浦山口と表参道との合流点より大持山(左)、小持山

大持山、小持山

武川岳や蕨山に登りに行こうと飯能から名郷行きのバスに乗る。町中を出ると入間川の谷間沿いで、手前の低い山々の上に堂々と頭をもたげる山が望まれる。あれは蕨山だろうか、それとも大持山だろうか。このあたりはまだ数えるほどしか訪れていないので、遠望しているうちは自信がない。
大持山は秩父・奥武蔵の山としては標高が高い方で、伊豆ヶ岳から眺めれば武川岳左後方に障壁のように立ち上がり、その武川岳の天狗岩コース途中からは虚空に丸い頭をぬっと突き出す。武甲山から眺めれば手前の小持山と並んで山深さを演出し、あの山頂まで行ってみたいと思わせる。


大持山に初めて登ったのは武甲山との縦走の際だった。浦山口からの長い登路を経て達した武甲山で長々と昼食休憩をした後に登山道が十字に交わる肩に戻る。ここは往路または表参道を経て下るか、目の前の小持山、大持山を越えて名郷まで歩くかを決めるべき場所である。大持山と小持山は並んで浮かび、もちろん登りに来るんだよねと言っている。
もっとも、大持山は武甲山とほぼ同じ標高で(かつては武甲山の方がかなり高かったのだが)、見下ろす鞍部まで下ると同じ高さを登らなければならない。じつは武甲山を登っている最中から縦走をやめて下ろうかなどと弱気になっていたのだった。だが武甲山・大持山周遊ルートは日帰りではきつく、今回諦めるといつ来られるかまるでわからない。この山行計画を最初に立てたのはだいぶ昔の話で、ようやく飯能駅前に前泊として実現させたものなのだった。山頂で休憩したので体調は悪くないし、やはり行くことにした。
歩き出してしまえば当初計画通りなので後悔はない。右手は雑木林の防火帯のようななかを行くので気分は明るく高揚しさえする。シラジクボまでは急傾斜だが足下はしっかりしているので安心だ。ちょうど午だからか、空気がかなり暖かくなっている。下り着いた先では2月だというのにシャツ一枚で休憩した。
シラジクボより武甲山を振り返る
シラジクボより武甲山を振り返る
小持山へは急坂を行くとガイドマップにあったが、平坦な道のりあり、ゆるやかな登りありなので苦にならない。痩せ尾根の左右は枝越しに眺めが得られる。右手には逆光になった奥多摩の三ツドッケあたりが高い。左手には昨日歩いた武川岳から二子山への稜線と、その向こうに丸山から飯盛山に続くやわらかな稜線が浮かぶ。ルートの西側はところどころ木々が途切れるところがあり、武川岳が前武川岳から二子山まで眺め渡されることもあった。足下に目をやれば赤みがかった堅そうな浮き石が散見される。チャートだろうか。西上州の稲含山あたりでも見た覚えがある。
小持山への登りより武川岳を望む
小持山への登りより武川岳を望む
ここまでが登ったり平坦に歩いたりと移動が長かったので、小持山山頂へは後から振り返ってみるといつのまにか着いていた感がある。来し方を見れば武甲山が見事な円錐形で、表から見るのとは異なり優美な姿だ。背後に秩父盆地、右手に武川岳や伊豆ヶ岳を控えさせ、鷹揚に構えている。それでも採石作業の音はここまで届く。響きはすでに小さくなっているが、確実に山体を削っていることには変わりない。


