夕暮れ近くの大持山より有間山(右)、蕨山、奥に棒ノ折山(たぶん)。手前は鳥首峠に続く稜線

有間山

武甲山大持山伊豆ヶ岳武川岳のような山々はもとより、さらに北方の丸山や堂平山や比企の山々に至るまで、水系を跨ぐことなく南の奥多摩山域を目指そうとすれば必ず行き当たるのが有間山だ。蕨山の西方にあって奥武蔵と奥多摩とを結ぶ一帯がこの山名で呼ばれており、稜線にいくつかのコブを並べている。三省堂のコンサイス山名辞典によれば、奥多摩の日向沢ノ峰から北に延びて鳥首峠まで続く尾根筋の山域の総称として用いられることもあるという。大持山あたりから眺めると大きく湾曲した稜線は抜きんでたピークがないかわりに全体としての量感が顕著で、そのなかの小さなコブを一つとって有間山とされたのではないことがよくわかる。
そのような有間山だが最高点はタタラの頭と呼ばれるコブで、名郷から鳥首峠を経て橋小屋ノ頭へ登り、ここから往復して蕨山経由で入間川畔に下る人が多いのではと思う。とはいえこの山稜を越える道路があるので橋小屋ノ頭からの往復登山とせずに名栗湖なり反対側の浦山大日堂方面なりに下ることもできる。しかし何せ舗装された立派な観光道路なので次から次へとは言わないまでもわりとよく車やバイクが通る。山に来てまでエンジン音を聞きたくない人には奨められない。
この道路ができる遙か以前から有間山は訪れてみたかったのだが、行くなら稜線を縦走して奥多摩と奥武蔵をつなごうと決めていたので行路の長さに躊躇してなかなか行かないでいた。かなり日脚が延びて長時間行動ができると思える4月上旬、この年の春の奥武蔵山行を締めくくろうと蕨山経由で登って都県界尾根に出た。鳥首峠経由とせず蕨山から上がったのは行動時間を短縮するためで、下山は踊平から大丹波渓谷沿いの道をとったが、途中バイクに拾われたものの青梅線川井駅に着いたのは日没後だった。


飯能駅から名郷までバスに乗っていったのは、例によって遅い出発だったからなのか、数えるほどもいなかった。蕨山の山頂稜線に出て逆川乗越へと下り、急坂を登り返すと眺めはさほどない橋小屋ノ頭に着く。ここからタタラノ頭まではコブをいくつか越えていく。
橋小屋ノ頭からタタラノ頭方面に向かう
橋小屋ノ頭からタタラノ頭方面に向かう
昔のガイドなどではヤブ山のように書かれているが、最高点までは山道がちょっとした防火帯のように切り開かれているので煩わしさはない。有間山が南北に延ばす頂稜の左右にはわりと直線的な谷が延び広がり、頂稜で眺望が開ければ”天空の架け橋”の気分が味わえるはずなのだが、稜線には木々が多く、葉の落ちた季節でさえ梢越しに周囲を垣間見るくらいだ。
いままで出てきたコブとは規模が一回り以上違うのが見えてくるとそれがタタラノ頭で、葉が落ちた木々のあいまから蕨山や棒ノ折山、その間にある有間川の谷間が望める。都県界尾根方面を眺めれば蕎麦粒山の三角形が浮かび、日向沢ノ峰で高度を落とす山稜左手には川苔山と曲ヶ谷北峰が並んでいる。好天の日曜だがさすがに山深いせいか有間山への人の訪れは少ないようで、山道の途中に大きな無線用アンテナを設置していた方に聞くと山頂へは二人くらいしか通らなかったという。伊豆ヶ岳や武川岳に比べればかなり静かな山であることは間違いない。
タタラノ頭山頂
枝越しの眺めが広がるタタラノ頭山頂
タタラノ頭を発って奥多摩側へと向かえばすっかり山道めき、ヤブも多少かかるところがある。有間峠へと下り気味なコースからは正面に川苔山など眺められて嬉しい。2006年に命名されるまでは無名だった峠は立派な道路が越えている。これは県営の「森林管理道」なるものらしいが、峠手前には観光地案内の標識まで掲げられて、名称はともかく実際は立派な観光道路なのだった。
都県界尾根を仰ぐ。右奥に蕎麦粒山
都県界尾根を仰ぐ。右奥に蕎麦粒山
タタラノ頭を進むと川苔山(左奥)が顔を出す
タタラノ頭から進むと川苔山(左奥)が顔を出す
有間峠は歩かずに登ってきた人たちのための展望台の様相を成し、東流する有間川の谷間が見下ろされる。流れの右に長尾丸から棒ノ折山を経て高水三山に連なる尾根、左手には蕨山の山稜が延び、山稜の彼方には関東平野が広がっていてなかなか大きな眺めだが、谷間両側の山腹を削り落とす道路がじつによく目立つ。谷の入口にある名栗湖はかなり貧弱な見栄えだ。
峠からはまだ工事し足りないのか未舗装の道路が都県界尾根目指して延びている。古い山道は峠を浦山側に少し回ったところから稜線沿いに付けられ、とくに入口の案内もない。ササがかぶるところがかなりあって、本当に歩かれているのかと思わせるところを上がっていくとひょっこり飛び出すのがガイドマップに仁田山とあるところで、あまり山頂らしくないが峠の車の往来に辟易した身には落ち着きが好ましい。ここはまっすぐ行くものと左へ直角に曲がるものの三叉路になっていて、都県界尾根に向かってまっすぐ行きたくなるが正面の木の幹に×印があり、とりあえず左への道をとる。すぐに植林の伐採地に出て、古い標識なども現れ、こちらが正しいことが確認できる。
稜線直下を行く道の左手すぐ下には、どうも有間峠から延びてきている未舗装道らしいのが併走している。これがだんだん高さが同じになると、ついにそこから踏み跡が上がってくる。途端に今歩いている山道が格段によくなる。稜線通しの山道はやはり歩かれない、または維持管理の対象ではなくなってきているらしい。
ここからは目の前に迫ってきた都県界尾根に向かって登っていくだけだ。足下がよくなったので歩みが捗るが、途中にある送電線鉄塔基部では本日一番の眺望が広がるため、どんなに先を急いでいても足を止めざるを得ないだろう。いままで梢越しに眺めてきた山や谷が、ここからだとすべて素通しに見える。とくに西に広がる浦山谷を隔てて立ち上がる大持山と小持山の連山屏風は低山などとは呼べないすばらしさだ。眺めがよい分吹きさらしだが、上着を着込んでカメラを持ってうろうろしながら周囲の眺めを堪能した。
大持山、小持山
送電線鉄塔基部より;
(上) 大持山、小持山
(下) タタラノ頭
(さらに下) 長尾丸から棒ノ折山に続く稜線。左奥に名栗湖
タタラノ頭
長尾丸から棒ノ折山に続く稜線。左奥に名栗湖
鉄塔基部から都県界尾根へはヤブのないすっきりとした道が延びていた。広々とした防火帯の稜線に乗れば見慣れた奥多摩の山々が出迎えてくれる。少しの無沙汰だったね、と挨拶して、踊平へと防火帯の道をたどっていった。


踊平からは獅子口小屋跡経由で大丹波川沿いを下ったが、全体としてなかなか長い行程だった。とうの昔に終バスも出て歩くしかない下山途中の車道でバイク乗りのかたに拾ってもらい、駅まで載せていってもらえたので大いに助かった。まともに歩いていたら相当に歩きでがあったことだろう。とうの昔に日が沈んだ多摩川沿いの谷間は、車のヘッドライトばかりが目立つのだった。
2007/04/15

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