ビジネス倫理―ビジネス・エシックス―


0)ビジネスとモラル
近年、食品の偽造問題などが相次いで起こったが、それらは氷山の一角にすぎず、もしかしたら正直に商売をしている企業の方が珍しいのかもしれない。
商売(ビジネス)と倫理(モラル)とは両立しない―というのが、一般的な考え方であろう。
嘘の情報を流してライバルを出し抜いたり、法律違反すれすれの戦略で利益を上げたり、自分の会社の利益のためなら何でもするというのがビジネスだ。
しかし、倫理学の視点から見れば、利己主義と利他主義とは、決して相容れないものではない。
(というより、本当に自分の利益を考える真の利己主義者は、利他主義者として振舞う。)
「儲かればいい」という経営から自社と他者の利益を両立させる経営の方向へとシフトすることを目指すのが、ビジネス倫理である。
ここでは、主として経営者の立場で事例の是非を考えてみてほしい。

1)「マネー・ゲーム」―ビジネスはゲームか?
ビジネスはゲームであり日常のモラルを超えるというカー(Albert Z.Carr)とラッド(John Ladd)の主張
 「実務家出身のカーは、ビジネスをポーカーのブラフ(ゲーム戦略上のはったり)にたとえる。

「ポーカー特有の倫理の性質は、文明人の人間関係における倫理的理想と異なっている。……中略……。ポーカーで肝要なのは、だますこと、強さや意図を隠すこと、親切でないこと、心を開かないことである。だからといって、ポーカーを悪と思う人はいない。ビジネスというゲームでの善悪の基準は我々の社会に伝統的に広まっているモラルとは異なるのだから、ビジネスをより悪く考えるべきではない。」

 (中略)
 ラッドはヴィトゲンシュタインの言語ゲーム論を用いて、ビジネスのゲーム的性格を導き出す。ラッドによると、企業は形式的組織(formal organization)であり、その意思決定は没個人的な社会的決定(social decision)であって、その決定に対して個人は原則として責任を負うことはない。企業という形式的組織は、言語ゲーム(language game)の定めるルールにのっとっている。言語ゲームとは何をすべきで、何をすべきでないかを規定し、目標やそれを達成するための手段をも定めるものである。ラッドはチェスを例にあげて、その中での善い手悪い手はチェスの中で通用しているルールによって評価されると述べる。すなわちビジネスというゲームの中では、その活動や評価はあくまでビジネスというゲームの規則に従ってなされるべきであり、外的な考慮には関係なく自己閉鎖的なものであるとラットは結論づけている。

「それ故論理的には、組織行動に対して通常の道徳原理を従うことを期待するのは不当である。形式的組織や、公的な資格で活動するその代表者に対して、正直、勇気、思いやり、同情心をもつことや、いかなる種類の道徳的な誠実さをもつことも期待できないし、また期待してもならない。そのような概念はいわゆる組織的言語ゲームの言語に入っていない。(それらはチェスの言語の中にも見いだすことはできないのだ。)通常の道徳標準からすると間違った行動でも、組織にとってはまさにそうすることがしばしば要求されるだろう」。

 ラッドの議論によると、組織と個人の道徳原則とは異なっており、組織の一員としてはその組織の目標に沿った行動こそが善と評価される。秘密主義、スパイ行為、だましなどの行為も組織の目標達成に適うものであるなら合理的であり、正しいとされる。
 また、ラッドが社会組織の目標を利益の最大化と規定したことには注目できる。組織が利益をあげることを目標とするなら、その目標に従うことこそがその組織内における妥当な倫理的判断になる。」

   中谷常二編著『ビジネス倫理学』 (晃洋書房)より(第三章)

事例1
マネー・ゲームとしての経済活動の問題点を示す事例
a)アジア通貨危機とヘッジファンド(1997)
 →ウィキペディアの項目「アジア通貨危機」
b)サブプライム・ローンの破綻と世界同時不況(2007年)
(略)

