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2020年02月
February 2020
02月29日(土)
●午後から大学で入試の立ち会い。きょうは留学生入試の面接を担当した。時期が時期だけに受験生の欠席が比較的多かったが、その分じっくり面接できた。終了後はすぐに帰る。夕食は焼きそばを作った。また怠惰な性格が出てしまい、仕事は進まなかった(^^;。
02月28日(金)
●1日中家で仕事。昼食は、YouTubeで話題の「カップヌードルチャーハン」を作ってみた。カップヌードルの麺を容器から取り出すのが意外に難しいが、あとは簡単で、そこそこおいしくできる。いずれもう一度試してみたい(^^;。午後は買い物。夕食はチンジャオロースを作った。授業の準備は少しだけ進んだ(^^;。
02月27日(木)
●びんでぃ→大学。授業の準備をして帰る。夕食は豚汁を作った。夜はリーグ戦(新シーズンの初戦)。相変わらず調子が悪い。どうしても肩に力が入り、ガチガチになってしまう。2ゲーム目は調子が悪いなりに何とかまとめたが、初戦はあえなくボックス最下位。自分のふがいなさに笑ってしまう。タイミングがずれることが原因だが、なぜタイミングがずれるのか、ずれないようにするにはどうしたら良いか、練習して検証が必要かと。
02月26日(水)
●先日、市役所に行って年金関連の手続きをした時に、年金事務所に行くよう指示された。年金事務所は混雑することが多いため、事前の予約をすることが推奨されている。この年金事務所の予約専用電話は全国で(かどうかわからないが)一元化されている。事務所ごとに予約専用の担当者を置くことは効率が悪いからだろう。で、一元化されているが故にこの電話が大混雑でなかなかつながらない。昨日、14時過ぎに電話してやっとつながり、本日の8時半の時間帯を予約した(その時間帯しか空いていなかった)。そんなわけで、朝イチで北浦和の年金事務所に行き、手続きをしてきた。年金事務所が朝の8時半から開いているとは知らなかった(^^;。手続きはつつがなく終了。浦和に戻ってから郵便局と銀行に行って通帳記入し、さらに別の銀行に行ってお墓の代金(永代使用料+墓石代)の入金をしてきた。墓石については最初に総額の3分の1を支払い、完成後に残りを支払うことになっているが、それでもかなりの出費になる。この銀行での預金額の半分が吹っ飛んだ(^^;。いったん帰宅して、今度は武蔵浦和の郵便局と銀行に行き、買い物して帰ってきた。昼食はパスタ。午後はボウリングのレッスン(星野プロ)。実はきょうP★Leagueの収録日だったのだが、観覧希望の抽選に外れて悔しい思いをしていた。ところがコロナウイルスの影響で、きょうの収録は無観客試合で行うこととなった(公式Webページの告知で知った)。抽選に当たった人は気の毒だが、観客は高齢者が多いことを考えると致し方ないと思う。仮に当選していたとしても観戦できなかったわけで、今回はもっと練習せよという「天の声」だと思う。きょうのレッスンではあえて真ん中(20枚目)をまっすぐ投げる練習をした(意外に難しい)。自分のまっすぐの基準があれば、そこから外に出すなどの調整をすることができる。その意味で有意義だった。終了後に星野プロと談笑して帰る。星野プロ情報だが、LBOの立ち上げ(経緯はこちらの記事に詳しい)に参加してJPBAを辞めた(除名された?)女子プロがJPBAに戻ることになり、4月にプロテストを受けるらしい。JPBAの規程ではいったん退会した人は再入会できないことになっているので、事実だとしたら特例となる。恐らく、LBOのスポンサーだったDHCとJPBAとの間で何らかの「手打ち」が行われたのであろう。実力者の清水弘子が戻ってきたらどんなことになるか楽しみである。夕食は久しぶりにカレーを作った。今回もうまくできた(^^;。
02月25日(火)
●大学で、国際交流委員会→大学院研究科委員会→学科長との懇談会→学長から慶弔見舞金をいただく→委員長会議→教授会→学部任用委員会。疲れた。昼食は合間にコンビニおにぎりとサンドイッチで済ませた。夜は川越の川島という割烹で学部の懇親会。先生方と楽しく談笑した。一次会で帰る。帰ってから、墓地関連や年金関連の書類に必要事項を記入。とにかく眠い(^^;。
