金剛山より藤野市街越しに生藤山。一番高く見えるのは連行峰。中央で尖っているのが茅丸。その左手の破風様の右側が生藤山のピークとされるもの。三国峠、生藤山、茅丸、連行峰

陣馬山の西方にあって、三国峠(三国山)、生藤山、茅丸、連行峰と並ぶピークを南方から眺めると一つの大きな山に見える。総称があってもよさそうに思えるのだが寡聞にして聞かない。大正時代に刊行の河田驕w一日二日山の旅』でも個々の山々の紹介があるだけだ。現在の二万五千分の一地図では総称どころか三国峠以外の記載がない。
かつて笹尾根の浅間峠から熊倉山を越えて和田峠まで歩いたことがあるが、生藤山を初めとしていずれもちょっとしたコブに過ぎず、三国峠を除けば展望もあまりなく、茅丸よりあとはこれといった印象のないまま和田峠に出てしまった。それ以来このあたりの山は面白くないものと思っていたが、先頃藤野駅近くの金剛山から生藤山方面を見ると個々のピークはともかく全体として見れば堂々とした山であることに気づいた。これは登り直さなければならないと思い、初夏の季節に歩きに行ってみた。眺めについては初訪時と変わらないが稜線は雑木林が多く、人のいない時間帯に歩いたせいで本来の山の雰囲気がよくわかり、悪くない山だと再認識したのだった。


本日の登山口は鎌沢入口というところだ。藤野駅からバスが通っているがすでに昼もかなり過ぎていて都合の良いのはない。それでタクシーを奮発し、バス停上にある集落まで入った。ここから歩く車道の傾斜はかなり急で、どちらかというと人間の足向けではない。あたりには驚いたことに茶畑が目立つ。背後の谷間の向こうには陣馬山がゆったりと広がり、早々に汗まみれになりながらもこれを見ただけで本日来た甲斐があると思えた。
鎌沢休憩所より陣馬山
鎌沢休憩所より茶畑の向こうに陣馬山
車道を登りきって入る山道はよく踏まれていて斜度もなく歩きやすい。15分もしないうちに出る峠のようなところは丁字路になっており、ここから尾根筋に向かう。桜の木が目立ち、まるで公園のようだ。すぐ植林が続くようになるが、林床に灌木があり、雑木林も時折現れて単調にはならない。ところどころで枝を差し伸べる桜の大木が時期さえ合えば見事なものだろう。なんとなく着いてしまう佐野川峠は鎌沢側からだと尾根筋にあたり、どうやら片峠のようだ。峠の上にはお地蔵様がいらっしゃった。ここを登って奥多摩側に出る人もいたということかもしれない。
桜の点在する中を佐野川峠へ向かう
桜の点在する中を佐野川峠へ向かう
ベンチが現れると甘草水への分岐点だった。ここで休憩していると若い外国人の女性が一人登ってきた。この時刻に登ってくること自体が驚きだが、外国人なのでもっと驚きだ。三国峠から熊倉山方面に向かうという。現地点の標高を聞かれたので教えているうちに、話が弾み、峠までは一緒なので会話しながら登った。
甘草水分岐
甘草水分岐
三国山は展望の良い山頂で、よく踏まれて裸地が広がっているが灌木が周囲にあるせいか荒れた感じはない。眺めも良く、まずは権現山や扇山が目に入る。権現山は甲東不老山方面に伸ばす尾根が大きく、全体として根張りの大きな立派な山に見える。その尾根の上から覗く扇山も存在感では負けていない。尾根の前にはゴルフ場を抱える聖武連山が優しげだ。
倉岳山高畑山大桑山が三つ子のように並ぶのが印象的な秋川の山々の手前に尖るのは綱之上御前山だろう。丹沢もよく見え、焼山から袖平山に伸びる稜線の上には丹沢三峰や丹沢山が顔を出す。その左手には大山の三角形がいつものように美しく、さらにその左手には大山三峰が本家に比べてささやかとさえ思えるコブを並べている。これらの足下には道志の地味な稜線や、石老山石砂山が夏の緑に染まっている。先日歩いた金剛山や鉢岡山も指呼できた。


