緑のラブレター

藤野 ”芸術の道” (一)

いまは相模原市となった神奈川県の藤野町では20年ほど前に町域内のあちこちに野外環境彫刻が配置され、それが今日でも残っている。藤野の山歩きで相模湖南岸に出向くと必ずいくつかは目にするので気になっていたが、全てを見て回るのは山のついでだとできそうもない。なので2008年の秋にアートだけ見て回るという目的で藤野を訪れてみた。予想通り、半日かけるだけの面白い散策になった。
この芸術の道のマップだが、知っている限りでは2001年6月に制作された『藤の細道』か、これをもとに2007年10月に藤野町商工会が作製した『ゆずの里藤野』というパンフレットがあるきりで、専用のものは出ていない模様だ。いちばん詳しいのは現地2カ所に設置されている案内板の地図と思えるので主要部分を以下に掲げる。
芸術の道 全体図
(白抜き番号は野外彫刻の通し番号。以下の本文で作品名の前の番号が対応している。
 なお、本稿執筆時点で#3,#14,#30の作品は記載場所に存在しない。)
(2012/08/11追記:本MAPのPDFファイルが公開されているようです。 ←削除された模様です(2023追記)。
 「芸術の道 野外環境アート作品ガイドとコースの案内」MAPデータ。 本PDF公開告知ページはここ


藤野駅に降り立つと、よほど天気が悪くない限り、南側に低く横たわる山の中腹にハートマークで封緘された手紙のオブジェがあるのに目がとまる。これが藤野を訪れるひとがおそらく最初に目にする野外環境彫刻の29「緑のラブレター」(高橋政行)で、藤野町のシンボルとなっている。
さらにホームに佇んで周囲を見渡せば、藤野市街地を越えた谷間の向こうには丹沢山塊が重量感ある連嶺を見せ、上野原方面を眺めれば扇山が半月型の山容を見せていることだろう。しかし景色に注意を奪われていると、駅裏手から騒音を響かせる高速道路の側壁にさりげなく美術品が仕込まれていることに気づかないかもしれない。いや気づいても野外環境彫刻とは認識しないことだろう。なぜならそれは壁画だからだ。(2「藤波」(輿倉豪)。作品名と”彫刻”のキーワードだけ与えられたら、何度も目にしていても見つけられないかもしれない。じっさい自分がそうだった。)この作品は夕暮れに駅から鑑賞するのがよい。金箔が夕日に輝いてじつに豪勢だ。
藤野駅前にはコンビニがあり、"芸術の道"は山間を行くものなのでここで食料を調達していく。そのまま相模湖側に下り、アートショップの”シーゲル堂”に入る。店番の老婦人に”芸術の道”について尋ねると、駅前にあった陶器製の作品3「鳥と妖精」(高橋安子)は壊されたあげく、駅前工事の煽りをくらってなくなってしまったという(代わりにというわけではないが、シーゲル堂に高橋氏の小品が並んでいる)。なお、やはり駅前にあったバイクの部品でできていた人形も工事で撤去されてしまったらしい。もっともこちらは”野外環境彫刻”のカテゴリには入ってなかったそうだ。
駅から離れ、旧町役場(現藤野総合事務所)にある1「空」(狩野炎立)を見に行く。入口玄関前にあった彫刻は意外と小さかった。まだ町中のうちなので小振りなものからスタートだ。
2「藤波」(輿倉豪)
藤野駅前のシーゲル堂
1 「空」(狩野炎立)
"芸術の道"案内板にある3「鳥と妖精」(高橋安子))の往時の姿
(左上) 2「藤波」(輿倉豪)
(左下) 藤野駅前のシーゲル堂
(右上)  1 「空」(狩野炎立)
(右下) "芸術の道"案内板にある3「鳥と妖精」(高橋安子))の往時の姿
旧町役場から日連大橋に向かう。役場手前にある駐車場の奥に国道20号に下る細道があり、集会所の脇で国道を渡ると橋に向かう車道へのショートカット階段がある。このあたりは車が多いのに歩道がないので、これらをたどったほうが安全だし早い。
橋の手前にはこのあたりの山の行き帰りに何度も目にする4「記憶容量−水より、台地より」(岡本敦生)。どうにも性的なものを感じさせる造形だ。橋を渡って反対側の歩道には同じタイトルの5「記憶容量−水より、台地より」(岡本敦生)。こちらも重なる丸石が淫靡な雰囲気を漂わす。
4 「記憶容量−水より、台地より」@(岡本敦生)
5 「記憶容量−水より、台地より」A(岡本敦生) 日連大橋から正面に杉金剛山(右奥)と峯(中央)を望む
(左上) 4 「記憶容量−水より、台地より」@(岡本敦生)
(左) 5 「記憶容量−水より、台地より」A(岡本敦生)