02月24日(月祝)
●午前中は怠惰な生活を送ってしまった。買い物に行き、昼食はレタスチャーハンを作った。午後は石材店の車で某霊園に行き、お墓の注文をした。総額は墓地の相場より少し高いくらいだったのだが、車が買える程度のお値段なので結構な出費になる。墓地の永代使用料と管理費は霊園に、墓石代は石材店にそれぞれ支払うことになる。申込書に署名捺印し、いろいろ説明を受けて帰ってきた。あとは全力で授業の準備。夜に授業1回分の資料作成が終わったが、春休み中にあと15回分(資料とPowerPoint文書)を作らないといけない。なかなか道は険しい。夕食は奥と協力して手作りハンバーグを作った。割とうまくできた。
02月23日(日)
●午前中は授業の準備。昼食はレトルトカレー(奥と子どもはパスタ)。風が強い日だった。徒歩で浦和アトレに行って買い物し、バスで帰る。夕食は炊き込みご飯とサバの味噌煮(子どもが作った)。夜はボウリングの練習。レーンが荒れていたのでよく曲がった。最後の方にそのレーンは新たにメンテするため、別のメンテしたてのレーンに移る。オイル引きたてのレーンはとたんに曲がらなくなり、苦戦した。試合の時はメンテ直後なので、急にうまく投げられなくなることが多い。オイルが多ければ曲がりにくくなるのは当然なのだが、投球がポケットを突かないので焦って自滅するのが毎度のパターンだった。だからメンテ直後のレーンは試合対策としては非常に練習になる。試合で打てない時は投げ方が悪いので曲がらないのではないかと思っていたが、投げ方が悪かったわけではなく、レーンにうまく対応できていなかっただけかも知れない。今回やってみて、自分の場合は先でキレるボール(比較的オイルに弱い)よりも強いボール(なだらかに大きく曲がるボール)が必要だとわかった。一般論としてはメンテ直後のレーンではキレるボールを使うことが定石だが、レーンの状態に応じて自分の球質に合うボールを選択することが必要だ。最後の12ゲーム目で、なだらかに曲がるボールを使って215点をマークすることができた。少しだけ自信になった(^^;。
02月22日(土)
●奥は仕事。私は家で雑用。午前中にオリンピックで買い物し、期末試験の勉強をしている子どものリクエストでチョココロネとクリームパンを買った。昼食は残り物で済ませた。午後、奥と待ち合わせて再び某霊園へ行った。駅からのアクセスを確認し、もう一度現地を見ることが目的だったが、そこに昨日の石材店の担当者がたまたまいて、またいろいろ話をした。帰りがけに某不二家で一服し、バスで帰る。夕食は牛丼を作った。少し味が濃くなってしまった(^^;。
02月21日(金)
●某霊園の見学予約をしていたので、自宅前で姉と待ち合わせ、私と奥と合わせて3人が石材業者の車で出かけた。霊園にはたいてい出入りの業者(石材店)が複数あり、それぞれ霊園内の墓所(正確に言うと永代供養権と墓石)を販売している。一般的に駅から遠い(交通の便が悪い)墓地は比較的安く、駅から近い(アクセスが良い)墓地は高い。今回は自宅から近いという点を重要視したので、駅から近い物件をネットで探して申し込んだ。ちなみに私が利用した「いいお墓」というサイトを運営している鎌倉新書という会社は東証一部上場企業(6184)である。このサイトで見学予約したところ、その霊園を担当している石材店から連絡があり、営業の方が車で迎えに来てくれたという次第である。これまで大手の葬祭業者に資料請求し、霊園を紹介してくれたことはあるのだが、大手が勧めてくる霊園は遠いところばかりだった。今回案内してくれた石材店は大手ではないのだが、担当の方は「営業マンの鏡」といった感じの人で、いろいろ有益な情報を教えてもらった。周辺の他霊園の問題点をさりげなく教えてくれるなどトークがうまく、決して無理に勧めてこない。今回案内してくれた霊園は駅やバス停から近く、場所的には理想的で、環境も良かった。値段が高めなのが唯一の問題点だが、非常に好印象だったので仮押さえしてもらった。