三国山から5分もかからずに生藤山だが、木々に囲まれた小さな山頂で、狭い空間に設置されたベンチの反対側にはさび付いた防火用ドラム缶が5個も並んでいる。以前に訪れて知ってはいたが、やはりあいかわらず雰囲気はよくない。それでも誰もいない山頂であればやや去りがたく、ほんの少し開けた枝の合間から扇山を改めて遠望するなどしてぐずぐずする。
三国峠から扇山(左奥)、権現山(右奥)
三国峠から扇山(左奥)、権現山(右奥)
扇山の手前に甲東不老山(左)と高指山
ゴルフ場左上にあるのは聖武連山
茅丸へ向かうべく登り同様に細い道を下る。岩が所々出ていて”山な”感じがするのが嬉しい。生藤山を巻く道に合流すると穏やかなものとなり、左手、梢越しに大岳山が予想外に近く望めるところもある。
生藤山から茅丸のあいだの雑木林
生藤山から茅丸のあいだの雑木林
茅丸は古いガイドだと山頂を巻くように書かれているが、いまでは山頂への道が付いている。河田驍ェ伝える大正時代あたりでは眺めの良いカヤトの山頂だったらしいが、すでに100年近い時が流れた現代では生藤山同様に木々に囲まれて閉塞している。生藤山以上に狭い空間だが、ドラム缶がないだけ気持ちよい。みな山を下る時間帯なので人声もなく、ちょっとした隠れ家の雰囲気を愉しめた。


茅丸を下り、雑木林の葉群が織りなす濃淡模様の下を連行峰へ向かう。紅葉の時期に歩けば素晴らしいところだろう。連行峰はこのあたりでは茅丸とともに1,000メートルを抜くものではあるが、山頂とされるところは行路の途中といった風情で、手前のコブの方が標高が高いのではと錯覚するほどだ。主稜線から別れて檜原村の柏木野に向かう三国峠道は草深いようで、行くのであれば冬枯れの季節がよいものと思える。分岐の傍らに立つ標識には”連行山”とあり、『一日二日山の旅』も田部重治や木暮理太郎もこの呼称を使っているので、こちらのほうが正統なのかもしれない。山道に沿うように並んでいるベンチの上に立つと、ふたたび大岳山が見えた。
連行峰(連行山)山頂
連行峰(連行山)山頂
この少し先から急降下が始まる。下りきったところの道ばたには素朴に「山の神」と文字が刻まれた石版が置かれていた。登り返せば醍醐丸だが本日のところは割愛して谷あいを和田へと下る道に入る。植林のなかをジグザグに下りていくが、10分強にすぎなかったのにかなり長く感じた。雑木林に移り変わるところで陣馬山の一ノ尾根の上に展開する丹沢連山が目に入る。陣馬山の近くとは思えないほど山の深さを感じさせる眺めだ。そのうち大きな家の屋根が見えてくる。これは山中の一軒家で、真下の谷間に広がる茶畑が均整のとれた美しさを見せている。
陣馬山一ノ尾根(左)の上に丹沢連山
陣馬山一ノ尾根(左)の上に丹沢連山
丹沢三峰(左奥)から桧洞丸(中央やや右)、大室山(右奥)
歩きやすい生活道路を下っていくとすぐに沢筋に合流し、冷たい流れで手を洗った。坦々と15分ほどで車道に出て、すぐに和田峠から下ってくる車道に合流した。ここから一時間強で藤野駅に着いた。


三国峠まで同行した女性はフランスの大学にいる社会学専攻のルーマニア人の博士で、日本の某大学に籍をおいて社会哲学の論文を書いているらしかった。日本語が上手だが、母国にいるあいだに学校で習ったという。しかし日本人との会話は日本に来てからだとか。ほかに英語もドイツ語もできると言っていた。羨ましい才能だ。
日本の山は静かでよいと盛んに感心していた。"時間差登山"のせいだろうが、ちょっと嬉しい。有名山岳ではなく生藤山のような、外国からのかたにとってはマイナーと思える山のなかで聞くのでなおさらだ。驚いたことに彼女は上野原駅から歩いてきたという。愛らしい見た目からは意外だが実は武道もたしなむ剛のひとなのだった。ローマ人の血を引くと言われるラテン的な民族性がこの明るい性格をつくっているのだろうかと思えるほど、人見知りをしない楽しい人だった。
2007/06/03

回想の目次に戻る ホームページに戻る


Author:i.inoue
All Rights Reserved by i.inoue