(右) 日連大橋から正面に杉金剛山(右奥)と峯(中央)を望む
再び元の歩道に戻り、右手にバンガローを見下ろしながら上り坂を歩き、交番手前で右に下っていく車道に入る。下りきれば歩道のない秋川橋で相模湖を渡る。この橋は車がそこそこ通るので足早に渡りきる。


左手に高倉山から続く山稜を眺めつつゆるやかに登っていく。2001年発行の『藤の細道』にはこの登りの最中の左手に「Untitled-1988](崔在銀)がある旨書かれているが、"芸術の道”の案内板にも「ゆずの里藤野」のパンフレットにも記載がない。早い時期に損壊してしまい、修復不可能になったのかもしれない。
二車線道路が右手にカーブを切って上っていくところに6「両側の丘の斜面」(三梨伸)。単純な円錐なのだが、じっくり眺めるとLovecraftの描く異次元世界に出てきそうな感触を湛えている。魅力的な薄気味悪さだ。
6 「両側の丘の斜面」(三梨伸) 
正面に続く細い車道に入る。登りが平坦となると左手下に芝田の住宅地が見下ろされる。そちらに向かう車道を見送り、標高を保ったまま歩く。人家も車の数も減り、静かな山あいの道となる。
右に木工所のような建物を見送ると、7「COSOMOS」(村上正江)。続けて8「限定と無限定」(古郷秀一)9「射影子午線」(加藤義次)と個性的なのが現れる。「限定と無限定」はじつに環境に合っていて好みのオブジェだ。くすんだ色彩がじつに山に合う。「射影子午線」は少し前の写真を見るとくすんだ色合いだったので、最近新たに塗り直されたのではと思う。作品そのものは鮮やかで宇宙的な造形だ。
8 「限定と無限定」(古郷秀一)

9「射影子午線」(加藤義次)
7 「COSOMOS」(村上正江)
(左上) 8 「限定と無限定」(古郷秀一)
(左)  9「射影子午線」(加藤義次)
(上)  7 「COSOMOS」(村上正江)
   
ここから10分強ほど上り坂が続く。”芸術の道”ではもっとも山深さを感じられる部分で、路面を除けば周囲に人造物がほとんど見られない。左手の谷間越しには深さを感じさせる山稜、振り返れば杉金剛山が高い。予想外に山の雰囲気を味わえると喜んでいると、右手に家の屋根が見えてくる。高所に広がる葛原の集落の一端だ。
登りが済んで平坦になると、左手に11「森の守護神」(佐光庸行)が重々しく立っている。右手の高みには寺の屋根が見え、ここで休もうと石段を登る。桂林寺という名の禅寺で本堂は新しく、手前に広がる境内は清々しい。隣接する墓地の一角には表面の字も明瞭な近世の水子供養碑が集められており、当時の集落の様子が窺われるようで感慨深い。本堂を背にすると正面に13「山の目」(高橋政行)が仰げる。寺を出ようとする人は文字通り山と対面することになるわけだ。
11 「森の守護神」(佐光庸行)
(左) 11 「森の守護神」(佐光庸行)
(上) 13「山の目」(高橋政行)
寺を出て進むと葛原(とずらはら)のバス停がある。誰かが防音設備のない家で近所迷惑を考えずに練習しているのか、パーカッションの音がうるさい。T字路にぶつかり、ここは右に行く。


道なりに歩いていくと正面左手にアーケード入口のようなものと赤い鳥居が見えてくる。入口のようなものは藤野園芸ランド遊歩道へを示すもの。鳥居は葛原神社のもので、脇に”芸術の道”コース案内板が設置されている。冒頭に掲げた地図にせよ、藤野町商工会のパンフレットにせよ、どちらを見ても12「回帰する球体」がここまでの道のりの左手に出てくるように思えたかもしれないが、登場は先である。
葛原神社鳥居脇の案内板(一部)
葛原神社鳥居脇の案内板(一部)
12「回帰する球体」は緑色の道の脇ではなく、細い黒の道の脇にある。
17「羅典薔薇」と18「景の切片」の位置関係が実際と異なっている(本文参照)。
14「bamboo nest」は撤去されている。
 