帰ってから3人で県庁前のモスバーガーで食事して解散した。私と奥は珈琲館でお茶してから、浦和アトレで買い物して帰った。姉から各種書類をもらったので、浦和区役所に行っていくつか手続きをした。介護保険の資格喪失は特に手続きは必要なく、保険証を返却するだけで良かった。後期高齢者医療の資格喪失も同様だが、「葬祭費」の申請には葬祭業者の領収書が必要だったので、申請書だけもらった。年金関連は必要書類を揃えて北浦和の年金事務所に行く必要があり、これが一番やっかいである。とりあえず戸籍謄本と住民票だけ取って帰ってきた。夕食はラーメンを作った。夜はいろいろ書類を探したりした。
02月20日(木)
●朝イチで某葬儀場に行き、出棺式を行った。この時期は寒いため亡くなる人が多いらしく、火葬場も混雑しているという。先週の金曜日に母が亡くなり、すぐに浦和斎場を予約してもらったのだが、19日(水)は友引で斎場が休みで、18日までは予約が詰まっているため、20日になった。葬儀社の担当者によると、亡くなるのが1日遅れたら火葬が25日(火)にずれこむ可能性があったという。病院から葬儀社に運び、火葬まで遺体を霊安室に安置することになるのだが、当然ながら安置期間が長くなればなるほど料金がかかる。では自宅に安置すればいいかというとそんなことはなく、腐敗防止のため毎日ドライアイスを入れなければならず、そのドライアイス代がばかにならない(ちなみに葬儀社の霊安室でも、2〜3日に一度はドライアイスを入れる必要があるとのことである)。葬儀は近親者のみで執り行うため香典は辞退したのだが、学部懇親会から供花と弔電を送りたいとの申し出があり、ありがたく頂戴した。この場をお借りしてお礼を申し上げたい。私の家族と姉の家族、そして叔母(母の妹)の8名が出席した。式が終わった後、近親者で花を棺の中に盛り付け、最後のお別れをした。その後、霊柩車とタクシーで浦和斎場へ。斎場でお焼香をした後、火葬場に移動し、棺を炉に入れるところを見届けた。火葬は約1時間かかるが、その間は待合室で待機する。浦和斎場は昨年リニューアルし、施設が全体的にきれいになった(改修工事の間はしばらく使えなかったそうである)。私の父が亡くなった時も病院は赤十字、火葬は浦和斎場だったのだが、いずれも母の時にはリニューアルされていた。5年の間にいろいろ変わるものである。火葬終了後は収骨室で骨を拾って骨壺に入れて終了。タクシーで帰ることになる。今回は火葬終了がお昼だったので、事前に予約してうらわ高砂で会食。このお店にはたまにしか行かないが、料理はたいへんおいしく、接待や会食には最適なお店である。つつがなく終了し、みんなで叔母を駅まで送り、そこで解散した。夕方から夕食のおでん用に大根を煮詰めた。
●夜はリーグ戦(先週が最終戦だったので今回は「フェスティバル」という名目のトーナメント)に出場。また「練習で軽々できることが試合でできない病」が再発。ビリから2番目という散々な結果になった。その後の表彰式&打ち上げで優勝の賞品をもらったが、実力は下位なので恥ずかしい思いをした。実力で優勝できるよう、今後も精進したい。
02月19日(水)
●朝イチで散髪。かなり短くしてすっきりした。午前中のうちに買い物。昼食は自宅で残り物とお惣菜。午後は確定申告。e-Taxはずいぶん使いやすくなった。MacOSでも問題なく作業できた。記入すべき項目はそれほど多くないので、申告書作成はすぐに終了。ネット経由での提出も問題なく終了。あとは来年度の授業の準備だけとなった。夕方はレッスン(星野プロ)。夕食は焼きうどん。
02月18日(火)
