藤野駅ホームから金剛山(右)と峰。右奥にほんの少し見えるのは丹沢の焼山。金剛山、鉢岡山

藤野駅南東にある金剛山は駅から歩いても半時ほどで登山口に行け、稜線が繋がる鉢岡山や宝峰と結んでも半日程度の行程だ。例によって寝坊した初夏の朝、高尾・陣馬のガイドマップを眺めているうち金剛山から宝峰へのコースが目にとまり、午後を里山で楽しむべく出かけてみた。稜線ではすでにかなり葉が茂っているもののところどころで広がる眺めは予想以上で、鉢岡山にも足を延ばしてみたところ短いものの立派な山腹道や謎めいた山稜上の建築物などもあってしきりに好奇心をかき立ててくれた。一部はヤブ気味であったことを差し引いても、よい半日の山歩きだった。


藤野駅には2時に着いた。ホームから駅前広場越しに見える金剛山はすでに全身濃い緑をまとった夏の装いで、右手の奥には丹沢山塊が霞んでいる。駅からの車道は日連(ひづれ)大橋まで歩道部分がなく、橋を渡った先もわりとすぐになくなる。車の往来に注意しつつ写真を撮りながらバス停の標識を追うように歩いていくと、赤い鳥居が目を惹く金剛山登山口に着く。入口には手作りの標識があって「美しい自然 君の手で」とある。標識上に彫られた子供の笑顔が笑みを誘う。
金剛山への登りから藤野駅周辺市街越しに生藤山を遠望する
金剛山への登りから藤野駅周辺市街越しに生藤山を遠望する。
まずは10分ほど樹林の中をジグザグに登る。出だしは植林だがすぐに雑木林となって続く。良い意味で驚きだ。開けたところに出ると直登が始まる。急だがよく踏まれているので登るには問題ない。振り返ると顕著な山が相模湖末端の上に見え、休憩かたがた地図を確認すると、生藤山だった。汗まみれになりつつ15分ほど登ると傾斜が緩み、金剛山山頂の一角に出た。
祠の建つ金剛山山頂
祠の建つ金剛山山頂。
広くもなく狭くもない空き地の奥に覆い付きの社が建っている。地面の踏まれようから人の訪れが少なくないことが分かる。社の裏にはケーブルテレビのものらしきアンテナが立っているが気にするほどではない。葉の出た木々に囲まれて見通しはないが、山頂空間は好ましいものだった。汗を引かせるため腰を下ろし、清涼飲料水を口にする。風でときおり新緑が揺れ、そよぐ音が響く。中央自動車道や麓の道路からエンジン音があいかわらず聞こえてくるが、木々のたてる音のほうがよく耳に入る。すでにここで本日歩く山に好印象が持てた。
金剛山のみを往復する人が多いということなのだろうか、山頂から宝峰方面への縦走路にはいるとややヤブが被り気味だった。5分ほども行くと分岐があり、左に行くと岩があって北側が開けている。権現山、扇山がじつに形佳く、上野原の市街地の対岸には鶴島御前山が釣り鐘のような山容を見せている。権現山の向こうには大菩薩連嶺が延び、扇山の左手には滝子山が鋭い山姿を霞ませている。岩のてっぺんに乗ると陣馬山も見えた。
稜線上の岩から扇山(左奥)・権現山。左端に鶴島御前山。
稜線上の岩から扇山(左奥)・権現山。左端に鶴島御前山。
分岐に戻って下の道を行く。右手の視界が広がるところに下ってくると、そこは集落の真上で、向かいに日を浴びて明るいピークが見える。これが鉢岡山で、左手奥に見られる高い山が石老山、右手に高いのは丹沢の焼山から袖平山に続く稜線だ。その上にちょっとだけ頭を出していたのが蛭ヶ岳かもしれない。焼山の手前にはだいぶ低くなって石砂山が見える。その上に明瞭な三つコブが並んでいるが、これが丹沢三ツ峰だ。予想以上の展望に来た甲斐があったと嬉しくなる。


