“からだはポンコツ、口は現役”老いてますます


 “からだはポンコツ、口は現役”、老いてますます盛んというべきか、そういう連中が、一年に一回とか、二年に一回、何となく集まるという機会があります。特に会の名前のようなものはついていません。顔ぶれはこのところ、いつも大体同じです。

 私は、ある新聞社の記者をしていて、社会部の“察回り”を担当、丸の内警察の記者クラブに属していました。そして、ドロボウだ! デモだ! 火事だ! 事故だ!と、毎日あっちだ! こっちだ! と駆けずり回っていたものです。仕事とはいえ、いまから思えば、しょうもないことを、けっこう一生懸命、生真面目に毎日こなしていたなあと、われながら感心してしまいます。

 当時は、もちろん、そこのクラブの記者たちは、全員会社が違い、お互い、それぞれライバル関係にあったことはいうまでもありません。各人“特落ち”(特ダネを抜かれること)を警戒しつつ、かつ、スクープを狙って、しかし、ポーカーフェイスを装い、なにもないが、だが、なにかがあるような、また、その逆だったり、いつも、何かふくみのある顔つきで、クラブの部屋を出たり入ったりしたものです。

 気にしていないような顔をしていながら、「アレ! 今日はヨミ(読売)、まだきてないな」という声がしたり、「何もなさそうだから、マージャンでも、やるかあ〜」という者がいたりといった、実に奇妙な雰囲気の職場でした。

 その頃、一緒にたむろしていた連中が、数十年がたって、それぞれ会社に戻り、担当部署もかわって、お互い消息もとだえたままになるのですが、偶然どこかで、むかし馴染みの顔が再会すると、「ヨコちゃんは、いまどこ?」、「バッカスは静岡支局のあと、どこにいったのかな?」といった話になるのでした。

 面白いことに、そうした話しがぐるぐる回って私の所に集まってきたのが、1995、6年のことだったと思います。私はもう、会社を辞めて、現在の企画、編集の事務所を運営していました。ちょうど、ヤザキ氏がやっていた「話の特集」がつぶれそうというときか、つぶれて間もないころだったような記憶がしています。もう昔のことで、ここらあたりは、認知症の初期といった感じですが…。

 ともかく、思い出すまま、消息をたずねて、集まりのはがきを書いて送ったのです。そうしましたら、返事が続々と返ってきたのが、このわけの分らない会の始まりというわけです。残念なことに、今は亡きノンフィクション・ライター、本田靖晴氏の名前もありました。しかし、彼は、このとき、所要があって出席できませんでした。NHKの“タマイちゃん”、″ミヤケちゃん“、産経の、この方も亡くなられたのですが“ホソヤ氏”が欠席でしたが、元東京新聞の通称“オオカワ ハシゾウ”、元共同通信の通称“ビーバー”別名タカダちゃん、元読売のニシジマちゃん、元毎日の通称“ポンコツ”マツオちゃん、元内外のヤザキ氏、共同のヨコやん、それに私、ツカやん、ゲストには、ヤザキ氏の友人、カメラマンのフジクラ氏といった顔ぶれがそろいました。

 第一回は、皆はりきっていて、新宿、京王プラザの地下にある、たしか日本食レストランに集まり、呑んだり、食ったり、しゃべったりしたものです。出席できなかった者は、かわいそうに、いつも、血祭りと決まっていました。

 以後、一年に一回、ときには間が開いて、二年に一回の割で集まる習慣ができあがったのです。ここの所、寄る年波は避けられず、何人かのからだには、ガタがきはじめていますが、これは何という病気か、舌鋒には、やたら気合がはいるようになってきた感じがします。

 先日の集まりでも、もちろん酒のせいもあるのですが、年寄りの冷や水そのままに、マスコミ批判で盛り上がりました。「もう、マスコミはダメだな」、「NHKと朝日の対立は、あれは絶対朝日が悪いよ」、「最近の若い記者は、みんなおとなしくなったな」、「オレタチの時代と違って給料が高いからだよ」、「学校の成績もいい連中が集まっているし、クビになるようなヘマはしないよ」、「だけど、NHKの地方局にヘンなのがいたじゃーねえか」、「民放の公共放送といった話しがでていたけど、公共性って、あるか?」、「ないね、コマーシャルと、お笑いと、ワイドショウの間に、細切れの報道がチョコッとある程度なんだから」、と果てしなく続くのですが、きりがないので今回はこの辺りで止めに致しますが、ここに集まって“犬の遠吠え”に興じた連中は、もちろん、全員新聞社や放送局、通信社を、とっくのむかしにやめていますので、現在は、単なる一般市民、オールド・フリーター、会社役員といったところです。

 ただ、いまなお、原稿を書き続けている者も、4、5人はいますし、「9条実現」のバッチを、胸につけ憲法9条の改正に反対している者もいますので、かならずしも、現役引退者たちと、いうわけでもないのです。ヤザキ氏などは、「学校ごっこ」で“歴史から考えるジャーナリズム”という講座を受け持っているようですし、この押し詰まった12月27日には、入歯亭六輔(永六輔)と入歯亭泰久(ヤザキ泰久)という芸名で、紀伊国屋ホールにデビューするとか言って張り切っています。

 私なんぞも、あまりにもエネルギーをもてあました中高年者が多いのを見ていて、非行に走らないかと心配になり、過去の懺悔録などを書きとめるような「特別講座」でも開こうか、と考えているところです。12月10日