●引き続き家で雑用。墓地の見学予約を一件入れた。お昼は吉野家の牛丼のレトルト(冷凍)が一つ残っていたので食した。午後は買い物。夕食はさつまいも・れんこん・鶏肉の甘酢炒め。割とうまくできた。夜はレッスン。恭平プロから私がリーグ戦で優勝したことを知らされてびっくりした。先週の最終戦は欠場し、代わりに事前に投げてプールした分を使った。その時点では私は4位だったのだが、当日のゲームは最終戦なのでポジションマッチ(1位〜4位までが同じボックス)だったのだが、私の上にいる3人がみんな打てなくて、結果的に私がポイントを稼いで逆転勝ちになったらしい。ちなみにプールした得点は190、188で、ハンデをプラスすると2ゲームで480点くらいになったはずだが、他の3人はこの点数を上回れなかったということになる。このリーグ戦は自分にとって3シーズン目で、1回目は4位、2回目は3位だったので、今シーズンは2位を目標としていた。嬉しいが、できれば実際にみんなと投げて勝ちたかった。それは来季の目標にできればと思う。きょうの出来はまあまあ。きのう掴んだ感覚を再現できて良かった。動画はこちら。
02月17日(月)
●自宅で雑用。近親者が亡くなった後の手続きについていろいろ調べる。お昼は残り物。午後に買い物に行く。夕食はポークステーキなど。夜はボウリングの練習に行った。一番いい時の感覚を忘れていて、メンテ直後のオイル引き立てレーンにさんざん苦戦した。最後の10ゲーム目の1投目がガターだったのだが、その次の投球から突然いい時のリリースの感覚を思い出し、ストライクを連発。252点で終了した。今年の練習における最高得点である。この感覚を思い出し、常に投げられるようにしたい。
02月16日(日)
●きょうも朝イチで弁当作り。午前中は雑用。怠惰に過ごしてしまった。昼食はレトルトカレーで済ませた。午後から奥と外出。伊勢丹浦和店内のシェ松尾でアフタヌーンティーをいただいた。あとは浦和駅構内のアトレで買い物して帰る。夕食は豚バラ大根と、イクラ・サーモン、サラダなど。まだ疲れが取れないので、ボウリングの練習は見送った。いろいろ葬儀前後の手続きが必要なので、手続きリストを作っておく必要性を感じた。月曜日以降、順次こなしていきたい。
02月15日(土)
●子どもの部活のため、朝イチで弁当を作った。その後は家でうだうだした。お昼から某葬儀社に行き、姉と奥と3人で葬儀関連の打ち合わせをした。姉は最近、その葬儀社の営業担当者から押しの強いアプローチを受けて「まあいいか」という感じで契約したのだが、その直後に母が倒れ、購入したばかりの権利をさっそく行使することになった。父の時は斎場での「直葬」を選択した。その場合、葬儀社での葬式は行わず、遺体を直接斎場に運び、そこで簡単な「お別れの会」をした上で火葬していた。ところが葬儀社の話によると、最近は斎場での「お別れの会」的なことはできなくなっているのだという。したがって簡単な「お別れの会」的なイベントも葬儀社で行い、その上で斎場に運んですぐに火葬することになるらしい。最近は直葬を選択する家庭が多くなっているので、ひょっとすると周辺の葬儀社からクレームや要望が出たのかも知れないし、単純に火葬すべき遺体の数が増えたので斎場に時間的・場所的な余裕がなくなったのかも知れない。そのあたりはわからないが、葬儀社で簡単な「お別れの会」を開催する場合でも会場を借りるためそれなりのお値段になる。棺、骨壺などもグレードアップするとどんどん高くなるが、いずれも最も安いものを選択した。火葬にだいたい1時間程度かかるので、その間に別室で昼食を取るオプションを提案されたが、一番安いコース料理が4500円(しかも量は少ない)と高いのでお断りした。さらに湯灌(遺体をきれいにしたり化粧を施したりして見栄えを良くすること)も一番高い最上級のコースが27万円と桁違いの金額だったでお断りした。そのように余分な出費を極力抑えたが、トータルで**万円程度の見積もりだった。姉が契約して事前に支払った分を差し引いて安くなったが、それでも父の時よりだいぶ高い金額だった。まあまあ納得できる金額ではあったが。結局、先方が見積書を作成するのに時間がかかったこともあり、打ち合わせは全部で2時間半もかかってしまった。お腹が空いたので、3人で銀座アスター(浦和店)に行って食事した。買い物して帰る。夕食は春巻(冷凍食品)と水菜のサラダ。
02月14日(金)
