再確認したい日露戦争の世界史的意義

平成16年2月10日 産経新聞 正論
開戦100周年の記念日に思うこと

《《《 無視し得ぬ東京裁判史観 》》》
本年の2月10日は日露戦争開戦の100周年の記念日にあたる。
以後様々の記念行事の開催も予想されるので、限られた紙面ではあるが
この機会に祖国の歴史に刻まれた百年前の栄光の事蹟を一瞥しておく。

2月10日は正確には明治天皇の対露開戦の詔勅を奉戴した日付であり、
一方ロシア皇帝の対日宣戦詔書は9日付になっている。
実際の戦闘行動は8日夜半の日本駆逐艦による旅順港外のロシア艦隊
泊地攻撃及び瓜生艦隊の朝鮮牙山湾侵入と翌9日の仁川港外での
ロシア艦との交戦を以って開始とされていた。

因みに宣戦布告以前のかかる戦闘行動に対し、当時国際法違反という様な
非難はなく、むしろ弱小国と見られていた日本の勇気ある決断を賞賛する
ロンドン・タイムズの論調が主流をなした(マイケル・ハワードによる)。

事実、この果敢な決断は、とかく開戦慎重論乃至対露恐怖症に覆われ
がちであった国民世論に挙国一致の総力戦体勢を決心させる
鞭撻となった。

それから40余年を過ぎての後、大東亜戦争の敗戦に発する米軍の
長期占領と言語表現の抑圧、そして戦争裁判を手段とする洗脳宣伝
活動によって、日本国民は自らの歴史に係る栄光の記憶を
深く傷つけられ、奪われてしまった。所謂東京裁判史観とは、
我等の戦った大東亜戦争を@挑発を受けざるうちに先制攻撃に出
Aその動機が交戦相手国の領土・資源の占有であったが故に
「侵略戦争」であり、国家の行った犯罪行為である、と決め付けたものである。

この見方は現在国内では理論的客観的に完全に論破・否定されており、
今なおこの謬見にしがみついてものを言うのは極く一部の下心のある
「確信犯」にすぎないのであるが、他方日教組の亡霊がさまよう
教育界、殊に普通教育の教科書出版業界がこの排日・反日史観の
汚染を洗い流していない状況にある。つまり、間接的には東京裁判史観の
影響力は依然として無視し得ないのが現実である。

《《《 衝撃与えたロシアの敗退 》》》
そうである限り、この視点からの照射を遡って適用されている我が明治
時代の2つの対外戦争も、やはり父祖の輝かしい事蹟の歪曲と
卑小化を免れることができず、そのことが次代を担う少年達の
国家観・歴史観に及ぼす悪影響には深刻なものがある。その汚染を
防いでやることは、これは衒いでも徒なる気負いでもない、凡そ
憂世の情を懐く限りの知識人の義務である。

日露戦争の世界史的意義も、元来短い紙幅で意を尽くし得ることではないが、
ロシアの敗退によって19世紀いっぱい続いたヨーロッパ世界の勢力均衡の
構図に大きな変動を用意し、東方への進出を塞止められたロシアの
膨張力の方向転換が結局10年後の第一次欧州大戦の下図を描く結果に
なったこと、日本海海戦の圧倒的な印象が列強の間に忽ちにして
大鑑巨砲主義の建艦競争を導入したことを始め、日露戦争の戦訓を
有効に学び得た国とそうでない国との間での兵力・武力の差がやがて
夫々の国の運命を決定する重大な要因となること、眼に映る力の
面に於いてのみならず、殆ど全世界の予想を破って大戦争の
勝利国となった日本の、その国民精神のあり方に賢くも注目して
そこに範を取ることを試みた民族が、やがて国民教育に成功して
国際社会への台頭を果たし得たこと等々が挙げられよう。

《《《 白人支配の宿命意識一掃 》》》
この関聯がさらに顕著に看て取れるのが、言うまでもなくアジア・
アフリカの所謂有色人種に属する諸民族に於いてである。彼等には、
白人による世界史の支配は永遠に続く宿命である、と言った
諦めがあった。ところが日本のロシアに対する勝利は、この宿命が
変更可能であることを事実を以って立証してみせた。そこに
文字通り眼から鱗が落ちる様な彼らの覚醒が生じた。

そしてそれからわづか37年後に、日本人は東南アジアの諸地域を
白人の「占拠」から開放したのだが、その時、その地域の民族的
指導者層を形成していたのは、日露戦争の記憶をまだはっきりと
保持していた世代であった。事態はあの戦争が暗黙のうちに
予言していた世界史の決定的転換の成就に他ならなかった。
この転換によって生じた歴史の新しい流れは最早決して
元に戻ることはない。

この大転換を成し遂げたのが、国民として団結した形での日本人である
という事実を今改めて肝に銘じよう。道義の国・義侠の民としての
再建も、この栄誉の記憶を新たにすることから始動できる。
今年から来年にかけて日露戦争の記憶の謙虚なる更新を
一つの国民運動としたい。

東京大学 小堀桂一郎(こぼり けいいちろう)

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