陣馬山山頂直下陣馬山

高尾山の奧に連なる低山の山並みを奧高尾と言うそうだが、陣馬山(じんばさん)はその奧高尾の掉尾に位置し、和田峠を隔てて奥多摩山域と対峙している。山頂は裸地化したところもある草原で、あちこちに茶屋があり、おまけに山名からの安易と思える連想で3メートルくらいの白馬の像まで建っている。人工施設が多いぶん山頂というよりは公園という感じが強い。陣馬山は戦国時代に武田の軍勢が小田原北条氏方と合戦したときに山頂に陣を張ったところから名が付いたと聞いている。昔の五万分の一図でも山名は陣「馬」山ではなくて陣「場」山であったとものの本には書いてある。どこでどう意味がずれていったのかわからない。


山頂は眺めがよい。しかし晩秋に初めて高尾山から縦走したときは着くのが夕方近くになり、奥多摩方面の眺めも夕靄に霞みがちになって明瞭な山の姿は見ることができなかった。眺めの悪さはスモッグのせいかもしれない。だとしたら都心に近い山の宿命といえる。
高尾山から縦走してくると、とくに景信山あたりから左右の眺望を植林に妨げられた稜線歩きを続けてきたものだから、また四囲の開けた場にたどり着いて感激、というフィナーレとしての演出はある。だが縦走路からほんの少し上がったところが山頂なので、陣馬山自体がどういう山なのかはよくわからないままになると思う。陣馬山イコール見晴らしのいい山頂、という「点」の認識になるのではなかろうか。陣馬山そのものをじっくり登ってみようと考えた場合、和田峠からだと、峠までは舗装道が続いているし、そこから山頂まで歩いて30分なので山姿、山靴である必要もなく手応えもなさすぎる。陣馬山南面の尾根から登るのがよさそうな気がする。
こういう考えで、ある冬の日の午後に中央本線藤野駅に降りてタクシーで南麓の陣馬登山口に向かった。例によって遅発ちで、連れを同行者に、上まで行ったら陣馬温泉に下って泊まるというのんびり旅である。タクシーの運転手が「これから登るんですか?」と呆れていたが、上まで一時間半の行程があるのに車を降りて歩き出したのは昼の1時過ぎだから無理もない。
最初の尾根の登りで車道歩きが少々あるが、尾根に乗ってしまえば雑木林が明るく、高尾からの主稜線と違って人もかなり少ない。向こうでは普段着の人もみかけるが、こちらは出会う人がみな山歩き姿なのでより山らしい気がする。二人で前後しながら背中を突っつきあいつつ仲良く(?)登る。暑いくらいの日差しを始終背に受けて、一時間も歩くと二人とも顔じゅう汗まみれになった。
山頂は3時過ぎだというのに人影が多い。雪はないが、北側からの冷たい空気が吹き上がってきていてさすがに寒く、奥多摩方面を眺めつつ閉店間際の茶屋で甘酒を飲む。そういや大岳山に久しく行ってないな。また行きたいものだ。あの山は山歩きのスタートになったところだし、姿が特徴的だからいつもこのあたりの山に登ると最初に探すものだ。今日はやや機嫌がよさそうでなによりである。もっとも、写真に撮って現像したら白く飛んでいた。
さて下山にかかる。登りとは別の、ひとつ東側の尾根を南に向かって下っていく。こちらは斜度が急で周囲に植林も多く、雰囲気はあまりよくない。しかし最速で陣馬温泉に下れる。1時間も経たないうちに谷間の集落の中に入っていった。まずはユズを袋売りしている無人スタンドが出迎えてくれる。昔ながらの軒先を眺めつつ、狭く入り組んだ道を下っていくと、陣馬温泉に着く。


今日の泊まりは陣渓園というところで、ハイカーに人気のある宿だ。泊まるのは三度目だが日帰り入浴なら何度も来たところでもある。部屋に入って荷を解き、夕食の前にまず風呂だとばかりにタオルを持って浴場に向かうと、途中の厨房の前で猫の鳴き声がする。見ると、昔ここで見たようななりの猫がサイズをかなり大きくして食材の乗っている台を見上げている。見た気がするのも当然で、9年前にやはり連れとふたりで来たときに子猫だったのが大きくなったのだった。そのときは3月で、登った陣馬山の山頂は雪に覆われていたものである。
シーザー、ストーブの前
シーザー、ロビーのストーブの前
猫の名前はシーザーで雄、もう10歳でいい年のおじいさんらしい。連れは「むかしこいつをだっこしたなぁ」と、久しぶりの再会に喜んでいた。
2000/1/9

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