●午前中は家で雑用。午後は月一回通っているかかりつけのクリニックへ。今回は特別に頸動脈のエコーを取って動脈硬化の検査をした。わずかに動脈硬化の兆候が見られるものの全体的には問題ないレベルで、様子見でいいのではないかとのことだった。手指の末梢神経の検査もしたが、問題ないとのことだった。動脈硬化の予防のためには今後も中性脂肪やコレステロールのコントロールが必要だ。気をつけたい。母が一般病棟に移ったとのことだったので見舞いに行く。昨日からずっと意識がない状態だった。いったん帰宅したが、夕食の用意をしようとしていたら電話があり、病状が悪化したとのことだったので再び病院へ。到着した後、姉と一緒に医師の説明を受けた。CTの写真を見ながらの説明だったのだが、次のような内容だった。母が脳梗塞で病院に担ぎ込まれた時、右脳のダメージが大きかった。症状が軽い場合は血栓を溶かす薬を投入するのだが、脳のダメージが大きい場合はかえってリスクが大きくなるので、血栓を溶かす薬は使えなかった。脳梗塞を起こすと脳が腫れる。そうすると、元気な側の脳も圧迫し、血管を塞ぐことになる。その結果、新たな部分が梗塞を起こしてどんどん広がっていく。一番新しいCT写真では、すでに脳の腫れは左脳の側に広がっていて、中央の脳幹を圧迫してその周辺の血管も塞いでいる状態だった。脳幹は呼吸や意識を司る生命の根幹に関わる部分で、今夜か遅くとも明日にはお亡くなりになる可能性が高い、と告げられた。姉は母が亡くなった場合に着用する着替えを取りに家に戻った。結果的に私が看取ることになったのだが、見守っているうちに病状は徐々に悪化した。奥も仕事を終えて駆けつけた。甥がやってきて、枕元でばあばに感謝の言葉を述べて帰宅した。すでに瞳孔が開いて意識がない状態だったが、呼吸がどんどん速く、弱くなっていった。それとともに血中の酸素濃度がどんどん下がり、危険な状態になった。その前後から看護師が入れ替わりやってきたが、侵襲的な措置はしない(例えば、呼吸が止まった場合に気道を切開してパイプを挿入するなど外科的な処置はしない)と申し合わせていたので、体の向きを変えたり痰を取り除いたりといった措置にとどまった。私も枕元で、母に感謝の気持ちを述べた。意識がないので聞こえていたかどうかわからないが、言えて良かったと思う。やがて、げほっと言ったきり呼吸が止まった。心臓はしばらく動き続けていたが、だんだん弱くなり、ついに心臓も停止した。20時55分頃だった。モニターのアラームが鳴り続ける中、それから姉が到着するまでの間、泣きながら母の顔を見つめていた。苦しまないで亡くなったことがせめてもの救いであった。姉は母の死に目に逢えなかったのだが、「本能的に死ぬところが見たくなかったのでわざと遅れたのかも知れない」と語っていた。姉が到着したので医師を呼び、死亡を確認してもらった(※死亡診断書に記載される「死亡時刻」は、医師が家族の立ち会いのもとに「死亡を確認した時間」のことで、実際に亡くなった時間ではない)。父の時もそうだったが、病院で亡くなった場合、看護師が死亡した患者の体を拭き、着替えと化粧をやってくれる。大体45分くらいかかるが、その間に葬儀社を呼び、遺体を病院の地下にある霊安室に運ぶ。霊安室への専用のエレベーターに乗る際、世話をしてくれた看護師がみんな来て深々とお辞儀をしてくれた。看護師の皆さんには深く感謝したい。私と姉は葬儀社の車で病院を後にした。遺体は葬儀まで葬儀社の霊安室に安置することになった。そこで簡単な打ち合わせをし、タクシーで帰宅した。帰宅した時には未明になっていた。長い一日だった。母が亡くなったことは残念だが、死は誰にでも平等に訪れる。両親が亡くなった今となっては、「次は自分の番」という思いしかない。残された人生を悔いのないよう、精一杯生きようと思う。
02月13日(木)
