a Citizen's Voice (Previous Data)
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中学生がナイフで人を刺す事件が多発していますが、
ナイフを持つことが問題だということで、持ち物検査とかナイフの販売を自粛とか言われていますが、もっと深く掘り下げる必要があるのではないでしょうか。
それから非常に気になることは、悪いことに対する評価を避けるという風潮があることです。
悪いことは悪い、悪いことをしたらその償いを当然すべきなのに、子供だからといってすべてが許されてしまうと言うことは、絶対にあってはならない。
教育の目標は、良い子供を作ることではなく、次の世代を担う人材の育成である。
文部省や、学校教師、世の親たちはこの認識をしっかり持ってもらいたい。
親は、子供に対して「勉強しろ」だけでは、反発するだけである。
将来に何になりたいか。ということを常に問いかけ、目的意識を持たせることが大切であると思う。
その目的を達成するためには、どうしたらよいのか、考えさせるべきと思う。
画一的な教育は、今後大きな禍根を残すことになると思う。
少年法が絶対といった考え方には疑問がります。
その目指すところをよく考えるべきと思います。
結果だけをみて判断してはいけない。
当然、結果に対して責任をとるべきであるが、同じ結果であっても、それに至る経過によって対応が変わるべきである。
その原因がいじめであるべき時は、いじめた人にも責任を持たせることが必要である。
ただし、判断は、客観的に行わなければいけないが、そこが難しいところである。
いじめた方に意識が無くても、いじめられた方には、強く意識されることは往々にしてあるが、いじめられた側ばかりの話で判断することは、危険であり、かといっていじめた側の話はもっと不確かなものであると思われる。客観的事実だけをあつめて、それを基にして、大多数の人がどう感じるかを基準にすべきであると考える。
個々の違うこと、そういう人達が同じ世の中で生きてている。
作成・更新 H9.12.
大蔵省、銀行の不祥事が多発しているが断固たる処置を望む。
それができないなら、日本の将来はない。
すでに、外国から日本の自浄努力に対して疑問が出されており、これが日本の位置を下げている。これは、重大な背信行為であると思う。
これでは、日本は世界から見捨てられると思う。
銀行は、貸し渋りといわれているが、これは、日本を経済をよけいに弱めて、さらには自らをも弱めることにつながる。
最近の大蔵省をみると、「自分たちの利益が第一であり、国民の利益は二の次」というふうに見える。
銀行・証券業界となれあいで行政を行い、失敗してつけを国民の税金でまかなえばよいという安易な考えに見える。
銀行監査なんか、その代表であろう。
接待を受け、情報を流し、手心を加えると言うことでは、監査の意味をなさないではないか。
自分たち(大蔵官僚・金融業界)の利益(それも目先の利益)を第一に考えれば、納得できるが、国民を馬鹿にしている。
今までに、公務員の綱紀粛正が何度も言われていたが、大蔵省は公務員の綱紀粛正の対象外であったのであろうか。
それから、聞いてみたいのだが、彼らの常識とはどんなものなのか。
たぶん、接待は許容される範囲と理解しているのでしょうね。
ゴルフのプレー代を払ってもらうというのもお茶をおごってもらうのも同じなのでしょうね。
大蔵省、銀行の不祥事について、断固たる処置を望む。
これの処置を大蔵省に任せては、全然意味がないことは良く分かっていますね。
司直が堕落していないことを祈ります。
本来であれば、総理大臣が陣頭指揮でやるべきことで、本当に国民から信頼を取り戻そうとするなら、自らの潔白も含めて徹底的にやることである。
大蔵省内でも、まじめにやっている人はいる。残念なことであるが、内部告発を奨励したい気持ちにならざるを得ない。組織ぐるみで、悪事を重ねていると思わざるを得ない状況である。大蔵省、銀行は、自ら潔白を証明するため、外部の独立した監査を入れるべきである。
金融機関の監査は、大蔵省から独立するべきだという意見に対して、大蔵省しか、その能力がないとか言って反対して理由は、自分達が悪事のしほうだいにするためでったことを証明しているようなものである。
日本は、転職が容易でないので、悪いこととは知りつつも、上司に言われると逆らえない。この辺の、改善も必要と思われます。
中に、大蔵省に入った理由が、他人を見下したいというのがったが、こんな人が日本の政治の中心にいることに危惧を抱く。
作成・更新 H9.12.