点をしぼり、それを育て、強固なものに鍛え上げれば、慈悲と平和な世界をこの世にもたらすことは、可能だと考えているようです。それは、人間の能力を、限界まできわめれば、だれでも、釈迦になれるのだと、説かれているようにも見受けられます。

 ただ、私としては、地球の実に巧妙にできた、すべての生態系とその仕組み、例えば、さまざまな鳥たちの、共生の仕方や、繁殖の方法、種類の多様性などひとつとっても、とても人間の能力出は、創りあげることは不可能でしょう。羽の素材、強度、軽さ、生え変わる仕組み、鳥たちの色や形など、個々の個体を観察すればするほど、この奇跡的な完成度に感動しないではいられません。

 これは、鳥だけのことではありません。微生物、昆虫、動物、人間、そして、水、土壌、空気、風、太陽…。この全体の神秘的ともいえる精妙な秩序ある営み。これらは、いずれも、人間以外の存在によって、創造されたものだとすると、いったいその存在とは何でしょうか? それと比較して、コンピューターの発明などたいしたことはありません。それよりも、コンピューターを作るような人間を生み出したことのほうが脅威ではないでしょうか。もうお分かりだと思いますが、私は、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教などとはいいませんが、人間を超えた、あるいは地球を超えた創造の神、サムシング・グレートの存在はどうしても、否定することはできないと、思っているのです。

 夕闇がひしひしと迫り、周囲がよく見えなくなってきました。坂道を足早に下っていますと、左手の藪の中からチチ、チチという小さい小鳥の声が追いかけてきます。こちらも無視しては悪いと思い、舌先を、歯にあてて、チチ、チチとマネをすると、だまされてか、チチ、チチと鳴きながら一緒に山を下ってくるのです。あまり、やりすぎるとネグラからはぐれてしまうので、マネをやめました。

 そのとき、すぐ近くでバサッという羽の音がしたので、横を見ると、小さいねずみ色をした小鳥が、枝の上でせわしなく小刻みにからだをうごかしていたのです。でも、すぐ、藪の中に姿を消してしまいましたが、私の知識では、どうもミソサザイではなかったかと思います。

 山を下りきると、さすがに左の膝に痛みがでてきましたが、しかし、初詣ということもあってか、なにかやりとげたという、達成感に似た清清しさが胸のおくから湧き上がってきたのでした。