●きょうは午後から事務局の人と打ち合わせをする予定だったのだが、午前中に前倒ししてもらった。打ち合わせをしてからびんでぃで食事し、メガネスーパーで先週購入したメガネを受け取って帰った。なお、特に意味はないが行きは路線バス、帰りは徒歩と、自転車を使わなかった。まさに小春日和で大変暖かい日だった。本日の夜にリーグ戦(最終回)が予定されていたが、出られないかも知れないので14時過ぎにボウリング場へ。リーグ戦を欠場する場合、事前に申告して同じゲーム数を投げ、そのスコアをプールしておく制度がある。それを初めて使った。練習を1ゲームやってから本番だが、もちろん失投しても投げ直しはできない。実際、痛い失投がいくつかあったのだが、まあまあ良いスコアでまとめた。リーグ戦を休んだ場合、そのプールした点数が適用される。帰宅した後、姉からメールがあった。母の容態が昨日より悪くなったという。そこで取るものも取りあえず病院へ。母は昨日は意識があったのだが、今は昏睡状態で、安定はしているものの何があってもおかしくない状態だという。奥と姉も合流し、姉はそのまま病室に残ったが、私と奥は帰った。浦和のアトレでお惣菜を買って、みんなで食した。こんな状況なのでリーグ戦は欠場した。いままで3シーズン(1年間)リーグ戦をやってきたが、休んだのは初めてだった。われながら良くやったと思う。来季はさらに飛躍したい。
02月12日(水)
●通常は毎月第2火曜日が会議日だが、昨日は祝日だったため教授会が本日にずれこんだ。大学に行って研究費報告レポート等を提出し、学部任用委員会→委員長会議→教授会。つつがなく終了。すぐに帰る。奥が出張だったため、ピザを注文して子どもと食べた。すると姉から電話があり、母の容態が悪くなったとのことだったので病院へ。私が行った時は比較的安定していて、意識もあって私を認識することができた。あまり声が出ない状態だったが、何とか「ありがとう」と発音することができた。後で姉と甥も合流し、面会時間の終了時刻(20時)になったので一緒に帰った。一見元気そうであるが精密検査してみると大変悪い状態で、担当の医師からはもしもの場合に延命措置をどうするかと訊かれたそうだ。本人は普段から「延命措置はいらない」と発言していたが、家族としては苦渋の決断となる。奥の出張(都内)は泊まりの予定だったが、病院からの呼び出しがかかった場合に備えていったん帰宅した。祈るような気持ちで寝た。
02月11日(火)
●昨日の深夜、私の母が脳梗塞で倒れたという連絡があった。午前中に定例の消防設備点検があったのだが、終了後に準備し、お昼過ぎに一家で病院に出かけた。とりあえずコルソ地下の丸亀製麺で食事してから電車に乗り、さいたま新都心にあるさいたま赤十字病院へ。この病院は昔、大宮から徒歩10分くらいの国道17号沿いにあった。父が亡くなったのはその古い方の建物だったのだが、今はずいぶん行きやすくなった。院内もとてもきれいである。母は救急病棟に入院していた。最初に行った時は寝ていて、顔色は良く容態は安定していた。ただ、倒れる前から風邪をひいており、咳が多いのが少し心配なところだった。いったん帰宅していた姉が再び来るというので、子どもを先に帰して外のカフェで時間をつぶし、再び病棟に行って姉と合流した。母はこのまま容態が安定すれば一般病棟に移るとのことである。とりあえずはほっとしたが、年齢を考えるとそう遠くない未来に「その日」がやってくるので、いろいろ準備しないといけない。大学の仕事の大半が終わっていて良かった。先日、P★Leagueの試合(今月下旬に収録予定)の観覧希望の抽選に落ちてがっかりしたのだが、ひょっとすると落ちて良かったのかも知れない。面会を終えて帰宅。夕食は焼き魚とブロッコリーなど。夜はボウリングの練習(祝日のためレッスンは無し)。前回の練習で、7ピンか10ピンのスペアを取りに行く時に投げ急いでしまうクセがあることに気づいたので、ゆったり投げるよう心がけた。1投目もゆったり投げるようにしたら、投球が格段に良くなった。まさに絶好調だが、これが試合でできるかどうかが微妙である(^^;。
02月10日(月)
●引き続き家で仕事。あと大学関連の仕事は授業(新規科目)の準備だけになったが、これがなかなか大変。遅々として進まず。授業内でビデオが必要になることがわかったので、ビデオの取り込みと編集をやり始めたら時間がかかること(笑)。結局1回分も終わらず。午後に成城石井と富士ガーデンで買い物。夕食はカツ丼にした。
02月09日(日)
●引き続き家で仕事。研究費の報告レポートは何とか終了。良かった。午後に買い物に行く。夕食はマグロと中落ちで丼にした。夜は練習。全体的にまずまずの点数だったのだが、ここは絶対にスペアを取らないといけない局面になると固くなってしまう。前からあるクセだがいっこうに治らない。今後の課題としたい。