鳥居の向かいにはひっそりと17「羅典薔薇」(加藤義次)。薔薇と言うより扇風機のようだ。背後の駐車場の奥に18「景の切片」(菅 木志雄)。ここにある”芸術の道”案内板では、17はトイレ近くにあり、17の遙か手前に18があるように書かれているが、実際には17は神社の鳥居の前にあり、かつ17の向こう(地図だと上方)に18がある。その18は円形ならぬ三角形に並べられたストーンサークルで、現代だからか中心に赤い鉄塔が立つ。内部に入って車道側を振り返ると、結界から外を眺めている気分に浸れる。
(2012/08/11追記:「景の切片」は手前にあった岩の列がだいぶ前から排除されています。もはや結界は存在せず、まるで違う印象の作品です。かなり疑問の湧く--疑問というより怒りに近い--扱いです。)
18 「景の切片」(菅 木志雄) 17 「羅典薔薇」(加藤義次)
18 「景の切片」(菅 木志雄) 17 「羅典薔薇」(加藤義次)
ここで藤野園芸ランド遊歩道のゲートをくぐって細い道(地図上の黒線の道)に入る。すぐ左手の小平地に12「回帰する球体」(中瀬康志)。初めてこの先の山を登りに来たときは全く目にとまらなかったほど環境に溶け込んでいる。これこそここに置かれないといけない野外彫刻だろう。なおこのあたりは蚊が多いので夏場は注意。
12 「回帰する球体」(中瀬康志)
 12 「回帰する球体」(中瀬康志)
遊歩道の右手が畑地となったところであぜ道に入る。そこは葛原神社境内の高台手前で、15「吠える」(植草永生)が畑地を見下ろしている。高台に乗ると眺めが広い。彼方には鶴島御前山や扇山、権現山が居並ぶ。「吠える」自体はぐるぐる回って観察しても何が何にどう吠えているのか不明瞭だった。面白いことに下に掲げた写真だと何かが吠えているように見えもする。 (このときはだいぶ汚れていたものの、後日洗浄されだいぶ白くなった模様。)
屋根の下に並ぶテーブルとベンチを過ぎると左手下に16「語り合う石たち」(杉浦康益)。中央に立っている石板は3つくらいに折れてしまっているようで残念だ。それでも石は自立しているだけでなにがしかの存在を裡に秘めているかのように思わせる。これらが人為的に立てられたのは解っているし、石が立っていることそのものも山では珍しくないのだが、平地での目には落ち着かなさを感じさせる。人類の”古い記憶”のなせるわざだろうか。(そんなものがあるとすればだが。)
「吠える」と「語り合う石たち」の前に広がる畑地のなかあたり、かつて14「bamboo nest」(ニルス・ウドという作品があったらしい。この日の帰りがけに出会った地元のかたに聞くと、造られたのは20年も前なので、竹でできていたため腐ってなくなってしまったという。奥まったところにある竹林にその面影を想像するしかないのだった。
15 「吠える」(植草永生) 16 「語り合う石たち」(杉浦康益)
 「Bamboo Nest」(ニルス・ウド)の往時の姿  
(左上) 15 「吠える」(植草永生)
(右上) 16 「語り合う石たち」(杉浦康益)

(左) "芸術の道"案内板にある14「Bamboo Nest」(ニルス・ウド)の往時の姿 
園芸ランド遊歩道に戻り、山に向かって上がっていく。まっすぐだった舗装道が右に折れるところに、13「大地の塔land tower」(國安孝昌)。夏から秋にかけてだと"塔"は夏草に覆われ尽くし、言われなければ野外彫刻とはわからないことだろう。それでもよく見れば一部に木組みの構造物が垣間見え、なにかの遺跡のようにも感じられる。作成された当初はもっと高かったらしい。そういう意味ではまさに遺跡と化する道をたどっているのかもしれない。文字通り生きた彫刻なのかも。
13 「大地の塔land tower」(國安孝昌)
すっかり夏の草木に覆われてしまった 13 「大地の塔 land tower」(國安孝昌)。
左端に名倉金剛山へを教える標識が見える。
振り返れば、かなたに陣馬山生藤山の山塊がのびやかに広がっている。自然の造形はスケールという点で人工物の追随を許さない。だがたとえ小さくとも作品に凝縮されているアイディアと熱意はどんな規模の自然も持ちえないものだ。多少なりとも面白いと思えた時点で十分に存在価値がある。ここまでで1ダース以上の野外彫刻を見てきたわけだが、遠くから近くから、前後左右を眺めてみるにつけ、周囲の風景と合わせて表情を変えていく様子は博物館内では味わえないものだ。


初めて”芸術の道”だけを目してやってきた初日は「大地の塔」で夕方近くなってしまい、写真写りも悪くなってきたので家路につくことにした。駅に向かう途中にも野外彫刻は多いのだが、それらは次回訪問時の記事で触れようと思う。山帰りの人も多い藤野駅の裏手では、2「藤波」(輿倉豪)が夕日に輝いていた。
2 「藤波」(輿倉豪)
夕暮れの2 「藤波」(輿倉豪)と鶴島御前山
2008/10/04

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