小持山から大持山へは岩稜を回り込む細い山道から始まる。奥武蔵とは思えない岩がちな細尾根が続き、踏み幅も比較的狭く細かいアップダウンもある。まだ2月のためところどころに残った雪が凍って滑りやすい。中間点にあたる場所は見晴らしが良く、蕎麦粒山、三ツドッケ、大平山が目の前で、”奥多摩”にあって眺めるよりも明るい雰囲気を漂わせている。立ち止まって休む口実には十分だ。
小持山から大持山への稜線より武川岳(左)、伊豆ヶ岳・古御岳(右奥)
小持山から大持山への稜線より武川岳(左)、伊豆ヶ岳・古御岳(右奥) 
稜線より奥多摩・日原の山並みを仰ぐ
稜線より奥多摩・日原の山並みを仰ぐ 
登り着く大持山山頂は細長い頂稜の一角で、入間川沿いから仰いで予想したのとは異なり鋭角性は感じられない。木々に囲まれてはいるものの葉が落ちているのでそこそこの見晴らしは得られるが、ここまでで眺めてきたものが良かったので有り難みはない。なのでそのまま頂稜部を歩いていくと、正面が明るく開けてくる。着くのは妻坂峠への分岐で、ここは入間川の谷間とその両側の山々を見下ろす格好の展望台だった。正面には蕨山に続く山稜、左手には武川岳、その向こうに伊豆ヶ岳、蕨山の右奥には有間山。彼方には関東平野が茫漠と広がる。いまはそこここに人家や植林帯が見られるが、かつてはみな雑木林だったのだろうと思うと隔世の感も湧く。
妻坂峠分岐より鳥首峠・蕨山方面を望む
妻坂峠分岐より鳥首峠・蕨山方面を望む
すでに日はだいぶ傾き、風も冷たくなってきている。名郷でのバスの時刻が気になるが歩程を検討して間に合うものと考え、妻坂峠へは向かわず予定通りに鳥首峠へと続く右の尾根を下りだす。始めこそ急だったが、なだらかとなると尾根が広がり、林床が明るい木々が静かに立ってこちらを迎え、見送る。見たこともないような広々とした凹地にも出会う。ウノタワと呼ばれる場所で、ここからも名郷方面に下れるようだ。この日歩いたコースの中でもっとも心地よい区間がこのあたりで、夕暮れも近づいているせいで人の姿もなく、ひとときの静かな山旅を味わえた。
ウノタワ、不思議な凹地
ウノタワ、不思議な凹地
だが植林が出てくると閉塞感が戻ってくる。木々が途切れると左手下に見下ろされるのは白岩の石灰岩採掘場で、一面真っ白で山の骨が露わになったかのようだ。どことなく憂鬱になって着く鳥首峠は、これから向かう名郷側が一面の植林で暗鬱さに覆われている。西の浦上側は雑木林の斜面で明るく、こちらを辿れればと思う。
植林帯は壁のような斜面で、電光型に折り返す山道を丹念に下っていく。ところどころ崩れたり、岩が出ていたりする。しかも支沢を何度も回り込むので水平移動の時間が余計にかかる。早々に車道に出られるのではと思っていたがかなかなか出られない。
ようやく人家が見えてきて安心していると、そこは恐ろしいことに廃村なのだった。白岩という集落跡らしい。背後には石灰岩らしきでできている岩壁が見えるが、採石でかなり無惨な状態になっているようだ。その下には畑地があるのだが、耕作されなくなってどれくらい経つかわからない。古い家はすべて戸が破れ、新しそうな家にしてもテレビアンテナは傾いている。山道脇の家を窓ガラス越しに覗くと、どこともわからない観光地のペナントが色あせて垂れていた。通路脇に立つ消火栓は機能を失って久しく、守るべき生活がこの地から消えてしまったことを如実に表している。
白岩集落跡
白岩集落跡
廃村跡を過ぎても、山道は続いていた。セメント工場の敷地が見えてくるとようやく車道が近くなった。工場は稼働している音が聞こえるが、ひとの姿はまったくない。事務所の前に出ても、やはり人影は見えなかった。


すでに鳥首峠から一時間近くかかっていた。予定からすると遅れている。あと30分ほどで実質的な最終バスが名郷から出てしまう。それで飛ばして歩いた。15分弱で名郷から妻坂峠方面に延びる道に出た。そこからさらに10分ほどで停留所に着いた。待っている人は誰もいない。車道に出たときはまだじゅうぶんに明るかったが、バス停に近づくころになるとすっかり夕闇に覆われるようになり、街路灯の光がよく目につくようになっていた。
すぐ近くにある店もすでに閉店していた。車は頻繁に通るが、さすがに歩いているひとはもういない。すっかり日が落ちた中を時間通りに来たバスに乗ったのは自分一人だった。
2007/2/12

回想の目次に戻る ホームページに戻る


Author:i.inoue
All Rights Reserved by i.inoue