02月08日(土)
●1日中家にいて、一歩も外に出ず、研究費の報告レポートを執筆。最初はゲームをしたりYouTubeを見たりと集中力散漫なところがあったが、夜になってようやくエンジンがかかった。あと1〜2日で終わりそうだ。昼食はパスタ、夕食はグラタンを作った。
02月07日(金)
●朝イチで池袋の大木眼科へ。前回行ったときに「次は1年後に来てください」と言われたのだが、もう1年が経ってしまった。というか、白内障の手術をしてからもう2年が経過した。早いものである。大木眼科は昨年の4月にリニューアルオープンしたのだが、最初に行った時はまだ古いビルだった。白内障の手術をした時は建替中だったため臨時移転先で手術を受けた。前回は新しいビルが完成寸前だったが、まだ臨時移転先だった(古い病院ビルを取り壊し、いったん更地にしてから建て替えたため、リニューアルまで1年以上かかった)。今回、リニューアルしてから初めての通院である。埼京線が毎度のことながら遅れ、乗ろうとしていた武蔵浦和からの始発電車が運休になっていた。そこで仕方なく5分遅れの各駅停車に乗ったのだが、池袋に着いた時は19分遅れになっていた。その間ずっと立っていた。赤羽の直前からのろのろ運転をするのはやめてほしい。眼科に到着したのは9時30分頃だったが、院長先生がお休みの日だったので(確か1年前に行った時もそうだったような気がするが)空いていた。元々ほとんどの患者は高齢者で、朝方に冷え込んだうえに新型肺炎の影響もあり、来院を見合わせる人が多かったのかも知れない。受付を済ませてからいつもの視力検査を行い、眼底の写真を撮り、診察を受けて会計を済ませるまでわずか25分だった。今までで最も短時間だったかも知れない。人混みはなるべく避けたいので直ちに帰る。帰りの電車も遅れていたが、こちらはガラガラだった。買い物して帰る。自宅では研究費の報告レポートに着手した。例年より1ヶ月ほど早く、仕事は順調に進んでいる。早めに終わらせて授業の準備に移りたい。夕食は久しぶりに回鍋肉(ホイコーロー)を作った。市販のタレを使わず、クックパッドの殿堂入りレシピを見て自分でタレを作ったが、かなりうまくできた(^^;。
02月06日(木)
●びんでぃ→川越のメガネスーパー。メガネスーパーは1973年創業(1980年に株式会社となった)で、かつてはテレビCMで有名だったが、近年ZoffやJINS等の低価格店に押されて経営が悪化し、債務超過に陥った。2013年に現在の星崎社長が就任してから中高年層向けのサービスを充実させて差別化を図り、黒字に転じた。最近では地方の経営難に陥ったメガネチェーンを買収したり、医療従事者専門サイトを展開するエムスリー(2413)と資本業務提携するために増資を検討(2月17日の臨時株主総会で議決予定)するなど、攻めの経営を行っている。私はメガネスーパーの親会社のビジョナリーホールディングス(9263)の株主なのだが、株主優待でトータルアイ検査プレミアムコース(4,000円)無料券とメガネレンズお仕立て券(10,000円)をもらったので、来店予約をして職場用の新しいメガネを作ることにした。このお店でメガネを作るのは2回目である。全体的に値段が高く若者向けではないが、サービスが良くメガネの品質も高い。中高年(の比較的お金に余裕がある人)にターゲットを絞った戦略はうまくいっていると思う。とにかくコスパを重視する人はZoffとかJINSに行けばいいのである。今回は職場用のカジュアルなフレームを選んだ。受け取りは1週間後である。楽しみ(^^;。夕食は唐揚げ(手作り)。夜はリーグ戦。16週のうち今回は15週目で、いよいよ大詰めになってきた。スコアはいまいちだったが、何とかボックス内2位を確保。全体3位のまま最終戦を迎えそうである。今まであれだけ曲がらなくて苦労したのがウソのように曲げられるようになったが、どうしても力が入ってしまうのか、ジャストにポケットに行かずに7ピンか10ピンが残ってしまう。試合でいかに練習と同じように投げられるかが今後のポイントである。