2)ストックホルダー理論とステイクホルダー理論
ストックホルダー(stockholder)とは株主のこと。ストックホルダー理論とは、企業の経営者は出資者である株主の代理であるにすぎず、株主の利益を最大化することがその使命である、とみなす立場をいう。
代表者は、フリードマン(Milton Friedman)で、「ビジネスの社会的責任とはその利潤を増やすことである」(1970)
「ビジネスの唯一の社会的責任とは、ゲームのルールを守りながら、資産を運用して利潤を増やすことを意図した活動に従事することであり、それは言いかえると、ごまかしや詐欺をすることなく、開かれた自由競争に参加することである。」
一方、ステイクホルダー(stakeholder)とは、利害関係者のことであり、具体的には、株主、従業員、取引先、消費者などのグループを含む。ステイクホルダー理論とは、企業は株主だけでなく、他のステイクホルダーの利害も考慮すべきであるとみなす立場をいう。
代表者は、フリーマン(R.Edward Freeman)。カント倫理学の原則「他者を単なる手段として扱ってはならない」を出発点にしている。

「フリーマンのステイクホルダー理論では、1つのステイクホルダーを他のステイクホルダーをさしおいて優先することはしない。ひとつのステイクホルダーグループの利益が、他グループの損傷の上で成り立つことがあるからである。フリーマンは経営者に、ステイクホルダー間の関係のバランスを保つことを求める。そのバランスが崩れると会社の存続さえ危うくなるなのだから、経営者自身がその対策を講じるべきなのだとしている。
 では、フリーマンはステイクホルダー理論の根拠を何に求めているのであろうか。
 フリーマンは、ここでカントの道徳律を提示し、所有権がカントによる人間の尊重という原理を無視する理由はないとしている。それぞれのステイクホルダーの集団はある目的の手段として扱われない権利を持っており、それ故、ステイクホルダーは利害関係を持っている企業の、将来の方針の決定に参加しなくてはならないとされている。」
 中谷常二編著『ビジネス倫理学』 (晃洋書房)より(第三章)

企業の社会的責任(CSR)
Corporate Social Responsibility
コンプライアンス(法令遵守)
ジョンソン・アンド・ジョンソンという医療機器などを提供している米国のメーカー(この会社はコンプライアンスで有名な企業の一つである)のバーク会長が、一九八四年頃、一九五三年から一九八三年の三〇年間の企業の成長に関する調査をさせた。そのときのバーク会長の問題意識は、「公共心のある企業群」と「そうではない企業群」には、何か違いがあるのではないかということで、その二つの企業グループを比較させた。ここで「公共心のある企業」とは、各ステークホルダー(従業員、取引先、地域社会など、企業に利害関係を持つ人々)に対する奉仕を掲げ、明確に社是やモットーを銘記して、その経営哲学をトップから従業員まで日常の指針としている企業を指し、そうした企業が当時においても目についていたという。もっとも、ここでは「公共心のある企業」という言葉が使われているが、これは今の言葉でいえば、「コンプライアンスを実践している優良な企業」と読み替えることができよう。
 その一九五三年から一九八三年という時代は、米国でも高度成長期であったから、大手五〇〇社についてはダウジョーンズ株価指数が約四倍半も上昇していた。ところが「公共心がある」と判断された企業の株価平均のダウ株価指数は約三四倍にもなっていた。つまり、「公共心のある企業グループ」の方が、それ以外の企業グループよりもはるかに高い率で成長していたことが判明した。」
 浜辺陽一郎『コンプライアンスの考え方』(中公新書)

(続く)