道筋は集落に向かうらしいものが右手に分岐するが、この季節、すぐに藪がかぶりだしたので無理には進まず引き返した。ごく小さな鞍部のようなところを乗っ越すとかわいらしい杉峠に出る。標識があって、鉢岡山への右に戻り加減の道、杉という名の集落や藤野駅へ向かう左に折れる道、日連山・宝山(宝峰)へ続く正面の尾根筋の道などを示している。予定にはないが鉢岡山も往復してみることにして樹木の覆う山腹道に入ると、小さなトラクターが通れるほどの道幅で、山肌も背丈ほどの高さを岩盤が見えるほどに削られている。相当頻繁に使われた生活道路だったのだろうか。日の差さない道はすぐに明るい出口を迎える。そこは先ほど眺めた集落のヘリなのだった。
右に下っていく舗装路とは別に左へは林道のような道筋が延びる。楽に歩いていくと、左手に稜線をたどりそうな山道が分かれているのでこれに入ったが、最初こそ快適なもののすぐにヤブが被り出し、足下も不安定になる。けっきょくこの山道は先ほどの林道に合流してしまった。しばらく行くと林道を塞ぐように立っている送電線鉄塔の下をくぐる。その先になぜか骨組みだけの家が出てくる。よく見ると大きな窓枠があるので別荘かなにかをつくろうとしたものらしい。
新和田集落越しに鉢岡山。左奥は石老山
新和田集落越しに鉢岡山。左奥は石老山。
新和田集落越しに丹沢の山並み。
新和田集落越しに丹沢の山並み。前面左端の山は焼山。中央は黍殻山で、右奥は袖平山。丹沢三ツ峰の手前は石砂山
踏み幅が細くなると傾斜も出てくる。クモの巣を払いながら雑木林の緑陰の道を行けば林道のような道筋に合流して左手すぐが山頂だった。標識の立つ分岐から半時弱ほど経っていた。葉の出た木々に囲まれて眺めがなく、大きなアンテナ施設もあって興ざめではあるが、午後も遅いせいかなにより静かで悪くない。山頂標識の裏にここがかつて武田領の烽火台だった旨の説明があったくらいなので、昔は見晴らしが良かったのだろう。
杉峠まで戻り、宝峰へと向かう。登っていくとところどころで眺望が開ける。陣馬山がひろびろと望めるところがあれば、さきほど登った鉢岡山の全体像を顧みられるところもあった。向かいでは石老山がどんどん大きくなっていく。かなり近いように見えるので大明神展望台からの道に合流できるかと地図を見てみたところ、彼我の境に川が流れていて少なくとも山系は寸断されていることが分かる。宝峰から下った後はおとなしく藤野駅に戻るのがよいようだ。
石老山がよくみえるところからすぐ、眺めの良いコブに着く。振り返れば金剛山の次に踏んだ”峰”というピークからここまで続く尾根筋が斜光線を浴びて輝いている。その先に霞むのは焼山を初めとする北丹沢の山々だ。この山域全体に言えることだが、これほど駅から近く、しかも低山だというのに開ける眺めは悪くなく、すでに夕方近いという時刻にもよるだろうが、静かだ。これらの性格が凝縮されたのがこの名もないコブだろう。ここはよいところだ。高い山に雪が付くころにバーナーを持って再訪し、お茶を飲むのが今から楽しみになった。
日連山手前のコブから振り返る金剛山へと続く稜線
日連山手前のコブから振り返る金剛山へと続く稜線
日連(ひづれ)山とされる頂はすぐ隣だった。眺めはない。その隣の宝峰も同じだった。それでも葉群を透かして差し込む日の光は美しい。本日歩いた道筋は全体に雑木が多く、紅葉の季節に訪れればきっと楽しいに違いない。なお、宝峰山頂には「宝峰」とある古い標識が木の幹から下がっていたが、山中の標識には「宝山」とあり、ガイドマップも後者が記載されている。
傾きだした日の光が差し込む宝峰山頂
傾きだした日の光が差し込む宝峰山頂
ここからの下りは急で虎ロープも出てくるが、急降下もこれから佳境かと思っているとあっけなく遊歩道のような道筋に出させられる。車は通れないものの林道らしい。歩くにつれ荒れた雰囲気になる陰気な道を歩いていくと、前方が明るくなって民家の脇で舗装道に飛び出すが、ここは丁字路でありながら特に標識もなく、逆コースだと曲がるべき箇所とはわからないと思える。
ここから駅までは標識などなく、地図を眺めつつだいたいの勘で歩いていった。行路の途中で見下ろした神社の境内では若者が相撲を取っていた。まわりで見物する青年男女の歓声が響く。微笑ましいものだったが、自分の地元ではまず見られないものだと思うと、少し悲しくもある光景だった。
2007/05/20

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