02月05日(水)
●午前中に買い物。子どもがクッキーを作りたいというので、菓子用の小麦粉などを購入した。あとは自宅で雑用。午後にレッスン(星野プロ)。試合のレーンコンディションでも曲げられる自信がついた。夕食はレンコン・ピーマン・鶏肉の黒酢炒め。少し味が濃かったが、おおむねうまくできた(^^;。
02月04日(火)
●大学で午後から国際交流委員会に出席。つつがなく終了。直ちに帰る。夕食は手早くジャーマンポテトを作った。少し味付けが濃くなってしまった。夜はレッスン(佐々木プロ)。ついに何かを掴んだ(^^;。レッスンの時は毎回投球を撮影しているが、1年前の投球と比べると全然違う。1年前の投球は脇が甘甘だった。今は脇を締めて、中から外に出せるようになった(動画はこちら)。課題は、レーンが荒れてきた時の対処だ。荒れてくるとボールが曲がりすぎるようになるのだが、だからといって中に入ると、外に出したボールが帰って来なくなって浅くなってしまう。そうなってくると投球の精度が必要になるので、なかなか難しい。
02月03日(月)
●きょうは待ちに待ったスーパーボウルの日であった。チーフスは終始劣勢のように見え、第4クォーターの攻撃でパスをインターセプトされた時点で「終わった」と思い、テレビをいったん消して他の作業をしていたのだが、しばらくして再び見てみたらいつの間にか逆転し、さらにリードを広げていたので驚いた。あの状態から盛り返したチーフスは凄い。ディフェンスも頑張ったし、マホームズのここ一番でのパスの正確性は驚異の一言。チーフスは昨年度シーズン(2018-2019シーズン)ではペイトリオッツと2回にわたって死闘を展開した。レギュラーシーズンとAFCチャンピオンシップの両方でオーバータイム(延長戦)となり、いずれもペイトリオッツに敗れた(その後のスーパーボウルではペイトリオッツが優勝した)。あと一歩のところであった。その時のマホームズの寂しそうな顔が忘れられず、今シーズンは雪辱を果たしてくれるのではないかと思い、ずっとYouTubeのダイジェスト動画でチーフスの試合をチェックしていた。マホームズは今シーズン、膝のケガで数試合欠場したものの、復帰した後はあまりケガの影響はないようだった。リードされても冷静さを失わず、ビッグプレーを連発する精神力と身体能力には感嘆するしかない。体勢が崩れた状態でも正確なパスを通せる。しかも自分でRBのように走れるのは大きな武器だ。レイブンズのジャクソンとともに、「走れるQB」というのがアメフト界のトレンドになると思う。結果論だが、優勝候補筆頭のレイブンズがタイタンズに負けてくれたおかげで、チーフスは勝つことができた(ちなみに、チーフスは今季レギュラーシーズンでレイブンズに負けている)。勝負事には運も必要だなとつくづく思った次第である。さて、午後は買い物に行き、夕食は豚バラ大根を作った。今回もうまくできた(^^;。
02月02日(日)
●午後から大学で入試の採点。何とか1時間くらいで終了。入試担当者会議に出席し、終了後はすぐに帰る。夕食はミネストローネと冷凍餃子で済ませた。夜はボウリングの練習。投球の時のターンがうまくできるようになったら、あまり肩が開かなくなってフォームが安定した。疲れたので早めに寝る。
●動画配信サービスをいろいろ体験するため、Huluは1ヶ月課金された時点で退会し、今度はNetflixに入会した。こちらは無料期間は無く、いきなり課金される。とりあえず1ヶ月試してみて、どちらを続けるか判断する。
02月01日(土)
●領収書が揃ったので19年度の研究費使途報告書を作成。さらに20年度の研究計画書も作成。いずれも終了。素晴らしい。今年度は例年になく早く仕事が進んでいる。この後は個人研究費報告レポートの作成、確定申告、そして来年度の授業の準備へと進む。授業の準備は新規科目が2つある関係で、20回分以上は用意しなければならない。長期戦覚悟だな(^^;。昼食はパスタ。夕方にオリンピックに行って買い物。夕食は自分の分はチキンカツカレー。奥と子どもには昨日のお昼に作ったタンメンを作った。割とうまくできた(^^;。