事例2
フォード・ピント事件
1960年代後半、アメリカの自動車メーカーは、日本(トヨタ)やドイツ(ベンツ)の小型車に市場を奪われていた。これに対抗するために、70年代初頭にフォードが設計・販売した小型車がピントである。ピントは、スタイルを重視して設計された、重量2000ポンド(約906kg)以下、販売価格は2000ドル(約26万円)以下というモデルであった。
商品化が急がれたため、通常は三年程度かかるところを25ヶ月(2年強)で生産に持ち込まれた。
(そのため欠陥が発見されたときには、生産ラインの機械が出来上がっていたので、そのまま生産が開始された。)
技術内容よりデザインが優先されため、ガソリンタンクの位置が後部車軸とバンパーとの間に決められた。バンパーとの距離が近く、また差動歯車ハウジングのボルトの頭が露出していたので、後ろから追突された場合に、ガソリンタンクが前方に押しやられ、これに突き刺さり、タンクに穴が開く危険性があった。(フォード社でのテストの結果、これは確認されている。)
1977年に成立した安全基準に基づいて連邦政府は改善を勧告したが、ピントは1971年時点の連邦安全基準(20マイルでの追突)には適合していた。
特に問題になったのは、フォード社の安全担当取締役J.C.エコルドが、「衝突事故がもたらす燃料の漏洩と火災による死亡事故」という研究を発表し、車の設計を改善する費用(一台辺り11ドル)が、その社会的利益を上回ると主張していたことである。それによると、改善する場合の利益と費用は以下の通りである。
[利益]
救済件数 火災による死亡者 180件
       火災による負傷者 180件
       車両火災 2100件
単位費用 死亡事故 20万ドル/一件
       負傷事故 6万7千ドル/一件
       車両火災 700ドル/一台
合計利益 4915万ドル(=約64億円)
[費用]
販売台数 乗用車 1100万台
       軽トラック 150万台
単位費用 乗用車 11ドル/一台
       軽トラック 11ドル/一台
合計費用 1億3700万ドル(=約178億円)
 →ウキペディアの項目(フォード・ピント)

事例3
リーヴァイス社の海外支店
(続く)
梅津光弘『ビジネスの倫理学』(丸善)より

3)日本的経営
QBハウスの海外進出
(続く)

4)ビジネスと環境問題
ステイクホルダーの中に、地球環境を含めて考える立場もある。
(続く)


付録1
ビジネス=新しい価値の創造(イノベーション)
「企業とは何かと聞けば、ほとんどの人が営利組織と答える。経済学者もそう答える。だがこの答えは、まちがっている…
(利益は経済活動の前提や結果として必要ではあるが、その目的ではない。)
企業の目的の定義は一つしかない。それは、顧客を創造することである。…
(企業は社会の機関であるから、その立脚点は社会のニーズにあり、その目的は新しい満足を生み出すことである。)
企業の目的は、顧客の創造である。したがって、企業は二つの、そして二つだけの基本的な機能を持つ。それがマーケティングとイノベーションである。マーケティングとイノベーションだけが成果をもたらす。

(ドラッカー『マネジメント』上田惇生編訳)


参考文献
商業=企業=ビジネス倫理(Business Ethics)全般に関しては、
中谷常二編著『ビジネス倫理学』 晃洋書房
が、簡略ではあるが、主なトピックを扱っており、資料となる文献も収録されており、便利である。
この本が手本にしている、この分野の代表的なテキストブックは、
Tom L. Beauchamp and Norman E. Bowie (eds.), Ethical Theory and Business, 1979/2008
であるが、その第五版の翻訳(原著は2008年現在で第八版)が四分冊で(現在三冊まで)出ている。
ビーチャム、ボウイ『企業倫理学』1 加藤尚武監訳 晃洋書房
また。上にも引用した
梅津光弘『ビジネスの倫理学』(丸善)
も、理論の簡略な説明に加えて、それらを理解するための実例が多く示されており、分かりやすい。


→職業倫理(工学倫理)
→情報倫理

→生命倫理(インフォームド・コンセントなど)

→石田梅岩(江戸時代の商業倫理)

→倫理の公民館(目次)
→村の広場に帰る